決 | 友よ 私が死んで土に還ったら その土で器を造ってくれ。 その器でお茶を飲む時 私の事を想い出してくれ。       

友よ 私が死んで土に還ったら その土で器を造ってくれ。 その器でお茶を飲む時 私の事を想い出してくれ。       

I'm just stuck with something beyond my control. Do I deserve it, called HIV?
Don't waste your time, even if the world is unfair. We were born in defferent shapes, places and times, but we were born equally. That's how we are.

♫ こ~なこ~とは い~ままでぇ な~かぁったぁ ♫

 

昨年バンコクで亡くなった友に出逢った時、彼のように真のコスモポリタンに成りたいと願ったのに。  国籍も人種も文化も飛び越えて、何処ででも生きていけると思っていたのに。
 
父が死んで10日の間に、思いもしなかった方向に急展開。
兄のことは、水より薄い限りなく他人に近い人だったのに。  13才の時に兄が家を出て以来、大人になってから初めて兄とまともに話をした。  何もなかったかのように兄と弟に戻った気がした。  器が違うのだ。  上の子に生まれるというのはこれ程人を育てるのか。  それに引き替え私は・・・。
  
「家と田畑はどうする?」って聞かれて直感で答えた。
「田んぼは誰かやってくれる人が居ればお願いして、売れるものなら売っても良い。  でも家はまだ失くしたくない」。  今の暮らしに何かが起きても、あそこに家があると思えば、雨に濡れないで済む。  勿論想い出だってある。
「ええよ」。  それで相続の話は決まり。
 
相続で揉めて兄弟の縁を切った人を何人も見てきたので、あまりにあっけない決着に呆れる程だったが。  それは兄がそういう人だからだ。

後に聞いたところでは、私が家は要らないと言えば、更地にするのも仕方ないと思っていたそうだ。
「じゃぁ、僕が、家を残して欲しいと言うからそれで良いの」?
「うん」。  やっぱり敵わない。  てんで敵わない。  私が遠くに居れば、実家の世話をするのは兄なのに。
 
自宅に帰る日、駅まで送ってもらう車の中で、兄に伝えた。
「これからは時々帰ってくるから」。
この20年で帰省したのはおじいちゃんが死んだ時だけだったのに。  今更遅いかも知れない、もうみんないなくなってから。
 
自宅に帰ってから、兄からのメール。
「家に居て足が無いと不便だろうから、自転車を買って家に置いてあります」。
家の事は兄に任せて不義理の限りを尽くしてきた弟に、どうしてそこまでしてくれる?  それは、そういう人だから。
 
「家に帰ろう」。

父が死んで2週間した頃には、決断をしていた。  大好きなニュー・ジーランドでもバンコクでもない。  何にもない田舎の実家に。
 
不思議な共同生活もいつか終わるだろうし、今の土地に思い入れがあるかと言えば、さしてない。  それよりも最後の肉親となった兄とやり直す機会はもうないだろう。  直感でしか生きられない私の今の勘を信じよう。
 
「60より前にリタイアして家に帰ってもいい」?
お上が65まで働けと言う時代に贅沢なことだ。
兄の方が5才早く年寄りになることを思えば、少しでも長く兄弟で居ようと思う。
 
それからの話は早く、遺産の半分を使って実家の改築とメンテをする事に。
もう一度聞いてみた。
「家にこんだけ使ったら、現金の取り分が減るのに良いの」?
答えは分かっている。  
「自分が住み良いように改築したら良い」。  そんな人だ。
勝手に出て行って、また勝手に舞い戻ってくる弟、先回りして自転車を用意してくれる兄。  これでいいじゃないか。  変えようがないもの。
 
今年の秋は休む間もなく心が震えて、いっぱい泣いた。  エイズになったのに冷めていた7年前とは違う。  良かった、まだ生きてるぞ。
 
兄は毎週のように実家に帰って、落ち葉をかいたり、畑の世話をしている。
そして私は、実は入院中で、暇つぶしに編み物でもするところを、実家の改築の下描きにと方眼紙を持ってきた。
 
無事に手術を終えて退院して、春が来る頃、再び家に帰ろう。  改築の計画などを話しながら、 何をする訳でもない時間を過ごそう。  それがいい。