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前回は、
謎だらけの「諏訪文明」は、ツクヨミの一族が築いたのかも?
についてご紹介させていただきました。
さて、タイの龍蛇族のシャーマンである私(龍愛)が、なぜ、日本の諏訪文明を深堀したり、渡来人秦氏のことを深堀したりするのか?
そろそろ、その理由をお話したいと思います。
私は、タイ人と日本人との間のクォーターであり、生まれたのは日本であり、日本の習慣や文化の中で育ちました。
母がタイ人と日本人のハーフであり、母方の祖母はタイのマスターシャーマンですが、日本の大学を出て日本で就職し、日本人の祖父と結婚したこともあり、人生の半分は日本で暮らしています。
現在、祖母はタイ国に戻り、マスターシャーマンとして、シャーマン養成所で先生をしております。
私は、20代半ばに、自分がシャーマンになる使命があることを知り、日本での生活を捨てて祖母の元に行き、シャーマンとしての修行を重ねております。
祖母がマスターをしているシャーマン養成所は精霊地であり、その場所は絶対に明かしてはならないとされており、タイの一般の人には全く知られていません。
私達のシャーマン養成所は、前にも話しましたが日本に関わる人が非常に多いです。
大半が日本人とタイ人のハーフやクォーターであったり、日本人の血が流れていたりします。
それがなぜかというと、実は、私達のルーツが日本のツクヨミ一族にあり、日本からタイに渡来してきた一族だからなのです。
なので、実はほとんどのシャーマンが日本語を話せますし、日本人以上に日本のことを勉強し知っております。
私たちの一族は、鬼界カルデラの大噴火をきっかけに日本列島から出て、アジア各地に渡り住みました。そして、そこの土地の人と交わって生きてきました。
一族の中でも、龍の女神信仰を持っていたのが私達の龍蛇族であり、ユダヤのレビアタン信仰や、出雲や諏訪等に伝わる龍神信仰とも、とても深く関わりを持っているのです。
このことは、長い長い年月、どこにも明かさずに一族内の秘密として受け継がれ、シャーマンとして密やかに務めを果たしてきました。
けれど、今、混沌とした世界情勢の中、日本の有名なシャーマン一族達が、一族内に伝わって来た伝承や口伝等を解禁するようになり、多くの人々に伝え始め出しました。
特に、正統竹内文書や籠神社の海部一族の系譜等が世に出たことは、私達の間でも衝撃的な出来事でした。
そして、発表された内容が、私達、タイの龍蛇族の間で伝わっていた口伝と非常に近いものであることにも衝撃を受けました。
さらに、私たちが信仰する龍神様からも、私達一族も使命を果たす時期が来たとお告げをいただき、一族の間で会議をした結果、私達の間に伝わっている口伝も解禁して、多くの人に伝えようということになったのです。
そんなことから、私は「龍神信仰」というものについて、今後もこのブログでお伝えしていく使命があると考えているので、とても複雑な話ばかりではあるのですが、どうかお付き合いいただければとありがたいです。
また、源九郎とよさんの周辺で、龍族の仲間を見つけるために動きだしている「愛」と「慈悲」の草の根活動についても、続けてお伝えしていきたいと思います。
それでは続けて、今回も私達・タイの龍蛇族のルーツとなる「諏訪文明」の謎についてご紹介していきますね。
まず、諏訪文明が栄えた時代なのですが・・・
ユダヤの歴史は、およそ4000年前に、族長であるアブラハムから始まったとされています。
これは日本では、ちょうど縄文時代後期に当たります
蛇の女神を信仰していたのは、ユダヤの枝分かれした氏族の1つである「レビ族」であり、巨大な龍を信仰するレビアタン信仰は、アブラハムの時代より後に生まれたと考えられています。
縄文時代で最も栄えたのは、縄文時代後期ではなく、5500~4500年前の縄文時代中期だと言われているのですが、この時代の諏訪地域の歴史を探ってみると、とんでもなく高度な文明が存在していたんです!
(5500年前といえは、ユダヤの歴史が始まる1000年以上前になります。)
では、この時代の諏訪文明を見ていきましょう!
山梨県と長野県にまたがる八ヶ岳周辺から、縄文時代中期のものとされる土器や土偶がとんでもない数発見されています。
その中でも、長野県の諏訪地域では、縄文時代中期の遺跡が集中して見つかっているんです。その数は3000件以上だと言われています。
当時の諏訪は、縄文時代において、誰もが憧れる大都会だったと想像がつきますよね。
では、なぜこの諏訪地域に、日本中の誰もが憧れる高度な文明が存在したのでしょうか?
それは、この地域が「黒曜石」が大量に採れる場所だったからなんです。
縄文時代中期は、火山から採れる「黒曜石」が人気だったのですが、特に諏訪地域から採れる黒曜石は品質が良いハイブランドでした。
さらに、諏訪から採れた黒曜石は、日本中に出荷されていた痕跡があり、
・ 黒曜石を加工する集落
・ 巨大な原石を保管する集落
・ 加工済の黒曜石を保管する集落
等が日本中に点在していました。
そして、この諏訪で作られる土器についても、レベルが高すぎて、たんなる道具ではなく芸術作品となっているんです!
↑ これ、すごいと思いません?
これだけの土器を造ろうと思ったら、今の技術を持っても難しいそうです。
下の土偶は、超有名な「縄文のビーナス」と呼ばれている土偶だそうです。
縄文時代中期に作られたものだそうで、長野県で作られました。
縄文時代に作られたとみられる土偶のほとんどが、女性的な特徴を持っており、妊婦の姿をしているので、当時は女神信仰が一般的だったのではないかと推測できます。
下の写真は、長野県榎垣外遺跡で見つかった土器ですが、中央に蛇と蛙の足が描かれています。
これは、諏訪大社の蛙狩神事や御室神事を連想させる土器ですよね。
さらに、諏訪地方で作られた縄文時代の最高のクオリティーと考えられている土器が、神像筒形土器と呼ばれているものであり、神を形どった土器だそうです。
この神像土器は「井戸尻考古館」に陳列されているのですが、この考古館は、土器模様の意味を図像学的に読み解く独自研究を続けていて、その研究によると「この神像に刻まれている模様は天体の運行を司っており、この神は『月の神』である」と解読されているんです。
こうなると、諏訪地方で見つかっている縄文時代中期の土器や土偶は「蛇神」「女神」「月神」を表現しており、完全にツクヨミを連想させますよね
みなさん、記紀神話を思い出してほしいのですが、ツクヨミはどこから産まれたのか?といいますと、イザナギの右目から産まれているんです。
なぜ、記紀ではツクヨミは右目から産まれたと設定されたのか?
次回は、この点について私達龍蛇族に伝わるお話をご紹介したいと思います。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne