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私は、日本人とタイ人のクォーターで、現在タイのバンコクに住んでいる龍愛(りゅうあ)と言います。
祖母がタイ人であり、祖母は有名な巫女をしています。
祖母は、地下都市伝説が根強く残るタイのメコン川沿いの村に住んでおり、不思議な能力で病気の人を助けたり、災害を予言したりして、人々の生活を日夜守っており、村の人達からはとても尊敬され感謝されている人になります。
私は、そんな祖母の遺伝子を強く引き継いでいるのか、小さい頃から不思議な能力があり、神様とお話ができたり、予知夢を見たりしていました。
私は日本で生まれ育ったのですが、夏休みには必ず祖母に会いにタイに行き、祖母が人々を助ける姿や、様々な教えを受けていました。なので、巫女をしている祖母の影響を強く受けて育ったのです。
私は、現在はタイに住み、祖母から巫女としての修行を受けているのですが、祖母から巫女としての名前を授けられています。
龍愛というのは、巫女としての名前を日本語に変換した呼び方になります。
前回、私は自分に与えられた使命と、一緒に使命を果たす「とよさん」という過去世で日本の龍族の女神だった人との出会いについて、少しだけお話をしました。
今回は、私の生い立ちについてもう少し詳しくお話し、私のことを知っていいただければと思います。
私は、教師をしている日本人の父と、日本人とタイ人のハーフの母との間に生まれました。
兄弟は、一流企業に勤務をしている兄が一人おります。
父は教師という職業柄とても厳格な人であり、目に見えるものしか信用しなような人なので、小さい頃からの不思議な能力を持つ私は、父にすると受け入れがたい子供であったようで、父からはあまり愛されたという記憶がありません。
母は、タイ人の血を引いているため、愛情深く親切な人ですが、祖母の巫女としての能力は全く受け継いでいない人でした。
母は、父親(祖父)が日本人であったことから、ずっと日本で育っています。
巫女をしていた祖母も、母が成人するまでは日本に住み、日本で母を含む3人の子供達を育てていたそうですが、母が就職すると同時に龍神様からのお告げがあり故郷のタイに呼び戻され、そこで巫女としての生活を始めたそうです。
母は、祖母との会話はタイ語だったため、とてもネイティブなタイ語を話すことができます。
そして、私にも幼少期から日本語とタイ語の両方を使って会話をしてくれていたので、私もタイ語が話せます。
私は京都で生まれ育ちました。
実家は上賀茂神社のすぐそばにありました。
私は、人とのコミュニケーションを取るのが苦手で、小学校低学年の頃から、いつも上賀茂神社の境内でひとりで遊んでいました。
とくに、家のすぐそばの裏山(上賀茂神社の東側の小山)にある二葉姫稲荷神社の前で、ひとりで絵本を読んだりするのが大好きでした。
ある日、学校から帰って来た私は、いつもの通り、お気に入りの二葉稲荷神社の前で宿題をしていました。
すると、私の目の前にとても綺麗な女の人が現れました。
その女の人は着物を着ており、不思議なオーラを放って輝いていました。
私は、すでに神様の姿が見える力を身に付けており、神様の声を聴いたり会話ができたりしていたので、この女の人が神様だとすぐにわかりました。
それで、
「あなたは誰ですか?」
と聞きました
その女性は、
「二葉姫である」
と答えてくれました。
それから私と二葉姫様は、日が暮れるまでお話をしていました。
二葉姫様は、二葉稲荷神社に祀られている神様でしたが、実はお稲荷様ではなくて龍神様だということがわかりました。
二葉姫様の話では、
お稲荷様は日本では狐の眷属を引き連れているため、神様のお姿も狐様だと思われているけれど、それは間違いで本当は龍の背に乗る龍神だ
ということです。
このことについては、二葉姫様からは、とても長~い詳しいお話を聞いていますので、また別にお話をしたいと思います。
二葉姫様と出会ったこの日から、予知夢を見たり、動物と会話が出来たり、他の神様のお姿を見ることができるようになったり・・・と霊的な能力がますます磨かれていきました。
そのため、私はますます家族や周りの人から気持ち悪がられるようになりました。
母だけは、祖母の不思議な能力を身近に感じて育ってきたため、私の能力については理解してくれましたが
「他の人にはわかってもらえないから、能力を外に出してはいけません」
と助言されました。
それで私は、ずっと自分の能力を隠しながら、できるだけ多くの人とは関わらないようにしてひっそりと生きる道を選びました。
そんな私の話し相手になってくれたのが二葉姫様でした。
あまり人と喋らない内向的な私と違って兄は、とても活発でコミュニケーション能力が高く、人気者でした。
そのため、兄は父の自慢の息子であり、父の愛情を一身に受けていました。
反対に私は父からは、ますます愛されない存在になって行きました。
ただ、勉強だけはすごくできたため、私に対してあれこれと文句を言ったりすることもありませんでした。
その後、一流大学を出た私は、一流商社に就職しました。
タイ語の他に英語もかなり喋れたので、バイリンガルとして期待されましたが、普通の人には見えない、聞こえない人間関係での様々な部分や本心を感じるため、耐えられなくなって、たった1年で退職してしましました。
この時も、父は
やっぱりお前は・・・
といった感じでただ呆れるだけで、私の人生には興味がないといった態度を取られました。
兄もとても勉強ができたので、父が望むように一流大学を卒業して、一流企業に就職して、バリバリ仕事をしていたため、父には兄の活躍しか目に入らないしのだと思い知らされました。
このことがあってから、私は
「もうこの家族のもとでは生活できない」
と思うようになり、
「お金を貯めて家を出よう。家だけでなく日本から出よう」
と考えるようになりました。
その後は、アルバイトをいくつも掛け持ちお金を貯めて、26歳の時に日本を飛び出しバックパッカーとして世界を旅することになったのです。
旅した国は、
アメリカ、オーストラリア、東南アジア(マレーシア、インドネシア、カンボジア、ミャンマーなど)
ですが、タイは小さい頃から祖母の家に何度も訪れていたので、タイに行く予定はありませんでした。
ところが、ちょうどミャンマーのゴールデンロックを訪れていた時に、とても不思議な夢を見たのです。
この夢のお話は前回お話したとおりなのですが、とても重要なお告げだったので、次回により詳しくお話しようと思います。
次回に続きます
★ 龍族の女王「とよさん」のブログ
とよさんがタイに来る前に、神様から与えられた貴重な体験として、
源九郎稲荷神社という荒廃した神社を復興された
ことについては、その活動記録のサイトを立ち上げられています。
このサイトに掲載されているブログには、とてもたくさんの不思議なお話が紹介されています。
私のブログを読んでくださる方には、是非同時に読んでいただきたいと思います。
そして、とよさんがしてきたような小さな小さな活動が、多くの人の心に愛と慈悲を取り戻すことに繋がるのだと思っています。
源九郎稲荷神社~復興への道~
https://genkurou-inarijinjya.neAmeba人気の記事