古代諏訪信仰が満載の諏訪大社は、超・超・謎すぎる神社です! | 地下都市パヤナーガに住むタイ龍蛇族の姫★龍愛(りゅうあ)のブログ

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龍蛇族の姫である龍愛(りゅうあ)がお伝えするスピリチュアルなお話を紹介します

ご訪問ありがとうございます。

 

 

前回は、

 

翡翠の女神「ヌナカワヒメ」がどういう女神なのか?と、彼女の息子であるタケミナカタが主祭神である謎だらけの「諏訪大社」の簡単なご紹介

 

をさせていただきました。

 

 

私には、日本とタイのどちらの国の血も流れておりますが、私がどちらの国も大好きで大切にしている理由としては、

 

仏教国であること(日本では神道、タイでは精霊信仰があること)

エンペラー(天皇)とキング(王様)が国の中心にいること

控えめで、優しく穏やかな国民性であること

 

といった共通点があるからです。

 

 

 

日本は今、天皇は国の象徴であると憲法で位置づけられていますが、太古の昔から天皇は現人神として日本国民の心の拠り所でした。

 

日本の神様というのは、

神仏習合を強要されたり

国家神道のもとに国民が戦争に駆り立てられたり

 

・・と、長い歴史の中で、神々は常に人間の権力や闘争や政治によって汚されてきました。

 

 

 

前回、お話したタケミナカタ一族の「その身に神を下ろす『大祝』」という神聖な役職も、明治維新の際に廃止されてしまいました。

 

 

今、天皇陛下を「現人神」として称えると、右翼として世間からは白い目で見られます。

私は、日本人の屈強な精神や連帯感は、天皇陛下を中心とする神道の価値観から来ていると考えています。

 

神道は太古より信仰されてきた日本の魂ともいえる存在です。

自然に対して畏敬の念を抱き、神羅万象すべてに神がやどると考え、祖霊を祀り、祭祀を重視する信仰でもあります。

 

 

神様という存在は、日本人の精神文化に大きな影響を与えるものだと考えているだけに、私のブログを読んでくださる皆様には、日本の神様や神社、日本神話等をより深く知っていただきたいと思っています。

 

 

できるだけ、わかりやすくお伝えできればと思いますが、歴史に隠された秘密の数々は様々な解釈がありますし、たくさんの登場人物がいますので、混乱してしまう部分もたくさんあります。

 

 

つたない文章ではありますが、日本人の精神の形を伝えるために、これからも私が修行の中で学んだ、神様達の歴史について、ご紹介していきますので、お付き合いくださいね。

 

 

 

 

では、今回は、続けて大いなる謎がかくされた「諏訪大社」に、迫ってみたいと思います!!

 

諏訪大社は、長野県の諏訪湖を挟んで

 

諏訪大社上社前宮

諏訪大社上社本宮

諏訪大社下社春宮

諏訪大社下社秋宮

 

の計4社で構成されています。

 

この4社のうち、上社本宮、下社春宮、下社秋宮の3社は、拝殿のみで本殿がない神社になります。

 

唯一、本殿がある上社前宮の本殿も、通常の神社のスタイルとは異なっているため、諏訪大社は、神社神道以前の最も古い信仰形態を現在も続けていると言われています。

 

他に、諏訪大社と似た原始信仰のスタイルを持つ神社は、奈良県の大神神社が有名です。

 

 

まず、お社からして原始信仰のスタイルであるところからして、秘密が多い神社である臭いがプンプンしてくるのですが、他にも信仰スタイルや神社で行われる神事なども、とても変わっていて謎が多いんです!

 

ということで、古代諏訪信仰の秘密を深堀していきたいと思います!

 

 

諏訪大社の代表的な主祭神は、何度も登場してきている「タケミナカタ(建御名方)」です。

 

タケミナカタは、大国主とヌナカワヒメとの間の息子であり、出雲の代表的な神様になりますが、なぜ諏訪の地にきたのかについては、前回お話したとおりです。

 

 

タケミナカタの諏訪地域における貢献は大きく、稲作文化をこの地に伝えたことなどから「五穀豊穣」を祈る神ともされている他、風や水の守護神、さらにはその強さから「武勇の神」として広く信仰されることになりました。

 

 

私は諏訪地域の伝承を勉強していた時、「へえ、タケミナカタって風を司る神でもあるんだ?」と、意外に思いました。

 

考えてみると、タケミナカタの故郷である出雲は「水」や「風」を操る「龍神信仰」が盛んな地だから、それは当然でもあるのですが、さらに深く調べると、諏訪地方自体が、龍神信仰が盛んな地であることがわかりました。

 

実際に、鎌倉中期に起きた二度にわたる元寇はいずれも、「神風」と呼ばれる嵐が、勝利の要因だと伝えられていて、この神風は諏訪の龍神が起こしたものだといった解釈もあるのです。

 

 


神道においては、風を司る存在とは「シナツヒコ(組長津彦)」という神になります。

シナツヒコは、奈良県にある「龍田大社」の祭神であり、龍神として知られています。

 

シナツヒコの「シナ」とは、「行きしな」、「帰りしな」という言葉があるように、中間や間という意味の他にも、また「長い息」という「風」を表す意味があります。

 

 

また、諏訪大社がある「信濃国」の「シナ」も風を意味しているという解釈もあります。

 

そんなことから、元々、諏訪の国にあった風を司る龍神信仰が、タケミナカタと融合したことで、タケミナカタ神が「風の神」としても信仰されるようになったのではないかと言われているんです。

 

 

 

次に、前回にも少し紹介しましたが、諏訪大社には変わったお祭りがあります。

 

 

蛙を串刺しにして供物としてささげる「蛙狩神事」

鹿の首のはく製を神に捧げる「御頭祭」

 

など、生き物を生贄にして神に捧げるという祭りが執り行われているのです。

 

 

かつての御頭祭は、鹿の首のはく製ではなく、実際に仕留められた75当の雄鹿の首が捧げられていたそうです。

 

 

これらの祭りは、完全に「生贄文化」だと言えます。

ところが、縄文時代には「生贄文化」をしていた形跡が発見されていないんです。

 

そこで考えられるのは、諏訪にいた人の中に日本以外のルーツを持つ存在がいたということです。

 

 

前回、諏訪の地に逃れたタケミナカタが、諏訪でトップになろうと決断して、当時諏訪を治めていた「守屋大臣」と戦ったという話をしましたが、その時に、守屋大臣が使用した武器というのが「鉄製の鉤」だったことを思い出してください。

 

つまり、当時の諏訪地方を治めていた守屋一族は、鉄を作る技術を持っていたということになり、渡来系だった可能性が考えられるのです。

 

 

 

では、次に、諏訪大社の「神紋」を見て見ましょう!

 

 

これは、「梶の葉」と呼ばれる神紋になります。

 

古代より、「梶」とは神に捧げる神木として尊ばれており、七夕において願い事を記す道具である短冊の起源になった植物です。

 

そのため、梶の葉は、七夕において「織姫」と「彦星」が会合するように「陰陽和合の象徴」として考えられてきました。

 

 

 

この陰陽和合は、古代から続く諏訪信仰において、とても重要な要素の1つになります。

 

タケミナカタは、出雲の国譲り物語では、最後は諏訪まで追い詰められて、諏訪の地に封印されたとなっています。

 

 

諏訪地域にとっては、外来の神であるタケミナカタが諏訪に鎮座する前に、守屋一族が信仰する土着の信仰がありました。

 

これについては、また詳しく説明していきたいと思いますが、「ミシャクジ信仰」と呼ばれるものです。

 

 

ミシャクジ信仰は、縄文時代から続く「狩猟民族の信仰」だと考えられており、稲作文化をもたらしたタケミナカタは「弥生時代を象徴とする農耕民族の信仰」だと伝えられています。

 

そして、この2つの陰と陽の信仰は、対立することなく和合したのが諏訪信仰なのです。

 

 

 

 

また、梶の葉については、葉の中に入っている線が、ユダヤを表すシンボルの「メノラー」に良く似ていると言われています。

 

 

 

 

メノラーは、基本的に7本なんですが、梶の葉も7本の線になっています。

 

 

さらに、諏訪に残る伝承と、ユダヤの伝承には、驚くべき類似点がいくつも存在するんです!

 

 

 

ユダヤの旧約聖書の一説に「イサクの燔祭(ハンサイ)」というエピソードがあります。

 

 

神に選ばれたアブラハムは、全く子供ができませんでした。

そして、かなり年老いてから、「イサク」という息子が生まれました。

歳をとってから生まれた子だったので、アブラハムはイサクが目の中に入れても痛くないほど可愛くてなりませんでした。

 

ところが、ある日、神様がアブラハムの前に現れて「息子を生贄に捧げるのだ」と命じてきたのです。

これは、神がアブラハムの忠誠心を試すために行った試練でした。

 

アブラハムは、たいそう悩みましたが、腹をくくりイサクを縛り付けてナイフを振り下ろしました。

その時、天使が現れえて、アブラハムを止めたため、イサクは無事でした。

このことにより、アブラハムの忠誠心は確かなものだと判断されました。

 

けれど、息子の代わりに何か生贄を授けないといけないと思ったアブラハムは、雄の羊を神への生贄として捧げました。

 

 

これが旧約聖書に記される生贄のエピソードの1つになります。

 

 

 

 

次に、諏訪に伝わるエピソードをご紹介しましょう。

 

 

はるか昔、ある少年が神の使いとして生贄にされそうになっていました。

その少年は御柱に縛られて、刀で斬られそうになっていました。

すると、馬に乗った謎の男が、この少年を助けて解放しました。

 

そして、「人間ではなく75頭分の鹿の頭を捧げるのだ」と、伝えてどこはに去って行きました。

 

このことが、御頭祭の始まりになったという伝説になります。

 

 

 

ほとんど、イサクの話と一緒ですよね!

 

 

さらに、旧約聖書には、イサクが殺されそうになった場所が「モリヤの地」だと記されているんです。

そして、この山が後に「モリヤ山」と呼ばれることになりました。

 

 

モリヤというのは、ヘブライ語で「ヤハウェが見る」という意味になります。

 

今でも、このモリヤ山が、どこにあるのかはわかっていないのですが

 

・ユダヤの王であるソロモンが、モリヤ山で神殿の建築を始めている

・ソロモンの父ダビデの前に神が現れた場所

 

とも記されているので、とても神聖な場所になったことは間違いないと思います。

 

 

 

タケミナカタと対峙した諏訪の支配者の名前が守屋ですが、諏訪大社の御神山とされている山も「守屋山」と呼ばれているんです。

 

これらの繋がりは、果たして偶然なのでしょうか?

 

 

 

さらに、諏訪大社の御柱祭では、巨木を切り倒す「木落とし」や、巨木ごと川を渡る「川越し」という催しが行われます。

 

ユダヤの伝承にも、ソロモン王がエルサレムに神殿を建てる時、レバノン杉を山から滑り落としたり、海路を使って運んだと言う記述が残されています。

 

 

とても偶然とは思えないですよね~!!

 

 

ということで、推測されるのは、古代ユダヤ人が日本を訪れており、当時の縄文文化と融合し、さらに後からやってきた古代出雲族と混ざり合ったとすれば、この諏訪地は、「縄文」「ユダヤ」「出雲」がミックスされた多重構造になってきます。

 

かつての諏訪地域は、あらゆる文化や宗教を調和し、共存することができる、とてもつもない受け皿だったのではないでしょうか?

 

 

 

ということで、なかなか諏訪の地は興味を惹かれる場所でしょ?

 

でも、まだまだ、今回のお話は、諏訪の謎の入口でしかありません。

 

明日からは、諏訪地方の元々伝わっていた土着信仰である「ミシャクジ信仰」についてご紹介したいと思います。

 

 

 

★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ


とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、

源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された

ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。

 

このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。

私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。

 

そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。

源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne