あの日、遅番で仕事してたなあ。
帰りのクルマの中で、えらいことになっているのに気づいた。
なんだかあのころ、話の通じないバカの相手をしていた。
よく一年も我慢してやってたもんだと今さらながら思う。
その次の年異動したけど、またそこに別のバカがいた。
「そんなことにうちはならないと思います」
当時そのバカは地震の惨状に対して言いきった。想定内、想定外という言葉が流行った頃だ。そんなことをよく言いきれるなと思った。
そのバカはとっくの昔にもう辞めた人だから、発言にもう責任とらないわな。言ったことも忘れてるだろうけど。(俺も辞めたけど)
その翌年に、介護休暇をとった。
「私も取れるもんならとりたい」
じゃあ、あんたも取ればと思った。介護休暇とる前に辞めていったけど。
あの頃、生きるのに精一杯だったなあとは思う。私だけでない。地震に遭われた方、ほか全ての日本人全員がだった。
もう我慢とか辛抱とか言うのは嫌いにはなった。
自分という個人以外に責任を負うことはもうやめにした。
だから、いろんなことを放棄したし、捨て去ってきた。
日本人の価値観が変わったときが少なくとも2回あると思う。
1945年8月15日
2011年3月11日
なんかそんなこと、つらつらと思ってた一日・・・