スサノオの死を虎視眈々と待っていたアマテラスが遂に逆襲にで出た! | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

 

前回は、

 

オオクニヌシを助けたニギハヤヒの正体は、スサノオの四男オオトシだった

 

という伝承について、ご紹介させていただきました。

 

 

 

 

記紀では、大和の地を制圧して初代統一王となったのはアマテラスの子孫である「イワレビコ」であり、イワレビコは圧倒的な武力で大和を治めていた「ナガスネヒコ」を破って大和を制圧し、その後神武天皇となったと記しています。

 

ところが、正統竹内文書では、大和のナガスネヒコに戦いを挑んだのは、スサノオの義理の息子の「オオクニヌシ」だと伝えられています。

 

なので、記紀と正統竹内文書では時系列的に何百年というタイムラグがある上に、オオクニヌシはナガスネヒコに敗れて琵琶湖まで逃げて殺されそうになっていたところを、スサノオの四男である「オオトシ」に助けられ、オオトシはナガスネヒコを家来とした後、「ニギハヤヒ」と名乗り大和の初代統一王になりました。

 

 

記紀 ~ 大和の初代統一王=イワレビコ(神武天皇)

正統竹内文書 ~ 大和の初代統一王=オオトシ(ニギハヤヒ)

 

となっているのです。

 

 

 

 

タイの龍蛇族のシャーマンの間では、このニギハヤヒのことを非常に崇めております。

 

なぜかというと、私達のルーツにとても関係がある神様だからです。

 

 

では。オオトシ=ニギハヤヒとはいったいどのような人物なのでしょうか?

 

 

 

正統竹内文書では、元々すぐれた日本民族であった「スサノオ族」と「アマテラス族」「ツクヨミ族」を含む16氏族が、高度な文明伝えるために世界中に拡散されたということを伝えています。

 

その後、長い年月をかけて、「スサノオ族」「アマテラス族」「ツクヨミ族」の3氏族の一部が、日本に戻ってきます。

 

 

 

そして、出雲族と呼ばれた「スサノオ族」と日向族と呼ばれた「アマテラス族」が戦争を始めます。

 

この戦争で勝利したのは「スサノオ族」であり、和解のためにそれぞれの王であった「スサノオ」と「アマテラス」が政略結婚をします。

 

 

けれど、スサノオにはアマテラス以前に結婚した何人かの妻がおりました。


オオトシは、アマテラスの息子ではなく、スサノオと他の妻との間に生まれた息子であり、彼は大変強くて戦場に現れたら絶対に勝利すると言われた軍神でした。

 

 

 

そして、前述のとおり大和のナガスネヒコを破り、大和の初代統一王として大和を治めることとなり、

 

アマテラスクニテラスヒコ アメノホアカリ ニギハヤヒノミコト

 

という名前を手に入れます。

 

 

この名前は、アマテラス族、ツクヨミ族、スサノオ族 の3氏族の統一王であることを表した名前になります。

 

 

 

73世武内宿禰の竹内睦泰さんの

 

本当の意味での、初代アマテラスはニギハヤヒである」

 

という発言からも、ニギハヤヒというのは、とてつもない存在だったことを意味しているのです。

 

 

アマテラスクニテラスヒコ クシタマ アメノホアカリ ニギハヤヒノミコト

 

という名前には、意味があり

 

アマテラス → アマテラス国の神

クニテラスヒコ → スサノオ国の神

アメノホアカリ → ツクヨミ国の神(ユダヤの神の称号)

 

となっています。

 

 

オオトシはスサノオの四男だったので、アマテラス、クニテラスヒコの2つの称号が名前に含まれていることはわかるのですが、なぜ3つ目のツクヨミ国の神の称号が入っているのでしょうか?

 

 

 

記紀に記されている系図を見ると

 

オオトシの母親は、「神大市比売(カムオオイチヒメ)」となっています。

 

カムオオイチヒメは、とても謎の多い女神なのですが、娘にオオトシの妹として・・・

なんと渡来人秦氏の氏神であるウカノミタマがいるのです。

 

 

 

ウカノミタマノカミは何度も、私のブログに登場しておりますが、伏見稲荷大社に祀られる主祭神であり、お稲荷さんの正体です。

 

ウカノミタマノカミは、伊勢神宮に祀られている「豊受大神」とも同一視されていて、ユダヤの末裔である秦氏が日本に持ち込んだことから、

 

ウカノミタマ=ユダヤの神=ヤハウェ?

 

ではないかとも考えられています。

 

 

 

正統竹内文書で読み解くと、ウカノミタマは

 

かつて日本から離れて世界中に拡散した「ツクヨミ」の一族であり、中東に辿り着いたツクヨミの氏族がユダヤ人になったと推測されているのです。

 

 

つまり、ツクヨミは中東に辿り着く過程で、「ヤハウェ」と呼ばれる神となり、日本に戻る約束を覚えていた一部のユダヤ人が、その神を「ウカノミタマ」「豊受大神」として日本に持ち込んだということです。

 

長い年月をかけて、ツクヨミを逆輸入したということになります。

 

ウカノミタマとは、ユダヤの神そのものと言える存在になるのですが、そのウカノミタマと系図上で兄妹となっている「大年(オオトシ)」も、やはりユダヤにルーツがあると考えるのが妥当ではないでしょうか?

 

そして、ユダヤの神の「アメノホアカリ」という称号を持っていたのですから、ほぼ間違いないと考えられるのです。

 

 

 

となると・・・

オオトシの父親はスサノオなのでユダヤ人ではないので、母親の「神大市比売(カムオオイチヒメ)」がユダヤの神の謎を解くキーワードとなってきます。

 

おそらく、カムオオイチヒメははツクヨミ族の女神であり、その正体は「龍神(レビアタン)」を信仰するユダヤのレビ族の末裔だと考えられるのです。

 

なので、オオトシもウカノミタマも「龍神」としての属性を持っていることになります。

 

 

 

さて、そこでもう一度、彼の称号を見てほしいのですが、

 

アマテラスクニテラスヒコ クシタマ アメノホアカリ ニギハヤヒノミコト

 

 

アメノホアカリの前に「クシタマ」が入っています。

このクシタマの「クシ」というのは、正統竹内文書では「コシ=高志の国」と伝えられています。

 

 

 

高志の国というのは、後の「越前」「越中」「越後」のことになります。

 

この高志の国には、8つの川があり、川ごとに長(リーダー)がおり、この長のことを「大蛇(オロチ)」と呼んでいたそうです。

 

つまり「八岐大蛇」とは、それぞれの川を支配していた人間のことだったと伝えているのです。

 

記紀では、スサノオが八岐大蛇をベロベロに酔わせて首を切って退治していく様子が描かれていますが、正統竹内文書では、八岐大蛇と称される8人の王を治めていたのが「ヌナカワヒメ」と呼ばれる巫女だったと伝えているのです。

 

つまり、高志の国の祭祀王がヌナカワヒメだったというわけなんです。

 

 

 

記紀では、ヌナカワヒメはオオクニヌシと結婚したとされており、その息子が諏訪大社の主祭神であり出雲の国譲りのタケミナカタと記されています。

 

けれど、正統竹内文書では、

八岐大蛇のトップがヌナカワヒメであり、スサノオと結婚している

と密かに伝えているのです

 

 

つまり、ニギハヤヒの名前に含まれている「クシタマ」というのは、スサノオが治めた高志の国の長という意味が含まれているんです。

 

 

ということで、ニギハヤヒは、その名前から

 

スサノオ国(出雲国)

アマテラス国(日向国)

ツクヨミ国(ユダヤ=龍族)

 

だけでなく

 

高志国(蛇族)

 

も治めている 4つの国の統一王 だということを示しているのです。

 

 

 

さて、ニギハヤヒが大和の初代統一王になった頃に、スサノオが亡くなります。

 

その後、スサノオ国とアマテラス国はどうなったのでしょうか?

 

 

 

スサノオが治めていた出雲国は、末子相続だったので、末っ子のスセリビメと結婚したオオクニヌシが王様となっておりました。

 

オオクニヌシは、中東あたりをルーツとする外国人(竹内睦泰さんははっきりとユダヤ人だと述べています)でしたが、王様になってからは出雲のために国つくりに励みました。

 

記紀では、民を思う優しい王様=オオクニヌシとして描かれています。

 

 

 

 

そんな中、スサノオが亡くなるのを虎視眈々と待ってリベンジを狙っていたアマテラスは、一気に出雲に攻めてきます。

 

この時、オオクニヌシの息子のひとりである「タケミナカタ」は、アマテラス軍と戦うことを決意しますが、もう一人の息子である「アジスキタカヒコネ」は、アマテラス軍とは戦わず、妹の「下照姫」とともに、大和に亡命します。

 

その後、オオクニヌシの息子のタケミナカタは、アマテラス軍のタケミカヅチに敗北し、出雲国はアマテラス国(日向国)に下ることになってしまいました。

 

 

 

 

一方、大和に亡命したアジスキタカヒコネは、妹の下照姫をニギハヤヒに嫁がせることで、大和の権力者となりかなりの地位に就きます

 

 

アジスキタカヒコネは、日向国は出雲を倒したことで勢いづき、次は大和を狙って来る可能性が高いと考えていました。

 

この時、大和にはニギハヤヒの家来のとんでもなく強い軍神「ナガスネヒコ」がいたので、簡単には負けないことはわかっていました。

 

けれど、両国が争うことで多くの民を失うことを危惧しました。

 

 

 

 

そこで、アジスキタカヒコネは日向国に赴き、

 

後の神武天皇の乳母である「玉依姫」と結婚する

 

ことで、戦いになることを回避することにしたのです。

 

 

 

このことにより、アジスキタカヒコネは、日向の国に大きなパイプを作りました。

その後、アジスキタカヒコネは水面下で動き、

 

日向の国の皇子イワレビコと、大和の国の姫を政略結婚させる

 

ように仕向けて行きます。

 

 

このことにより、日向と大和の最悪な戦いは避けれるはずだと考えました。

 

さらにこの時、大和の王であったニギハヤヒが病に倒れます。

 

 

 

ニギハヤヒには、「ウマシマジ」「タカクラジ」という息子がいましたが、ニギハヤヒが病に倒れた流れの中で、この二人は日向国と大和国の政略結婚に賛成をしていました。

 

 

ところが、大和の元支配者であった「ナガスネヒコ」は大反対し、日向国に戦いを挑んだのです。

 

そして、大和にやってきたイワレビコとその兄に対戦し、兄のイツセを死に追いやります。

 

 

戦争を起こさように穏便に事を図ろうと水面下で準備をしてきたアジスキタカヒコネにすれば「ナガスネヒコはなんということをしてくれたんだ」と激怒します。

 

 

ここで、大和国は

 

政略結婚賛成派 ~ アジスキタカヒコネ、ウマシマジ、タカクラジ

徹底抗戦派 ~ ナガスネヒコ

 

とに分かれて対立することとなります。

 

 

 

けれど、父親のニギハヤヒは危篤状態であり、ナガスネヒコはまだまだ大和に強い力を持っていたことから、分の悪いアジスキタカヒコネは、奥の手を使うことにしました。

 

 

アジスキタカヒコネは、元々、出雲を裏切って、大和のニギハヤヒにつきました。

 

そして、今度は、反対派のナガスネヒコとの対立で、大和を裏切る道を選んだのです。

 

 

 

もし、ナガスネヒコが日向国のイワレビコに勝利すると、ニギハヤヒが危篤状態の大和は、そのままナガスネヒコがトップの座についてしまいます。

 

そのことはどうしても阻止しなければならないと考えたアジスキタカヒコネは、名前を隠して「八咫烏」と名乗って、日向国の長のイワレビコに味方をしたのです。

 

 

イワレビコにしても、アジスキタカヒコネは、乳母である「玉依姫」の夫になるため、親戚みたいなものであり頼りになる存在でした。

 

 

 

そして、アジスキタカヒコネを味方につけたイワレビコは、再びナガスネヒコと対峙します。

 

この頃にはニギハヤヒは亡くなっており、ニギハヤヒの息子であるタカクラジもイワレビコに味方しておりました。

 

そのためナガスネヒコは、イワレビコ軍に敗北してしまいます。

 

 

 

正統竹内文書の伝承では、破れたナガスネヒコは殺されず、東北に逃亡したと伝えられています。

 

この辺りの話は「出雲口伝」と同じですよね。

 

 

 

 

こうしてイワレビコは大和を手に入れ、神武天皇となります。

 

神武天皇は、アジスキタカヒコネと玉依姫の娘の「イスケヨリヒメ」と結婚して、第2代「綏靖天皇」が誕生します。

 

 

 

 

アジスキタカヒコネは、逆境をチャンスに変えて裏天皇として君臨することとなります。

 

ここまでが、正統竹内文書で伝えられている「出雲の国譲り」から「大和の国譲り」までの伝承になります。

 

 

 

 

 

記紀で描かれている内容と大きく違う、衝撃的な話となるのですが、なんと!!

まだまだこの話の中には謎が隠されているんです。

 

次回は、その謎をご紹介したいと思います。

 

 

 

★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

 

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
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