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11月4日は、源九郎稲荷神社のお火焚祭が開催されたそうです。
トヨさんの先生である玄明院岩岸住職さんとその信者さんにより行われました。
お火焚祭とは、
四季がある日本では、秋に稲の収穫が済んで、やがて冬がやってきます。
稲を育てた大地も冬の眠りに入る季節を迎えるのです。
「火焚祭」は稲を育てた大地と太陽に感謝し、来る年の春を待つ火の祭典です。
神前の稲藁に火を焚き、秋の実りに感謝するとともに罪障消滅・万福招来を祈願します。
源九郎稲荷神社の火焚祭は、毎年11月の吉日に、ご祭神である源九郎稲荷大神へ秋の豊穣を感謝する神事です。
源九郎稲荷神社が建立された古くから、毎年行われてきた重要な神事のひとつなのだそうですが、源九郎トヨさんの源九郎稲荷神社のサイトにも記載されているとおり、源九郎稲荷神社は数年間、宮司さんが不在の時期があり、伝統的な神事が一切行われなくなっていました。
そのことを非常に悲しんでいた総代で語り部の中川さんが岩岸住職に相談して、2012年から復活した神事になるんです。
えっ? どうして神社の神事をお坊さんが行うの?
と不思議に思われるかもしれませんが、神仏が分離されたのは明治時代からであり、明治政府は、「神仏分離令」というのを出し、神仏習合の慣習を禁止し、 神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別させて分けてしまいました。
それまでは「神仏習合」といって神と仏は区別されることなく、日本人の心の拠り所として大切に拝まれる存在でした。
そして、この神仏習合の精神をベースとした、日本最古の宗教が「修験道」です。
修験道は日本古来の山岳信仰や精霊信仰(神を祀る信仰)に仏教(仏を祀る信仰)や道教。陰陽道などが融合してできた、日本独自の宗教です。
そのため、修験道の僧侶は、神も仏もどちらも祀る僧侶になり、神道の儀式も仏教の儀式もどちらも執り行うことができるのです。
岩岸住職さんは、日本三大修験道の1つであり、修験道の総本山とされている奈良県吉野山「金峯山寺」の阿闍梨さんです。
源九郎とよさんは、源九郎稲荷神社の復興活動の最中に、岩岸住職さんと吉野山で出会いました。
それ以降、住職は、宮司さんが存在しない神社において、源九郎稲荷大神様のために非常に力を貸してくださったそうです。
岩岸住職のインスタグラムに昨日行われたお火焚き祭に関連する、すごく興味深いお話が記載されていましたので、引用紹介させていただきますね。
源九郎稲荷は大和郡山藩の藩主に就いた豊臣秀長の夢枕にお立ちになり、自分を祀ると大和を治めさせてやると告げた。
その話を巡錫の僧に話し、お姿を刻んで洞泉寺の荼吉尼天堂で祀ることにした。その像は今は本堂のお厨子の中に秘仏としてお祀りされている。
源九郎稲荷神社に関わるようになり、洞泉寺にもお詣りさせて頂いた。
お詣りに伺ったところ、大奥さまが『行者さんがお越しになったので、拝んで頂かなくては!』と、秘仏のお厨子を開けてお姿を見せてくださり、その姿を頭にしっかりと焼き付けておいた。
稲荷の姿はさまざまである。眷属である白狐に跨るか、もしくは立ち乗りする女神か翁。
手に持つものにも、宝剣、宝珠、鎌、稲束を天秤棒に付けたものなど。
源九郎稲荷のお姿は、白狐に乗る女神。右手に如意宝珠、左手には稲束を肩に担いでいる稀有なお姿。もしくは、翁で稲束を天秤棒で担いだお姿。
洞泉寺の源九郎稲荷のお姿は秘仏として拝することができないため、皆さんにも拝んで頂けるように尊像を仏師に刻んでもらおうかと思案していた。
そんなある日、オークションを眺めていると稲荷神の尊像が出品されていた。
右手に宝珠と左肩に担ぐ稲束。まさに源九郎稲荷のお姿。入札するも競争相手はいなく、難なく落札。届いてすぐに拝み始めた。
拝み始めてみたものの眷属がいないはさびしいので刻んでもらおうと考えたが、ある日オークションに眷属の木彫が一対出品されていた。
写真はピンボケではあるものの、気に入ったので入札し、難なく落札。
届いた眷属と源九郎稲荷を記念撮影しようと並べて、ファインダーを覗いて気付いた。
台座の模様が三体とも同じ…
よく見ると、狐の顔が三体とも似てる…
材の模様も同じである。
源九郎稲荷は名古屋、眷属二体は青森から。
別れ別れになった源九郎稲荷と眷属が玄明院で再会した。
源九郎稲荷は不思議を見せてくれることがこのこと以外にもたくさんある。これからは少しずつ書いていこうと思う。
源九郎とよさんも、この時、ご住職さんと一緒に「洞泉寺」の秘仏の源九郎稲荷大神様を拝ませていただいたそうです。
とよさんは、「源九郎さんにお会いできたという感動で泣いてしまった」と言っておりました。
そして、ある日、ご住職から
「とよちゃん、源九郎さんのお姿の仏像を手に入れたよ!」
と連絡をいただき、玄明院に飛んで行き見せていただいた仏像のお姿は、「洞泉寺」でお目にかかった源九郎稲荷様と全く同じお姿だったそうです。
さらに、それからすぐに、眷属の狐様の像も手に入れたということで、眷属さんと並ぶ源九郎稲荷様のお姿を見て、最高の幸せを感じたそうです。
玄明院にも、源九郎稲荷大神様の祭壇が祀られており、住職が毎日拝まれているそうです。
荒廃してゴミだらけだった源九郎稲荷神社が今のように多くの方に参拝していただける神社に生まれ変わったのは、中川総代さんを始めとする村の人やボランティアの方々のお力と、毎日毎日、自坊で源九郎稲荷大神様を拝んでくださっている住職のお力も非常に大きいのだと感じました。
私は、ご住職にお会いしたことはありませんが、修験のお坊さまは山で非常に厳しい修行をなさることから、シャーマンとして力を身に付けられている方が多いのですが、この岩岸住職さんは、特別に大きなエネルギーを持つ、すぐれたシャーマンでもあると感じました。
住職さんのお写真を拝見すると、神仏に信頼され愛されているというのか、神仏に望まれているというのか、とにかく神仏が唯一「この人だ」と選ばれ、頼られているといったイメージが湧いてきます。
神仏に大きな力を与える・・・そんな能力を持っているお坊様だと感じました。
とよさんは、ご住職のことが大好きらしく、
「彼は私にとって、すごい先生としてだけでなく、ひとりの友人としても、親しみやすく愛すべき存在なんだよね~」
と、いつも私に自慢をしております。
けっして偉そうにせず、信者さんに神仏を拝むことの大切さだけでなく楽しさを教えてくださるそうで、ユーモアのセンスが抜群で、常に信者さんを笑顔にしている方だそうです。
僧侶としての能力だけでなく、人格的にも素晴らしい方なんでしょうね。
きっと、源九郎とよさんが源九郎稲荷神社の復興活動を始めた時に、源九郎稲荷大神様が威光と力を取り戻すために岩岸住職を選ばれ、とよさんと引き合わせたのだと思います
現在の源九郎稲荷神社には、宮司さんも来て下さり、日々の神事は宮司さんにおこなっていただけるようになりましたが、お火焚祭のような特殊な儀式は、続けて修験僧である岩岸住職とお弟子さんのお力を借りて、今後も毎年行っていくそうです。
源九郎稲荷神社は、人々の「愛」と「慈悲」が集結した古代日本そのものの縮図です。
源九郎稲荷神社は源九郎とよさんや岩岸住職、中川総代さん達、神社を大切に思い愛している人々の思いにより復興しただけに、今でも神社に集まる人々は、愛と慈悲に満ちた優しい方々ばかりです。
この神社から私はいつも、「優しさ」「愛」「慈悲」「思いやり」といった、軟らかいイメージを受け取ります。
源九郎稲荷大神様は、強大なお力を持たれた神様です。
けれど、源九郎稲荷神社は、「力」より「愛」を感じるのです。
ほんとうに素晴らしい神社です。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne