まったくのプライベートで、6月17日は二つの意味を持つ。
ひとつは母方の祖母の祥月命日。墓標を見たら1986年6月17日だった。去年祖父の五十回忌とともに三十三回忌だった。
あの年はずうっと、大雨が続いた。母に祖母について、ふと思いだし、どうしているか尋ねた。そのときは個人的にも、家庭的にも事情があって、すぐに行ける状態ではなかったので、落ち着いたら祖母に会いに行こうと話し合った
17日の夕方、祖母の行方がわからなくなり、事故か自殺かわからない不審な亡くなり方で見つかった。発見したのは母だった。祖母がいなくなったとうちに電話がかかってきたのだが、自分にクルマを運転させるのはひどい雨で酷だというので独りで傘をさして母は出かけた。たまたまタクシーが捕まり、祖母の家に行ったそうだ。誰かと祖母の遺体を見つけた。母も詳しい話をしたがらなかったし、あえて自分も訊かなかった。だからその様子は知らない。
そういうわけでなるべく祖母の祥月命日には都合をつけて行くようにしている。今日は朝から墓参りをしようと思ったが、結局昼前になってしまった。普通なら家も寄って仏壇に手を合わせるのだがコロナの時期でもあるので墓だけお参りした。従兄弟が朝のうちに参ったのか、新しい花が供えてあった。
祖父の命日も来月だが、祖父のときは幼かったので記憶にない。ついでと言っては祖父に悪いが6月17日の祖母の祥月命日に参っている。
もう一つの6月17日のはなしは別の記事で。