縄文時代に諏訪の地で文明を築いたのは「ツクヨミの一族」だったの? | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

 

前回は、

 

諏訪大社の秘密の1つである「ミシャグジ神」と「ソソウ神」が交わる「御室神事」

 

についてご紹介させていただきました。

 

 

 

諏訪大社には、今も解き明かされていない、いくつかの秘密があります。

 

諏訪大社の秘密を紹介するだけで、1カ月くらいはブログネタに困らないくらい、本当にたくさんの謎がかくされており、調べれば調べるほど、どんどん深みにはまって行くんです。

 

 

 

今回は、この諏訪の地に縄文時代から存在した、非常に高度な文明である「諏訪文明」について、ご紹介していきたと思います。

 

 

前回までのお話で、諏訪大社に伝わる祭や神事は、

「縄文人」「ユダヤ人」「出雲族」

といった様々な文化が混ざり合って生まれた複雑なものだということがわかりました。

 

 

この3つの中で、縄文時代から土着の一族として文明を築いてきたのが、神長官の守屋一族です。

 

 

この守屋一族については、非常にすぐれたシャーマン一族になるのですが、まだまだ謎がいっぱいですよね。

 

 

この守屋一族は、出雲族から来たタケミナカタと諏訪の権力を巡って戦うのですが、その際、タケミナカタは木の武器を使用し、守屋一族は鉄の武器を使用して戦ったことを思い出してください。

 

 

この伝承から、守屋一族は「製鉄の技術」を持っていたことがわかります。

 

 

 

日本で本格的な製鉄が開始されたのは、5世紀ころだと言われています。

 

タケミナカタと守屋一族は、記紀の記録を考えたら「紀元前」の話だと考えられるので、守屋一族の技術が残されている史実から考えると進みすぎているですよね。

 

 

 

ここで考えられるのは、

 

〇 守屋一族は、縄文時代から鉄を扱えた存在だった

〇 海外から渡来した民族であった

 

かの、どちらかの可能性があるのです。

 

 

 

以前にご紹介した、諏訪大社のお祭りである「御頭祭」は、鹿の頭を供物として捧げる祭でしたが、これは旧約聖書の「イクサ」のエピソードがモデルになっているのではないか?といわれています。

 

 

アブラハムの息子のイサクが神の生贄に捧げられそうになった場所が、「モリヤ山」だと言われています。

 

「モリヤ」というのは、「神が見る」という意味であり、旧約聖書のモリヤ山は、その正確な場所は明らかになっていませんが、諏訪大社のご神体も山そのものであり、その山は「守屋山」とされています。

 

 

 

 

守屋氏の伝承とユダヤの伝承には、奇妙なほど多くの類似点が見つかっているのですが、この守屋山には、違う角度からさらにもう1つの伝承が残されているのです。

 

 

この守屋山には、蘇我氏との戦いで敗北した「物部守屋」の一族が訪れていたのです。

 

 

物部氏と言えば、日本に仏教を入れたい蘇我氏に反対して戦い破れた氏族です。

 

諏訪の支配者であった守屋大臣は、姓が守屋で、物部守屋は名前が守屋なので、何か関係がありそうですよね~!!

 

 

 

物部文書には、物部一族は、蘇我氏との抗争に敗れた後、東北に逃れたと記されており、諏訪・守屋氏の家伝では、「物部守屋の次男である武麿が、蘇我氏との戦いの後、守屋山に逃れてきた」と伝えられているのです。

 

 

その証拠に、守屋山の頂上付近に「物部守屋神社」があるんです。

 

さらに、物部武麿は、諏訪に来てから守屋一族の養子になり、そのまま最高職の神長官になったのです。

 

 

 

このことは、普通で考えたらありえないことですよね。

・・ということは、物部守屋一族と、諏訪の支配者守屋一族は、元から何かしらの繋がりがあったと考えられるのではないでしょうか?

 

 

 

物部氏の祖神といえば、ニギハヤヒノミコトですよね。

ニギハヤヒは、オオモノヌシと同一視される神様です。

 

 

そして、オオモノヌシは「蛇の姿をしている神様」です。

 

古くから諏訪で信仰されている「ミシャグジ神」も蛇の姿をしていたと言われています。(現実的には、ミシャグジ神と交わるソソウ神が蛇体とされており、同一視されている)

 

 

 

ニギハヤヒは、蛇体を持つオオモノヌシやスサノオの息子「大年」と同一視されますが、記紀の系図を見ると、大年の妹に「ウカノミタマ」という女神様がいます。

 

 

思い出してほしいのですが、このウカノミタマの正体については、稲荷神社の御祭神になり、同時に伊勢神宮や籠神社で祀られる「豊受大神」と同一視され、渡来人の秦氏が日本に持ち込んだと言われる彼らが信仰していた神様になりましたよね。

 

 

そして、このウカノミタマは、別名を「宇賀神(ウガジン)」という蛇神様としても扱われていましたよね。

 

つまり、ニギハヤヒも妹のウカノミタマも、その正体は「蛇体」を持つ「蛇神様」であり、その子孫である物部氏が、蛇神信仰を持つ諏訪地域にゆかりがあったとすれば・・・

 

 

そのルーツは、いったいどこにあるのでしょうか?

 

 

 

正統竹内文書では、ニギハヤヒとウカノミタマの母親については、「神大市比売(カムオオイチヒメ)」というユダヤのレビ族の祭祀王であったということが伝わっています。

 

そのカムオオイチヒメの息子のニギハヤヒは、ユダヤ・レビ族の長だったので、ニギハヤヒの子孫である物部一族のルーツも、当然レビ族に繋がってきます。

 

 

そして、ユダヤ・レビ族が信仰していたのが、巨大な蛇の女神「レビアタン」です。

 

 

このことは、古代諏訪に残る蛇信仰と、ユダヤ・レビ族の蛇の女神信仰が、繋がっていたことを証明しています。

 

つまり、物部氏と諏訪の守屋一族のルーツは、ユダヤ・レビ族にあり、「蛇の女神信仰」が原点となっているのです。

 

 

物部武麿が、諏訪に来てあっさりと守屋一族に受け入れられ、それだけでなく、すぐに神長官の役職に就けたのは、元々が守屋一族と同じルーツを持つ、ユダヤ・レビ族の血をひくシャーマンの末裔だったからということになりますね。

 

 

 

私が、タイのシャーマン養成所でマスターから伝え聞いた話は、

 

「鬼界カルデラの大噴火により、日本を追われたツクヨミ氏族は、その後世界中に離散され、様々な形に姿を変えたけれど、日本に残り続けたツクヨミの氏族もおり、そのツクヨミの氏族が諏訪の地で縄文的な蛇の女神信仰を持ち続けた」

 

という内容の伝承でした。

 

 

諏訪大社の神紋になっているユダヤのメノラー的な梶の葉紋や、ユダヤの名残が見られる「御頭祭」、守屋氏の十字架を連想させる家紋等が伝えているように、諏訪の地に残ったツクヨミの一族は、その後も、ツクヨミの末裔であるユダヤ人や、良く似た信仰を持つ人々を受け入れ続けたそうなのです

 

 

 

 

 

 

 

ここで、さらにもう一つ疑問があります。

 

 

 

なぜ、出雲のタケミナカタが諏訪に受け入れられ、実質的に守屋一族が実権を握っているものの、「現人神」という最高のポジションに就けたのでしょうか?

 

 

もう一度、タケミナカタのルーツを辿ってみましょう!!

 

タケミナカタは、ユダヤにルーツを持つ大国主の息子なので(正統竹内文書での口伝)、ツクヨミ一族が住む諏訪に入る権利があります。

 

タケミナカタの祖父であるスサノオは、ユダヤ・レビ族の祭祀王である神大市比売を妻としていることを考えると、ユダヤの血をひき、スサノオの末裔でもあるタケミナカタは、とても地位の高い人だったわけです。

 

当時の出雲とツクヨミの力関係においても、出雲の方が上でした。

 

そのため、実権はツクヨミ一族の末裔である守屋一族が持ちながらも、タケミナカタ一族は、建前上、国のトップとされる大祝という役職に就けてもらった・・というのが、本当のところではないでしょうか?

 

 

もし、日本から出なかったツクヨミの氏族が存在した・・・という仮説が本当であったとしたら、ツクヨミの痕跡や、レビ族のレビアタン信仰より前に存在した、縄文時代の「蛇の女神信仰」が諏訪の地から見つかっているはずです。

 

 

次回は、さらに諏訪文明について、ユダヤとの関係などを説明していきたいと思います。

 

 

 

 

★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne