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前回は、正統竹内文書で伝えられている
スサノオの死を虎視眈々と待っていたアマテラスが遂に逆襲にで出た!
という伝承について、ご紹介させていただきました。
さて、前回までの話の中には、実は3つ重大な謎が隠されていました。
まず1つ目は、
オオクニヌシは外国人なのになぜ出雲の王になれたの?
という点です。
出雲国では、スサノオの次の王としてオオクニヌシが選ばれていました。
外国人のオオクニヌシが、いきなり王になれのは、スサノオの末っ子であるスセリビメと結婚したからです。
出雲国は末子相続なので、スサノオの末子であるスセリビメと結婚した人物が王になるのは自然な流れのように思えますが、出雲国には「末子相続」の他に、もう1つルールがありました。
出雲国では、国は
政治を司る統治王
祭祀を司る祭祀王
の2人ワンセットで治めと決められていました。
これには性別は関係ないとされていました。
また、祭祀王は統治王より偉いとされいたので、出雲国の真の王様はスセリビメであり、オオクニヌシは統治王だったということになります。
けれど記紀では、祭祀王のスセリビメは目立たない存在として描かれています。
また、正統竹内文書でも、かすかににおわせているものの、スセリビメが真の王様だったことは隠しているのです。
なぜスセリビメが祭祀王で真の大様であったことを隠しているのでしょうか?
そもそもスセリビメは、スサノオの娘であることはわかっているのですが、母親が誰かわからない謎の女神なんです。
2つ目の謎は、
出雲から逃亡してきたアジスキタカヒコネと下照姫を、ニギハヤヒはなぜ受けれたのか?
という点です。
ニギハヤヒは「スサノオ族」「アマテラス族」「ツクヨミ族」の3氏族のトップともいえる究極の存在です。
なのに、なぜか出雲から飛び出た2人を受け入れて、かつ、下照姫を正妻に迎えています。
いわば、出雲の裏切り者を、自分の皇后にするということは、大変リスクの高い話になります。
3つ目の謎は、
ナガスネヒコはなぜ、かたくなにイワレビコとの政略結婚を拒んだのか?
という点です。
ナガスネヒコがとことん政略結婚を拒み、イワレビコと戦ったことにより、結果として、日本列島は2つに分断してしまうという事態になるのですが、そんな事態になるような戦いに、なぜ突き進んでしまったのでしょうか?
さらに、もっと謎なのは、そもそもイワレビコは誰と結婚しようとしていたのでしょうか?
大和のトップはニギハヤヒなので、普通に考えるとニギハヤヒの娘と結婚するのが妥当です。
けれど、ニギハヤヒには娘がいたという記述がないんです。
でも日向族のトップであるイワレビコと結婚させようとしていたのですがから、大和の王であるニギハヤヒと下照姫の娘でないと釣り合わないはずなんです。
なので、間違いなく隠された姫がいたということが考えられます。
記紀からも、正統竹内文書からも完全に消された存在の姫とは? 誰なのでしょうか?
以上の3点が、正統竹内文書で伝えられる「出雲の国刷り~大和の国譲り」の流れの中で、隠された謎となります。
正統竹内文書に、これまでの話で出て来た女神としては
・ 宗像三女伸
・ 神大市比売(カムオオイチヒメ)
・ スセリビメ
・ 下照姫の娘(イワレビコと政略結婚予定だった姫)
等ですが、すべて「謎多き女神」として、ほとんど語られることがない女神ばかりなんです。
なぜ、これらの女神を、記紀をはじめとして、正統竹内文書ですら、曖昧にしか描かずに隠したのでしょうか?
以上の謎については、どのような解釈や深堀がされているのか? 後日、1つずつ紹介していきたいと思いますので、この3つの謎について、記憶しておいてくださいね!!
また、前回に突然登場してきた「アジスキタカヒコネ」ですが、彼はオオクニヌシの息子でありながら、「コトシロヌシ」や「タケミナカタ」のようにメジャーな息子としては描かれず、「誰それ?」ってなくらいに知られていない神様になります。
けれど、前回の大和の国譲りの際には、イワレビコに味方をして神武天皇を誕生させるという非常に重大な役割を果たした人物になります。
今回は、このアジスキタカヒコネについて、もう少し詳しくご紹介していきたいと思います。
さて、アジスキタカヒコネは、正統竹内文書では、アマテラスがオオクニヌシに出雲の国譲りを迫った際、勇敢に戦ったヒーローのタケミナカタとは違い、出雲を裏切って、妹の下照姫を連れて大和に逃れたダークな存在です。
この出雲の国譲りは、アマテラス族が出雲国を支配下に治めたお話になりますが、当時の出雲国はスサノオが引退した後、末っ子のスセリビメの夫であるオオクニヌシが治めていました。
スサノオには、コトシロヌシやタケミナカタ、オオトシ(後のニギハヤヒ)といった息子たちがいましたが、出雲は末子相続というルールがあったので、彼らは国を治めることができませんでした。
そして、四男のオオトシは、スサノオと非常に仲が悪くて喧嘩状態だったそうです。
それで、出雲を飛び出して大和に来ていたそうです。
ちょうど、そのときにオオクニヌシが出雲から大和に攻め入ってきたのですが、大和を治めていたナガスネヒコの強さに手も足もでず、オオクニヌシは敗北して琵琶湖まで追いつめられました。
それを、大和に来ていたオオトシが「義理の弟を死なせるわけにはいかない」ということで助けることになります。
ニギハヤヒに助けられたオオクニヌシは出雲に戻りますが、オオトシは出雲と距離を置いていたため、そのまま大和に残り、ナガスネヒコを家来にしてニギハヤヒとなり、大和を統治していきます。
なので、その後、スサノオが死んだ後にアマテラスが出雲に攻めてきたときに、ニギハヤヒは助けなかったのではないか? と伝えられているのです。
日本神話では
出雲の国譲りの後、アマテラスの孫のニニギが宮崎の地に降り立ち、ニニギからホオリ(山幸彦)という神様が生まれ、ホオリからウガヤフキアエズが生まれ、そして、ウガヤフキアエズからイワレビコが生まれたとなっています。
そして、このイワレビコが大和を狙って大和に戦いを挑んでくるのですが、大和を牛耳る謎の神ニギハヤヒと、その配下であるナガスネヒコと戦います。
日本神話では、出雲の国譲りから、大和の国譲りまで、数百年のタイムラグがあります。
ところが、正統竹内文書では、出雲の国譲りから、大和の国譲りまで、タイムラグはほとんどないのです。
どういうことかといいますと、正統竹内文書の系図では、アマテラスが戦争に負けて、スサノオと結婚する前の系図になります。
アマテラスは、スサノオと政略結婚する前に、別の夫がいました。
この夫というのが、記紀の出雲の国譲りの後に、アマテラスに「地上に行って地上を治めてきなさい」と言われ地上に降りたものの、「地上は騒がしいから嫌だ」と言って戻って来た、アマテラスの第一子のアメノオシホミミになります。
記紀 → アマテラスの第一子 = アメノオシホミミ
正統竹内文書 → アマテラスの夫 = アメノオシホミミ
となるんです。
そして、このアマテラスの最初の夫であるアメノオシホミミは、アマテラス国とスサノオ国の戦いの際に戦死しているのです。
アメノオシホミミの正式な名前は
正勝吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかつ あかつ かちはやひ あめのおしほみみのみこと)
となり、「勝」という字が3個も入っているんです。
スサノオに負けたことで、勝という字をたくさん入れてやれというアマテラスの執念が込められた名前になっているんです。
そして、アマテラスとアメノオシホミミの息子が
アメノホヒ
ニニギ
ホオリ
ウガヤフキアエズ
の4人になるんです。
記紀では代々の親子とされていた系列が、正統竹内文書では兄弟として伝えられています。
つまり、日向国では、兄弟間でトップが変わって行ったというこになります。
そして、ウガヤフキアエズの子供の中に、後の神武天皇のイワレビコがいました。
そんなことから、記紀では何百年の時間の経過が、正統竹内文書では、十数年、あるいは数十年程度の時間の経過になってしまうのです。
もう、なんだか人の名前がたくさん出てきて、訳がわからなくなってきましたね~!!
これらの人物の名前を全て覚える必要はないので、大事なこととして
・系図が記紀に比べて極端に縮小されていること
・ウガヤフキアエズの息子(末っ子)のイワレビコ
という2点だけ覚えておいてください。
ちなみに「イワレビコ」も役職名になり、日向国の王を表す名前だったそうです。
出雲国は末っ子が王様になるというルールがあったけれど、日向国は長男が偉いというルールになっていたので、最初は、
長男のイツセ=役職名「イワレビコ」
だったそうです。
次男はどこか違う国に行って日本にはおらず、三男は祭祀王でした。
そして、四男はサノノミコトと呼ばれ、長男のイツセをサポートする役割だったのですが、イツセがナガスネヒコとの戦いで戦死したことから、四男のサノノミコトがイワレビコという役職を襲名しました。
そして、この戦いで大和のナガスネヒコに敗れたイワレビコは悲壮感に暮れていたのだそうですが、ここに助っ人として登場したのが「八咫烏」と「タカクラジ」になり、この二人のお陰でイワレビコは戦いに勝利することができました。
この「八咫烏」と「タカクラジ」は、記紀では突然登場していますが、正統竹内文書では、前回にもお話したとおり、
「八咫烏」=「オオクニヌシの息子のアジスキタカヒコネ」
「タカクラジ」=「ニギハヤヒの息子」
であることが明かされています。
この辺りのことを、次回では、もう少し詳しく紹介していきたいと思います。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne