お登紀さんなら、やっぱり「知床旅情」を語らないわけにはいかない。
またこの歌にはいろんなエピソードがあり、ブログのネタには事欠かない。
もともとは森繁久彌が撮影のために羅臼に長期滞在した際に地元の人に「さらば羅臼よ」として披露したものだったと言う。
それに補作加え、歌唱し、レコード化したのが「しれとこ旅情」になり、「知床旅情」になったのだとか。
その歌を加藤登紀子の夫となる藤本敏夫が加藤登紀子の前に歌い、加藤登紀子がうろ覚えで歌ってレコードしたのが加藤登紀子の「知床旅情」。そのために森繁久彌と加藤登紀子の歌詞は若干異なる。

知床旅情の歌詞には森繁久彌の誤解もあり、北海道には白夜は存在はしない。また読みも「びゃくや」も本来は「はくや」がただしい。
ピリカも綺麗な娘な意味で使ったが羅臼地方ではホッケの稚魚のことを言う。森繁久彌はそれを知り気にかけていた。
また知床半島は斜里町と羅臼町を挟んであり、この知床旅情が歌碑がそれぞれあるのだそうだ。
まもなく、その知床半島の観光船の事故から一年になる。観光に大打撃を被った一年であったにちがいない。改めて犠牲者の方々に哀悼を表したい。合掌。