こんにちは。ご訪問ありあがとうございます。
私はこの10日間あまり、シャーマンの修行に行っていたためブログ更新が滞っており、正直なところ、前回まで何の話をしていたのかわからなくなってしました~
ということで、前回にご紹介したブログを読み返してみたところ
古事記でも描かれている
神武天皇の大和の国譲りのシーンにも登場してくる「八咫烏」はいった何者なのか?
について長々と解説しておりました~。
自分で書いておきながら、ほんとうにややこしくて訳が分らない内容になっていて
みなさんには申し訳ないな~
と、あらためて反省させられました。
もう少し簡潔にわかりやす書かないとダメですね~
前回の話の中では、古事記で神武天皇の東征を助けたとして登場してくる「八咫烏」が、正統竹内文書では「アジスキタカヒコネ」だと伝えられているというお話もしております。
けれど、あまりにも八咫烏の正体は謎であるため、前回ではその正体を明らかにすることができませんでした。
なので、今回も続けて「八咫烏」の秘密に迫り、正統竹内文書で記されている「八咫烏=アジスキタカヒコネ」説について検証していきたいと思います。
私が日本の古代史を勉強する上で、参考書かわりにしていたのが、むっちゃん先生こと第73世武内宿禰 故武内睦泰さんのYoutubeやブログでの口座になるんですが、むっちゃん先生も
「ここは歴史の中で一番面白くないところなんです」
なんて言っておられました。
ただ、むっちゃん先生は
「歴史というのは連続です。連続の中にあるものを伝えて行きたいと思っています」
ということで、正統竹内文書の伝承を、いつもわかりやすく伝えてくださっていました。
なので、私も本当は、みなさしているんが知りたがっている「瀬織津姫」のことや「宗像三女神」「かぐや姫」などのことを、早く話たくてウズウズしているのですが・・・・
むっちゃん先生の講義を受けて、「いつも連続の中にある歴史を知ることが大切だ」と実感しておりましたので、もう少しだけ「一番面白くない歴史」の部分について、おつきあいくださいね。
さて、前回までのお話で、わかったことは
・ 八咫烏の本当の名前は「大鴨積命(おおかもつみのみこと)」で京都鴨氏の始祖である
・ 神紋や拠点、文献に残る逸話から考えると「加茂市」と「秦氏」は同族だけど、加茂氏は渡来人であることを隠している(秦氏は渡来人として勢力をふるっている)
ということです。
では、八咫烏こと大鴨積命の祖神はなんなのでしょうか?
日本最古の神社と言われる奈良県の大神神社に残る社伝の「大三輪神鎮座次第(おおみわちんざしだい)」には
鴨の地に、祖神である「事代主」を祀り、その功績から鴨君(かものきみ)の姓を賜った
と記されています。
つまり、大鴨積命は鴨の地に「事代主」を祀ったと記されており、事代主は大鴨積命の祖神だとはっきりと書かれているんです。
「事代主」は、日本神話では、スサノオの義理の息子である「オオクニヌシ」の息子として出てきますので、出雲系の神様になりますよね。
なので、鴨氏も出雲系の神様を祀っていたということになりますね。
また、「鴨氏」「加茂氏」と同族とされる「秦氏」は
↓
オオヤマクイノカミ、ウカノミタマ
そ氏神として祀っているんです。
オオヤマクイノカミという神様は、
スサノオの四男であるオオトシの息子(つまりスサノオの孫)になり、
ウカノミタマという神様は
オオトシの妹であり、伏見稲荷大社の主祭神のお稲荷様になります。
ということは、
秦氏は、出雲系の中のオオトシ系列の氏神を祀っている
ということになり、
加茂氏は事代主を氏神として祀っているので、出雲系の中のオオクニヌシ系の氏神を祀っている
と言えるんです。
あっ~!! もうややこしすぎてわからないですよね~!!
つまり、つまりですね~、結論としては
秦氏も加茂氏も、どちらも出雲系の神様を氏神として祀っている
ということなんです。
そして、それら出雲系の神様も系列が分かれていて
秦氏はオオトシ系(ニギハヤヒ系)の氏神を祀り
加茂氏は事代主・大国主系の氏神を祀っている
ということになるんです。
このこと頭に留め置いていただいて、ここからは八咫烏とされる「アジスキタカヒコネ」とは、正統竹内文書において、いったいどういう人物として伝えられているのかを紹介したいと思います。
アジスキタカヒコネは、母親が「タギリヒメ」だとされています。
母親がタギリヒメだということは、つまりオオクニヌシの長男だということになります。
神社・仏閣といえば、まずほとんどの人が1番に名前をあげるのが「京都」だと思います。
では、この京都にいらっしゃる神様方の中で、いったい誰がトップだと思いますか?
正統竹内文書では、京都の神様のトップは「加茂の神」だとされているんです。
そして、加茂の神が祀られている神社は「上加茂神社」です
上賀茂神社の主祭神は「加茂建角身命(かもたけつのみのみこと)」であり、上賀茂神社を創ったのが「大鴨積命」なので、
加茂建角身命 と 大鴨積命 は同一人物である
という話を、前回のブログで説明しました。
そして、この加茂建角身命=大鴨積命は、前回のブログで、正統竹内文書ではアジスキタカヒコネと同一人物であると伝えられているとご紹介しました。
なので京都のトップの神様は、
アジスキタカヒコネ
ということになるんです!!
アジスキタカヒコネは、むっちゃん先生に言わせると
「ちょっと特殊なんですよ。この人は」
ということであり、その理由としては、
「父親のナムジがどこから来たのかわからない、わけのわからない人なんですよ~!!」
と言っておられます。
ナムジは「オオクニヌシ」のことです。
正統竹内文書の言い伝えでは「オオクニヌシ」は役職名であるため、何人かのオオクニヌシがいます。
そのオオクニヌシの職に就いていた人で「ナムジ」、通称名「アシハラノシコオ」という人がアジスキタカヒコネの父親になります。
ナムジはよそから来た人という意味であり、
アシハラノシコオはシュメールから来た強い人という意味になります
なので、外国、それも中東からやってきた異国人だったと考えられています。
そして、ナムジはスセリという姫と結婚して出雲の王となります。
スセリ姫はスサノオの末っ子の娘です。
出雲は末子相続なので、末っ子のスセリビメの旦那様ということで、統治王となったわけなんです。
なので、実際のところの王は、祭祀王であるスセリビメだということになります。
アジスキタカヒコネは、父親がナムジですが、母親はスセリ姫ではありません。
スセリビメの後に結婚した大和の人である「タジリヒメ」が母親になります。
タジリヒメは、記紀では宗像三女神のひとりとされ、天照大神の娘となります。
アジスキタカヒコネの正体は、何度も言いますが、正統竹内文書では、
加茂建角身命 = 八咫烏 = アジスキタカヒコネ
として伝えられています。
名前に「ネ」とついている場合は、だいたい「出雲系」が多いと言われています。
アジスキタカヒコネの別名「タケツノミ」から検証していきますと、「ツノミ」とうのが彼の本当の名前になります。
名前の前に「タケ」とついているのは、「将軍位」を得たからであり、つまり下を従える力を持ったからです・・・というか、もともと家柄的に持っていたという方が正しいかもしれません。
そして、「八咫烏」というのは、ニックネーム、アダナになります。
八咫烏というのは、3本足のカラスであり、日本サッカー代表チームの胸のワッペンは八咫烏であることは、サッカー好きなら知っていると思います。
そして、この代表チームの最初に指揮を執った監督が、「加茂」監督なんです。
実のところは、サッカー協会に一番貢献した人物が八咫烏を信仰していたため、胸の紋章が八咫烏になったそうです。
アジスキタカヒコネことタケツノミには、妹の「下照姫(シモテルヒメ)」がいます。このお姫様も、とても重要な姫でありキーマンになってきます。
そして、弟に「コトシロヌシ」がいます。
彼は「恵比寿(えびす)」神として有名ですよね。
アジスキタカヒコネとシモテルヒメ、コトシロヌシは、3人ともオオクニヌシとタジリヒメとの間の子として伝えられています。
さて、本題はここからであり、正統竹内文書では
アジスキタケヒコネはコトシロヌシ
だと伝えられているのです。
私は、正統竹内文書を勉強していた頃は、毎回、驚きの連続でした。
あまりにも記紀で記されている史実とは違ったからです。
けれど、マスターシャーマン達は、
「正統竹内文書には、にわか信じられないようなこともいくつか伝えられているけれど、記紀では伝えていない真実がかなり含まれている」
と言っていました。
なので、私自身、驚きながらもなぜか納得がいく部分が多く、どんどん正統竹内文書に憑りつかれていきました。
正統竹内文書がアジスキタカヒコネとコトシロヌシが同一人物だ伝えている内容をお伝えする前に、八咫烏が神武天皇の大和入りを助けた話を、もう一度復習しておきたいと思います。
アマテラスの子孫である神武天皇は、天孫続の国である現在の九州宮崎県「日向国」に住んでおりました。
当時、日向国の王は「イワレビコ」と呼ばれていたのですが、正統竹内文書では「イワレビコ」というのは統治王の役職名だと伝えています。
出雲国では末っ子が王様になるというルールがありましたが、日向国では長男が王様を相続することになっていました。
神武天皇は末っ子だったため、長男のイツセという人が「イワレビコ」という名前で呼ばれており、神武天皇は当時はサノノミコトと呼ばれていました。
次男は別の国に行っており、三男は祭祀王だったたそうです。
そんなことから、長男のイツセと末っ子であるサノノミコトが日向国から出て東にある大和を目指しました。
ところが、大和にはとんでもなく強い「ナガスネヒコ」がおり、長男のイツセはナガスネヒコとの戦いで戦死してしまいます。
そのため、末っ子のサノノミコトがイワレビコを襲名することになりました。
このあたりの話は、記紀と同じ内容になっています。
その後記紀では、「兄が亡くなり、ナガスネヒコはとんでもなく強い・・・どうすれば良いんだろう」と絶望的になったいた時に、八咫烏と剣を持って来てくれたタカクラジが助けに現れます。
このあたりの話は、正統竹内文書ではどのように伝えられているのでしょうか?
なんと、
剣を持って来てくれたタカクラジはニギハヤヒの息子になり、
八咫烏はアジスキタカヒコネ
だと伝わっているのです。
アジスキタカヒコネはオオクニヌシの息子であり、出雲の神様になります。
大和の国譲りは、日向国と大和との戦いになるたね、出雲は全く関係がないはずなのに、なぜ急にアジスキタカヒコネがイワレビコを助けに出てくるのでしょうか?
むっちゃん先生が「少し特殊なんですよ~、アジスキタカヒコネは」と言っていた理由が、この辺りに隠されているような感じがしますよね~
さて、ここで再び、
八咫烏の正体が、建角身命(タケツノミ)
であり、
その子孫が裏天皇とも言われている「加茂氏」である
という話をを思い出してください。
そして、八咫烏であるタケツノミが祀った祖神が、なぜかオオクニヌシの息子の
事代主(コトシロヌシ)
なんです。
このことには、
もともと出雲にいたオオクニヌシの息子のコトシロヌシが、出雲を裏切った後に、八咫烏に名前を変えて日向国に行き、その後「加茂氏」に名前を変えて「裏天皇」として活躍した
という秘密が隠されているのです。
日本神話では、
アジスキタカヒコネはオオクニヌシの息子とされ、
妹の下照姫の夫の葬儀で、死者と間違われたことに大激怒し、葬儀用の小屋を剣でぶった斬って、その破片を蹴り上げると姿を消してしまった
というシーンで登場し、あまり良い描き方はされていない人物になります。
そして、そのすぐ後に、出雲の国譲り神話として事代主が登場します。
アマテラス国の使者に出雲を譲るように迫られると「恐れ多いことです。言葉通りこの国を差し上げましょう」と答えると、船をひっくり返し、逆手を打って船の上に青柴垣(あおふしがき)を作って、その中に隠れてしまった
と記されています。
ということで、日本神話では、アジスキタカヒコネとコトシロヌシは別人として描かれているものの、どちらも
・喪屋をぶった斬って蹴とばす
・天の逆手を打つ
という不吉な行動をした後に姿を消しています。
ということで、この辺りには共通点があり、日本神話得意の真実を隠した暗号である可能性がありますよね~
とうことで、秘密を探る入口が見えてきたところで、今回も長くなりましたので、続きは次回にお話したいと思います。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログサイト
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne
ということで、「秦氏」と「加茂氏」&「鴨氏」の氏神を調べてみても、同じ出雲の神様を祀っていはいるものの、同じ神様が祀られているわけではないことがわかりました。
このことも、巧妙に重要なことが隠されているということになるのかもしれませんが、八咫烏の氏神は「事代主」だとわかったため、この先は、事代主について検証していきたいと思います。