学生時代、ニューミュージック系の好きなミュージシャンの遍歴は拓郎や小椋佳に始まり、Char~アリスと来て、最後は南佳孝さんだった。
GUTSだったか、新譜ジャーナルだったか、郷ひろみの「セクシーユー」の作曲者で、本歌を歌っている人みたいな紹介のされ方をしていた。
当時、テレビで郷ひろみの「セクシーユー」がバンバン歌が流れていて、佳孝さんが歌っているのを見て姉が驚いていたのを覚えている。聴いていて驚いたのはそこに生活感が全くなくおしゃれな雰囲気だったこと。
「二人で行った横丁の風呂屋」や「雨が続くと仕事がなくてキャベツばかり齧っていた」みたいな生活感はまるでなく、旅に出ても「苫小牧発仙台行きフェリー」や「襟裳の春は何もない春」じゃなくて、「ジャマイカあたりのステップ」や背中の開いたドレスを来て髪を束ねてカトレアで飾るなんて、まるでハイソとか今で言うセレブまでは言わないが「ちょっと今までの日本の歌と違うぞ、これは」と言う印象だった。
これがシティポップの洗礼であったにちがいない。佳孝さんにせよ、達郎さんや、それに続く佐野さんにせよ。それは同じこと。