有名な竜馬のえへん、えへんの手紙から、幕末の三舟に話は楊守敬や明治の三筆の一人、日下部鳴鶴のはなし。
懐かしい名前を見かけた。楊守敬、日下部鳴鶴。
日下部鳴鶴は私の以前の師匠筋の大先生。随分、師匠からも大師匠からもそのはなしはうかがった。
大師匠のもう一人の先生が会津八一。
書室には会津八一直筆の額がかけてあった。
我々はその額の下を何も考えずに新館にくぐっていた。
今も阿倍野に行く道すがら昭和町の師匠の前を通る。
今はもう誰も住んでいないかもだが、今もあの書室の間取り、会津八一の額を思い出す。