さて、昨日の西城秀樹の代表曲が「ヤングマン」で元歌が「YMCA」でヴィレッジピープルで、彼らの次のヒット曲が「イン・ザ・ネービー」で日本でカバーしたのは、ピンクレディーで「ピンクタイフーン」だった。
「やっちゃいな、やっちゃいな、やりたくなったらやっちゃいな」のフレーズに、変に反応してた。(笑)
この頃になると世間のピンクレディー熱もいささか冷めてきた感があった。そう、「厭きてきた感」があのときの私にはあった。その前後して紅白辞退、アメリカ進出、そして解散となった。1977~1981の活動期間の4年間は短いと言えば短かった。最後は高校時代のはずだが、時代はもうたのきん、松田聖子にアイドルの人気も移った。
まあ、ピンクレディーは解散しても何度か再結成はしているけれど。