ご訪問ありがとうございます。
前回は、
源九郎稲荷神社復興ブログが結びつけた「ヌナカワヒメ」の魂を持つ女性との出会い
ついてお話をしました
私や源九郎とよさんは、今の混沌とした世界にとても危機感を持っています。
そして、本来の日本人が持つ、優しくて愛と慈悲に満ちた魂こそが、美しい日本を取り戻す鍵だと考えています。
そこで、自分達ができる範囲で、ボランティアなどを通じて、多くの人達と愛と慈悲で繋がる関係を構築するための活動を行っています。
私たちは、新興宗教を作りたいわけでも、自分を教祖として崇拝してもらいたいわけでもありません。
ただ、自分達の日々の生活の中で、忘れかけている大切な日本人の魂を取り戻し、一人一人が、本来の日本人として生きることを願っているだけです。
なので、私のブログも、龍族と呼ばれた古代日本の先祖様のことを、ひとりでも多くの人に知っていただくことで、日本を大切に思う心を取り戻してもらいたいと考え、私がシャーマンの修行の中で学習した日本の歴史等を紹介しております。
そこで、ここまでは、源九郎とよさんがタイで出会った隼人の末裔の二人について、記紀や正統竹内文書、出雲口伝等を参考にしながら、浦島太郎伝説や山幸彦&海幸彦、桃太郎伝説などとの関連についてご紹介してきました
とりあえず、いったん隼人を始めとする海洋民族のお話は、一旦、脇に置いておいて、今回は先に進みたいと思います。
これから、ご紹介していくのは、源九郎とよさんが、「源九郎稲荷神社の復興ブログ」を通じて知り合った「ヌナカワヒメ」の魂を持つ女性に関連するお話です。
前回のブログで、私は彼女のことを「翡翠の姫」と呼ぶことにしておりますので、この先もその呼び方で話を進めていきたいと思います。
翡翠の姫は、日本とタイに住む日本人とを結ぶ、とても重要な役割を果たすキーワードとなる人物です。
では、彼女の過去世となる「ヌナカワヒメ」とは、いったいどのような人物だったのでしょうか?
その前に、みなさんに先に頭に入れておいてほしいのが
・ ヌナカワヒメの夫は「大国主」
・ ヌナカワヒメの息子は「タケミナカタ」
・ 諏訪神社の主祭神は「タケミナカタ」
です。
では、まず大国主がヌナカワヒメの妻となった経緯からご紹介しますね。
ヌナカワヒメは、大国主の神話の段に登場する女神であり、龍神だとも言われています。
この時代、国を平定していくということは、その国の姫と婚姻関係を結んでいくということになります。
古代出雲国の王であった大国主は、越の国を平定するに際し、越の国のトップに君臨していた「ヌナカワヒメ」を妻ようと考えました。
越の国といえは、「ヤマタノオロチ伝説」がある場所です。
ヤマタノオロチとは、一見、竜のような顔を8つ持つ大蛇ですが、実のところは越の国を流れる8つの川のことを指します。
8つの川の流域には、それぞれ国があり、それぞれの国に王がいて、連合国となっていました。
ヌナカワヒメは、8つの国の王を束ねる立場にあり、越の国の統合国の女王でした。
越の国は、後に「越前」「越中」「越後」「能登」「加賀」に分割されますが、ヌナカワヒメが支配していた頃は、北陸全体を指していたと考えられています。
とても賢い祭祀王であり、また非常に美しい女王だったそうです。
大国主には、すでに「スセリビメ」や「ヤガミヒメ」などの妻がおりましたが、ヌナカワヒメを妻に娶るために、求婚の歌を詠んだと古事記にはその歌の内容が記されています。(大国主が読んだ求婚の歌については、ここでは割愛しますね。)
大国主の求婚は成功し、二人は晴れて夫婦になり、二人の間には、「タケミナカタ」という息子と「ミホススミ」という娘の二人の子供を授かっています。
「ヌナカワヒメ」の「ヌナカワ」は、「玉の川」という意味であり、翡翠を表していると考えられており、そのためヌナカワヒメは、越の国の翡翠を支配する祭祀王でした。
民話の中では、大国主とヌナカワヒメは夫婦仲が冷え込み、最後、ヌナカワヒメは入水自殺したと伝えられていますが、これは、出雲国と越の国との間に、何かトラブルがあり国同士が決別したことを表していると思います。
翡翠の国である「越の国」のトップに君臨していた「ヌナカワヒメ」は、どのような祭祀王であったのか? とても興味が湧きますよね。
彼女のことを探って行く前に、記紀神話に描かれている息子の「タケミナカタ」が主人公となる「出雲の国譲り物語」と、彼が祀られている謎ばかりの神社「諏訪大社」について、紹介していきたいと思います。
みなさんは「諏訪大社」をご存知でしょうか?
日本最古の神社とも言われている、格式高い神社です。
諏訪大社は全国に2万5千社ある、諏訪神社の総本宮になります。
長野県諏訪湖周辺に存在する4つのお宮を総称して、諏訪大社と呼びます。
諏訪大社では古くから巨木にまたがって急な崖を滑り落ちる『御柱祭』が有名であり、みなさんも一度はテレビ等で、このお祭りの様子を見られたことがあるのではないでしょうか?
また、カエルを生贄に捧げる『蛙狩神事』や、鹿の首を切って神に捧げる『御頭祭』等、ちょっと他では見られないような祭りや神事が盛りだくさんな神社になるんです。
蛙を生贄に捧げたり、鹿の首を切る理由は、未だに明らかにされていないんです。
今でこそ鹿の頭ははく製を使用しているそうですが、昔は実際に鹿の首を切り落としていたそうです。
この特殊な神事を持つ諏訪大社には、タケミナカタの母である「ヌナカワヒメ」が祀られていることから、ヌナカワヒメを知る上で、とてもとても重要な神社になります。
さて、まずは、諏訪大社の主祭神である「タケミナカタ」がどのような神様であったのか? 簡単に説明しておきますね。
記紀に描かれている日本神話の中でも、特に重要なのが「出雲の国譲り」です。
天界を治めていたアマテラスが、地上を治めていた大国主に対して「地上世界はもともとはわらわのものだから、地上を返しなさい」と迫った大事件です。
大国主は、息子の事代主と共に、力を合わせて地上を平定していった偉大な神様になりますが、アマテラスから地上を返せと迫って使者を送り込んできた際、接待をしたりして仲良くなり、それらの使者を取り込んでいくんです。
次々に使者を取り込まれてしまったアマテラスは、最後に力自慢の「武御雷(タケミカズチ)」という武神を地上に送り込みます。
このタケミカズチは、とんでもなく強い神様であり、大国主は「出雲を明け渡します」と観念しました。
息子の事代主も、父親に従って出雲を譲ることに同意します。
ところが、ヌナカワヒメとの間に生まれた「タケミナカタ」だけは、納得しませんでした。
タケミナカタも武神として、とても強い神様であり、千人くらいでやっと動かせるようでかい岩をお手玉のように手先で遊びながら現れました。
そして、タケミカヅチの神と、がっつりと組みあって戦いを始めました。
これが「相撲の原型」とも言われており、諏訪大社にはお相撲さんの像があるそうです。
ところが、タケミカヅチは思った以上に強くて、タケミナカタの腕を引きちぎって投げ捨ててしまいます。
このタケミカヅチの脅威的な強さに、タケミナカタは戦意消失してしまい、逃げ出してしまいます。
その後をタケミカヅチも全力で追いかけて行き、出雲から壮絶な追っかけっこが続き、タケミナカタは、ついに諏訪の地まで追い詰められてしまいます。
諏訪の地でタケミナカタは降参し、「諏訪の地からは二度と出ない」という約束を交わしたのです。
このことにより、出雲族の敗北は確定し、タケミナカタの一族は諏訪の地に閉じ込められてしまいました。
そして、晴れて出雲の地は天孫族のアマテラスのものとなったのです。
ここまでが、記紀で描かれている出雲の国譲り神話の概要になります。
実は、この話には記紀には描かれていない続きがありました。
出雲の地を追われて、諏訪の地で生きて行くことを約束させられたタケミナカタは、諏訪の地を制覇してトップの座に就くことを決意しました。
当時の諏訪後には、古くから諏訪の地に君臨していた「守屋大臣」という別の支配者が存在していました。
そのため、タケミナカタは、今度は守屋大臣と戦うことになりました。
守屋大臣は鉄でできた鉤(かぎ)
タケミナカタは藤の木でできた鉤
をそれぞれ武器として装備して戦いました。
素材的には、圧倒的な戦力差があったにも関わらず、なんとタケミナカタが勝利し、諏訪のトップとなったのです。
歴史の通説でいうと、敗者は追放されたり、殺されたりするのが普通ですが、なんとタケミナカタはそうせずに、守屋大臣を重要な役職に就けるのです。
彼らはあらゆる御神事を取り仕切る「神長官(じんじょうかん)」という役職に就けられたのです。
神長官は、神に願い事をする力を持っており、古くから諏訪地方で祀られていた「ミシャグジ」という神を扱える唯一の存在でした。
守屋一族は、もともとミシャグジという神を扱うことができました。
そして、戦いに勝利したタケミナカタ一族は、その後、神をその身に降ろす「大祝(おおほおり)」という役職に就きます。
大祝は、神そのものとも言える「現人神(あらひとがみ)」であり、諏訪社の頂点に位置する存在になります。
つまり、諏訪国は「目に見えない神様を崇拝するのではなく、神が憑りついたその人自身を神として崇拝する」という、世にもめずらしい「生き神信仰」という形をとっていたのです。
さらに、古代諏訪では幼子がこの大祝という役職に即位していたらしく、そのため実質的な政治の政権は、神長官である守屋一族が握っていたと考えられています。
幼い天皇の代わりに政治を取り仕切っていた摂政みたいな存在ですよね。
この信仰システムは、他にもありましたよね~?!
そうです、古代出雲国の「祭祀王」と同じシステムです。
ちなみに、この大祝という役職は、世襲制によって代々受け継がれていたそうですが、明治維新の時に廃止されたそうです。
ということで、タケミナカタ一族の大祝や、守屋一族の神長官というポジションから考えて、出雲族の信仰と、縄文時代から続く「ミシャクジ信仰」は、お互いを尊重した形で溶けあい融合していったと考えられているのです。
実際に諏訪湖周辺には、縄文遺跡がたくさん発見されているんです。
そのため、アイヌと琉球を除くと、最後まで縄文文化が残った土地は「諏訪」だと言われているんです。
なんだか諏訪には、たくさんの謎が秘められている予感がしますよね~。
ということで、次回はさらに「ヌナカワヒメ」と「タケミナカタ」が祀られている諏訪大社の秘密に迫って行きたいと思います。
★ 龍族の女王源九郎とよさんのブログ
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.ne