まだまだ  愛 | 友よ 私が死んで土に還ったら その土で器を造ってくれ。 その器でお茶を飲む時 私の事を想い出してくれ。       

友よ 私が死んで土に還ったら その土で器を造ってくれ。 その器でお茶を飲む時 私の事を想い出してくれ。       

I'm just stuck with something beyond my control. Do I deserve it, called HIV?
Don't waste your time, even if the world is unfair. We were born in defferent shapes, places and times, but we were born equally. That's how we are.

面と向かって言ったことがない事、入院中の事、兄への感謝、洗いざらい吐き出して、大泣きして、幾らか気持ちの整理か付いたと思ったのに。  自宅に帰る間際にまた内臓がひっくり返る出来事が。

 

実家に居ても、これと言ってする事がない。  父と母の衣類と食器が沢山残ったが、これも腐るもんじゃ無し。  兄が自宅に帰った夜、なんとなく宝探しを続けた。

 

母の呉服箪笥は捜索していなかった、小物入れの引き戸を開けてみると、母の宝飾品と共に、沢山のアルバムと写真が出てきた。  見たことのない写真ばかりだった。

 

眩い娘時代の母、20代の男盛りの父、二人の婚礼写真も。  私たち兄弟は父母が晩婚だと想像したのが間違いだと判る。  兄弟にとって、父と母は親であって、一人の男、一人の女としての父母を知らない。  母はびっくりする程愛らしく、父は男前だ。

 

そして私たちが産まれて幸せだった子供時代。  家を改築する前の、木製の雨戸のある縁側で遊ぶ兄と私。  辺りの景色も実に田舎らしい。

 

やがて兄が結婚して、子供が産まれて、嬉しそうな母や祖父。

 

20代で父となった兄の顔は、まだまだ青いけれど責任感のある良い顔をしている。

一方、鉄砲玉の私は二十歳前から一切家族写真から消えた。  これはこたえた。

 

母が死んだところで、家族写真は途絶える。

もっともっと写真があったが、苦しくて、見られない。

 

もっと家族と過ごすべきだった。  兄の子供たちが成長するのを近くで見ていたかった。

今更何を言ってもやり直せないのに。

 

もう二度と手に入らないものが眩しすぎて、涙が止まらない。

ドキドキして内臓が口から溢れそうだ。  言いようのない感情に潰される。

 

非常識だと分かっていたが、兄に連絡したのは夜中の1時過ぎ。

「無理だと分かっているけれど、今すぐハグしに来て」。

いい年したおっさんのSOS。

 

兄もそんな写真を見たことがないそうで、テーブルにわかるところに置いて帰ってくれって。

実家を出る時に、アルバムのページを開いて帰った。  二人が縁側で遊んでいる写真。  もうあの頃に戻れないなんて。

 

兄は時折休日に、実家の片付けをしているので、写真をもう見ただろう。  私が開いておいた写真も。  私がどんなにヘタレでも泣き虫でも分かってくれる人は兄だけだ。  何故こんなにも離れていたのか。

 

単に父を亡くしたという事でなく、自分の不甲斐なさや後悔、兄の存在の大きさに気付いて、打ちのめされた2ヶ月。  今でも不安定な状態だけど。  おかげで大きな決断をした。  次回その事を書こう。