1998年5月7日、その日、早朝から病院からの電話でクルマで病院に向かった。
母の意識はもうなかった。握った手は握り返すことはなかった。力を入れて握ぎっても開いたままだった。
しばらくして心電図のブザーがなった。呆気なく母は亡くなった。余命半年が10か月まで延びたのは気丈な性格だった故か。
あの頃、東大阪に出向して1ヶ月で、同じ課にU野さんという定年間近の人がいた。
「親の死んだ日は昨日のように覚えているもんだよ」
とそう言ってくれた。まさにその通りで、今でも昨日のことのように覚えている。
母との最後のツーショットを撮りたかったのだが、最後まで痩せ衰えた写真は撮らせなかった。だから写真の母はいつも丸々太ったこぶたのようだ。
母の人生は半分は私を産み、育てることに費やした。
そして、私の人生の半分近くは母が亡くなってこの世にはいない時間を迎えている。
さっき祥月命日のお参りが済んだ。
また母がこの世にいない日が1日過ぎ、また1日増えた。