ご訪問ありがとうございます。
前回は、
アマテラスの天の岩戸隠れは皆既日食のこと? 裏で操作していたのはツクヨミ?
について、ご紹介させていただきました。
今回、シリーズでご紹介している「正統竹内文書」ですが、内容が壮大なストーリーすぎて、信じられないし、ついていけないという方もいらっしゃるようです。
私が、この正統竹内文書についてご紹介しようと決めたのは、
・この伝承の内容が、私達タイの龍族シャーマンの間で伝わる伝承と類似する点が多いこと
・龍族のことを理解してもらう上で外せない伝承であること
・私達タイの龍蛇族シャーマン集団は、日本から離散してタイに来たツクヨミ一族であるが、ツクヨミについては記紀ではほとんど語られていないものの、正統竹内文書では一部語られていることと、解明のヒントがたくさん語られている
からです。
今後、龍族や龍神信仰のことを伝えていく上で、度々、引用することとなるのが正統竹内文書になるため、まずは一通りどのような伝承なのかをお伝えしておく方が、この先理解していただきやすいと思ったからです。
なので、もし興味がない~という方がいらっしゃったら、このシリーズはすっ飛ばしていただいてもいいので、興味がある方だけあと数回、おつきあいくだだいね。
では、前回までのお話を、簡単に整理しますと
日本神話では、スサノオとアマテラスの「誓」が終わり、二人は和解したはずでしたが、どうも「姉に疑われた」ということで気持ちが釈然としないスサノオは、高天原からの帰り道むしゃくしゃした気持ちを抑えきれずに数々の暴挙に及び、アマテラスが可愛がっていた機織女を殺してしまいます。
そのため、アマテラスはショックで天岩戸という洞窟に篭ってしまい、太陽神がいなくなったことで世の中は真っ暗な暗闇に包まれてしまいました。
これらの神話のシーンについて、正統竹内文書では、
・スサノオがアマテラスの機織女を殺したのは、二人が男女の関係を結んだということ
・アマテラスが洞窟に隠れたのはこの時「皆既日食」があったことを示しており、そのシーンを物語に仕立てた
ことを示していると伝えていました。
そして、暴虐の数々を働いたスサノオは地上に追放されてしまい、お腹を空かせてさまよっている時に、食べ物の神様「オオゲツヒメ」に出会い食べ物をご馳走してもらいますが、彼女が口やお尻から食事を出している姿を見て「汚いものを食べさせた」と怒りオオゲツヒメを斬り殺してしまいます。
この話は、古事記ではスサノオがオオゲツヒメを斬り殺したことになっていますが、日本書記ではツキヨミが同じく食物の神様であるウケモチを斬り殺したとなっており、人物が入れ替わっています。
正統竹内文書では、この話は「ツクヨミ」と「ウケモチカミ」の結婚を表しており、古事記ではツクヨミがスサノオに入れ替わっているのは、「悪いことはすべてスサノオのせいにする」というルールが存在しているからだと伝えられています。
そのため、「オオゲツヒメ」の名前に「オオ=大」「ゲツ=月」と、密かに「ツクヨミ」の存在を暗号として記しているとのことでした。
このことは、スサノオとアマテラスの戦争の背後にはツクヨミがおり、「この2つの氏族の戦争を裏で操作していた」可能性があることを暗に匂わしているとのことでした。
さて、ここまでが前回のお話ですが、この続きを紹介していくにあたって、記紀と正統竹内文書では時系列的にかなりタイミングがずれています。
まず、記紀ではどのように描かれているのかをご紹介します。
登場人物は、スサノオの時代から、義理の息子のオオクニヌシの時代へと変わります。
オオクニヌシはスサノオの娘のスセリビメの夫になります。
オオクニヌシは、息子のスクナビコナ(コトシロヌシ)とともに、日本中を回り様々な高度技術を伝えて国を開拓・平定していきました。
そしてほぼ日本列島が平定された頃、天界にいたアマテラスは、
「地上はもともと我ら天孫族のものだから返してくれ」
と言い出しました。
そして、アマテラスは、何人かの使者をオオクニヌシの元に遣わし交渉をします。
この交渉では揉めに揉めるのですが、最終的にオオクニヌシは、出雲に大きな社を建てることと引き換えに、アマテラスに国を譲ってしまいます。
これが記紀で「出雲の国譲り」として描かれています。
その後、アマテラスの孫の「ニニギノミコト」が地上に降り立ち、そこから何代か経って、現在の宮崎県に住んでいたイワレビコ(後の神武天皇)と兄弟が大和の地を狙い、大和の地を治めていたナガスネヒコと戦いになります。
ナガスネヒコは非常に強くて、この戦いで兄が戦死します。
その後イワレビコは八咫烏の力を借りてリベンジします。
ナガスネヒコには君主のニギハヤヒがおり、このニギハヤヒは元々は天界にいた天孫族だと判明します。
ニギハヤヒは、アマテラスの子孫であるイワレビコに大和を譲り、イワレビコは大和の橿原の地で神武天皇として初代の天皇となりました。
これが「大和の国譲り」です。
日本神話では、
・ 出雲のオオクニヌシの時代には、ニギハヤヒもナガスネヒコも登場しない
・ オオクニヌシ登場の数百年後の神武天皇の時代に、大和を支配していたのがニギハヤヒとナガスネヒコだとして描かれている
ます。
ところが、正統竹内文書では、
オオクニヌシの時代に、大和を治めていたナガスネヒコに、オオクニヌシが戦いを挑む
という流れで伝わっているのです。
つまり、オオクニヌシの時代に、すでにニギハヤヒとナガスネヒコがいたということになります。
日本中を平定した出雲族の王様であるオオクニヌシは、「残すは大和だけ」と考え大和制覇に向かいます。
つまり、日本制覇を最初に狙ったのは神武天皇ではなくオオクニヌシだったと伝えているのです。
この頃、大和は超絶強い「ナガスネヒコ」が支配しておりました。
オオクニヌシはこの強いナガスネヒコに戦いを挑みました。
ところが、ナガスネヒコは想像以上に強く、オオクニヌシは敗退を余儀なくされ琵琶湖まで追い詰められます。
オオクニヌシは、圧倒的な戦力の差の中で絶対絶命になり、死を覚悟します。
その時、彼方からクリスマスツリーのようにピカピカに輝く巨大船が助けに現れました。
水面を照らす巨大は船は、「奇魂(くしみたま)」「幸魂(さきみたま)」と呼ばれるものであり、このシーンは、オオクニヌシを助けにきた人物の登場シーンを伝えています。
そして、この人物こそが、今後の正統竹内文書の中で非常に重要な意味を持つ人物として、伝えられていくことになります。
それはいったい誰でしょう?
この船に乗っていたのが、なんと!!
ニギハヤヒなんです
ここでの重大なポイントとしては!
一般的に
オオクニヌシとニギハヤヒは同一人物ではないか?
と考察されています。
また、海部氏系譜でも
オオクニヌシの息子とニギハヤヒは同一人物である
といった伝承があります。
けれど、正統竹内文書では、
オオクニヌシとニギハヤヒは別人
だとして伝わっているのです。
みなさんには、この点の違いを覚えておいていただいて・・・
話を先に進めますね。
その巨大な船には、でかい鉾を立てて先頭に立つニギハヤヒがいました。
正統竹内文書の中でも、ニギハヤヒは、非常に不思議な人物として伝わっているらしくて、「ニギハヤヒがやって来たら、その戦いは絶対に勝つ」と言われてるそうです。
なので、ニギハヤヒの船を見たオオクニヌシの部下たちは、「これで勝った!!」と絶叫したそうです。
そして、このニギハヤヒは、圧倒的な力でナガスネヒコを倒し、オオクニヌシを助けました。
破れたナガスネヒコは、その後ニギハヤヒに従い部下となります。
では、突如現れてナガスネヒコを破り、オオクニヌシを助けたヒーローのニギハヤヒとはいった何者なのでしょうか?
古事記・日本書記では、「ニギハヤヒは天の世界出身の謎の神様」として記されており、先代旧事本紀では、「ニニギよりも先に地上に降り立ったアマテラスの孫」として記されています。
正統竹内文書では、ニギハヤヒの本名は「大年(オオトシ)」であり、スサノオの息子だと伝えられているのです。
スサノオの四男である大年、それがニギハヤヒの正体なんです!!
ここで、かなり情報量が多くなってきて頭が混乱してきたので、正統竹内文書で伝わる今までの流れを簡単におさらいしておきますね。
・ スサノオとアマテラスが戦ってスサノオが勝利する
・ スサノオとアマテラスは和解のため政略結婚してスサノオ優勢のまま1つにまとまる
・ アマテラスは最強のスサノオが死ぬのを待ち逆襲を決意する
・ アマテラスがスサノオの死を待っている間、スサノオの義理の息子のオオクニヌシが日本を統治する
・ オオクニヌシは大和の地を制覇しようとして敗北する
・ ニギハヤヒがオオクニヌシを助け大和を制する
となります。
この流れからわかることは、
・ アマテラスはスサノオに負けている
・ スサノオの義理の息子のオオクニヌシが日本を平定する
・ スサノオの四男は最強のニギハヤヒであり大和を制している
ということで、結局この時点で天下を制しているのは、スサノオということになります。
となると・・・古代日本の統一王はスサノオだったのか?
ということが気になってきますよね。
正統竹内文書では、なんと!
古代日本の初代統一王は、スサノオではなくその息子のオオトシ(ニギハヤヒ)である
と伝わっているのです!
ニギハヤヒの正式名称は
アマテラスクニテラス アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト
となります。
すごく長い名前になるのですが、なぜこんなに長いかと言いますと、初代統一王であるニギハヤヒの名前に、
大和族の神(アマテラス)
出雲族の神(クニテラスヒコ)
ある氏族の神(アメノホアカリ)
3つの名前が全部が入っているからなんです。
では、3つ目の名前の「ある氏族の神の名のアメノホアカリ」というのは、どのような氏族の神の名前なのでしょうか?
堪の良い皆様ならもうお分かりだと思いますが、そうです「ツクヨミ族」の神の名前です。
ツクヨミ族は、一度海外に行って長い時間をかけて、形を変えてその一部が日本に戻ってきました。
私達タイのツクヨミ一族も、その一部は日本に戻っています。
正統竹内文書は、武内宿禰の末裔である㈹3世武内宿禰こと竹内睦泰さんにより、一部は公開されていますが、すべてが公開されたわけではありません。
本当に言ってはいけないことは、隠されたままなんです。
その中でも、日本に帰って来たツクヨミの存在を詳しく言及することはタブーとされているようで、生前の竹内睦泰さんは、ツクヨミに関する話はずっと濁しておられました。
ところが、あるインタビューでポロっと、衝撃の情報を公開しちゃってるんです。
その内容とは
↓
かつて日本を出たツクヨミの氏族は、ユダヤ人と呼ばれる存在となり、その一部は「秦氏」という名前で日本に帰って来ている
竹内家でも使われている「三つ葉葵紋」
眞名井神社や日本中の神社で使われている「三つ巴紋」
は、「大和族」「出雲族」「秦一族」を表している
ということなんだそうです。
つまり、
古代の日本は、「大和族」「出雲族」「ユダヤ族」の3部族が、和合、融合してできた国である
と正統竹内文書は伝えているんです。
そして、それら3氏族をまとめ上げたのが、スサノオの息子である「ニギハヤヒ」だったわけです。
以前のお話を思い出していただきたいのですが、秦氏は渡来人なのに、日本に来るときにこそっと自分達の神様である「稲荷神=ウカノミタマノカミ」を持ち込んでいました。
このウタノミタマは、スサノオの系列でいうとスサノオの娘として系図では書かれている「出雲族」になります。
また、オオヤマクイノカミも秦氏の氏神ですが、スサノオの一族です。
以前、なぜ秦氏は渡来人なのに、出雲族を信仰しているのか?
という疑問がありましたが、これについて正統竹内文書では次のように解明しています。
つまり・・・
ツクヨミ族は長い年月をかけて世界中に拡散し、その一部がユダヤの民となりました。
そして日本に戻る約束を覚えていた一部のユダヤの民が「秦氏」として日本に帰還しました。
宇宙神、唯一真として絶対的な神になっていた「ツクヨミ」の神は、日本に入る際に、「豊受大神」や「ウカノミタマ」という神に姿を変え、当時の絶対的な権力者であったスサノオサイドについていたということになるのです。
渡来人秦氏や、同族である「加茂氏」が海外の神を祀り、かつ出雲族の神を信仰していたのは、このような背景があったからだということを、竹内睦泰さんがポロっともらした情報からは推測できるのです。
記紀での様々な疑問が、正統竹内文書では解き明かされているのですが、ただし、すべてが真実ではないと言われていますが、私的にはかなりぞくぞくする内容だと感じています。
また、正統竹内文書では、スサノオやアマテラスはもちろん、オオクニヌシやニギハヤヒも役職名とされています。
この時代のオオクニヌシの本名は、オオナムジという名前でした。
ニギハヤヒの本名は、スサノオの四男オオトシです
ニギハヤヒが天下の時に覇王スサノオが亡くなります。
そして、ここから、スサノオが亡くなるのを虎視眈々と待っていたアマテラスの逆襲が始まるのです。
次回に続きます。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne