実家に帰っても、父が作った農作物は既に無く、最後まで軒に吊るしてあった玉葱は茶色に炒めて冷凍庫にストックされて、「生鮮」なものは無い。
何十年と住んだ家だが、食料を調達して、家を出る時には、また空にして出て行く。 旅行でコンドに泊まるのと同じである。
物心つく前から、近所中に愛想を振りまいてきたおチビちゃんだもの。 ちゃっかりおねだりする術が、兄とは、役回りが違うのだ。
帰省する時には何かしら手土産を持って、一番にお隣に顔を出すと、食べきれない程の野菜を持たせてくれる。 コンド生活中に、野菜が足らなくなっても、勝手に畑から持っていけば良い。
隣のおばちゃんは亡くなった父と同い年だけど、僕と隣のお兄ちゃんとは15才も年が違うので、いくつになってもおチビちゃんなのだ。 いつまでも世話になるのだろう。
ブログで逐一報告してはいなかったのだが、平坦なおっさんの暮らしにも変化が起きている。 あれから幾つかの決断をした。
後2年働いたら、目出度く卒業する事にした。 兄が定年になる1週間前に。 お上が65まで働けと言うご時世に。 兄も再就職はしないようだ。 生産性の低い兄弟である。
そしてここの暮らしは引き払って実家に帰る。 未練があるのは、散歩の我が君とケーキ屋のおじさんと離れる事くらいだ。
実家の家屋は一度なぎ倒さないと、建築許可が下りないようなので、完成には時間が掛かるが、新居で、老後というには早い隠居。 また何かすればいい。
それまでは何度も帰省して、少しでも兄と過ごすつもりだ。 兄が時間を作って帰って来てくれるので、何をするでもないけれど、何十年分の欠けた時間のピースを掻き集める。
実家を倒す事にしてしまうと、最低限のメンテで足りる。 片付けや遺品整理は遅々として進まないが、支障もない。
兄が居る日には、飯を作って、明るいうちから酒でも呑んで、風呂に入って、また呑んで、寝てしまう。 そんなことは僕らになかったので、今更だけど、そういう時間を大切にしたい。 この先どんなにしても一緒に過ごす時間は、実際には本当に短いのだから。
コンド暮らしでは凝った料理は出来ないが、この日の夕食は、お隣の頂き物の野菜も活躍して、「ちらし寿司、生春巻き、豚汁、お豆さんと色々トマトのサラダ、野菜の天ぷら」。 (兄は肉々な人なので、菜食を強要はしない)。
母のちらし寿司には高野豆腐の炊いたんが入っていたなぁとか、おじやに餅が入っていたとか、他所の人には分からない想い出や、これからの僕たちの事、お金の事、家の建て替えの事、下半身の事までも、だらだらと話をして夜が更けていく。
画像の左に写っているのが兄だ。 酔って寝転がっているうちに、腹を出して鼾をかいて寝てしまう。 僕の記憶の中の兄は、そんなオッサンではなかったが、この腹を出して寝ている人を愛おしく有り難く思うのだ。