私は今から20年くらい前、得度して間もなく、ある精神系のホームページを見つけ、そこに書き込みをしていました。
 そこに来る人達は、いじめに悩む人が大半で、他にセクシャルマイノリティーの悩みを抱えている人もよく訪れていました。多くの人に自傷行為の経験があり、自殺未遂をした人もいました。勿論、全てが本当のことかはわかりませんが。そうした人達の書き込みに、レスを書き込む人がいて、私もその一人でした。そんなレスの中に次のような内容を書かれている人がいました。
 ある本に書かれていたことらしいのですが、自殺した妹が姉の身体を借り、ノートに自分の今の状況や気持ちを書き伝えたという話です。そのノートに書かれていたことは・・・、
「今は死ぬんじゃなかったと後悔しています。死後の世界はとても綺麗で、楽しいところと聞いていましたが、ここは谷の底のようなところで、私以外に誰もいない寂しいところです。その谷を歩いていますが、立ち止まると石ころが噛みついてきます。また、真っ黒い枯れた花があり、それも噛みついてきます。誰かに助けてほしいけれど、助けてもらうことは出来ないようです。このまま歩き続け、私は何処へ行くのでしょうか?」という内容でした。
 この書き込みを読んだ時、私は前回のブログで記した子どもの頃に聴聞した御法門の内容を思い出し、とても似ていると思いました。
 ただ、この書き込みをされた人は文末に、この話が実際のことかはわからないし、実際のことでないとも言えない、と結んでいました。確かにそうですよね。実際に亡くなってみないとわからない。でも、もし本当だとしたら自ら命を絶つことは避けたいと思いますね。

 

 さて、あんまり教務さんがオカルトチックな話とかをするのは好ましくないと言われますので、どうかとも思いますが、私が体験したお話しをちょっと書かせていただきます。
 もう、今から約30年近く前になります。勿論、得度前で学生の頃、平成3年10月のことです。
 私は明け方悪夢を見てうなされていました。その夢の内容は、自分の頭が焼け苦しんでいるというものです。その頭が焼け苦しんでいる最中に、上の方から声が聞こえます。言い方が悪いかも知れませんが天の声とでも申しましょうか、夢の中にいるのに、その声は夢の外から聞こえてくるような感覚といったらいいのでしょうか、ちょっと不思議な感覚でした。このような経験は今のところこの一回限りです。
 声の主は女性で、たった一言「誰か浮かばれていない人がいるんじゃないの」と、皮肉っぽく言うのです。
 直後に、汗びっしょりで目が覚めました。とにかくダルく気持ちが悪い状態でした。
 すぐにこの出来事を母に伝え、そして自分としては、この年の8月に亡くなった「Mのおばちゃん」(Mには名前が入ります)のご回向をしていないから、その人のことが気になっているとも話しました。「Mのおばちゃん」とは長野にいた遠い親戚で、ただ、父方の叔父さん夫婦がこの「Mのおばちゃん」の経営する飲食店で働いていたことから、年に2回はここに集まり、お正月にはお年玉をもらい、ちょっとした旅行に連れて行ってもらったこともあるなど、親しくしていたおばちゃんでした。
 それから数日後のこと、別の親戚から電話があり、そこで「Mのおばちゃん」の娘さんのご主人(Kさん)が自殺したとの話を母が聞いたのです。Kさんも遠い親戚ではありますが「Mのおばちゃん」との関係から、毎年のように会い、やはりお年玉(なんか下世話な話でスミマセン)をくれるといった人でしたし、その娘さん二人と同年代でしたので、一緒に遊んだりしていた時期もあります。
 母は、このKさんの自殺の話を聞いた時に、私の話を思い出し寒気がしたそうです。
 私のあの体験は、まさに自殺の直後でした。だからといって、私の不思議な体験とKさんの件との間に、因果関係があるのかと言えばそれを証明するものはありません。しかし、もし関連しているとするならば、次のようなことが言えると思います。自殺では浮かばれない、つまり、良いところには行けない可能性があるということです。
 Kさんの家族をお教化出来れば良かったのですが、この一件以来Kさん家族に会うことは、ほとんどなくなりました。ただ、命日にはお塔婆を上げています。上行所伝の御題目でご回向させていただくことが、亡き精霊にとって一番でありますし、私に出来ることはそれだけなので・・・。

写真は、昔長野の上田を走っていた電車です。

 

 

 唐突ですが、私たちが人間として生まれてきた理由は何でしょうか。
日蓮聖人は、
「日蓮は少(わかき)より今生のいのりなし。只仏にならんとをもふ(思う)計也」(四條金吾殿御返事)
と、仏に成ることが目的であると仰せです。そのためには、
「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤大切也」(日女御前御返事)
と仰せです。私たちの心の中には、どんな人にも仏性という、仏に成るための下地があります。そこに「南無妙法蓮華経」と唱えることで、仏に成るための種、仏種が植わります。それによって成仏することが出来るのです。
 さらに、自分だけでなく他の人にも「南無妙法蓮華経」の御題目を唱えることを勧め、他の人を成仏へと導くことも大切で、この自分も唱え他にも勧めることを菩薩行と言います。
 この菩薩行は人間に生まれてこないと出来ませんから、人間だけが仏に成ることが出来るのです。別の解釈をしますと、仏に成るために人間に生まれてきた、成仏が私たちの目的とも言えます。仏とは悟りとか、浄土参拝とか色々あると思いますが、ごく簡単に言えば真実の幸福を得ることです。

 このことをベースに考えてみますと、
 まず、他人の命を奪うことは、その相手の成仏の機会を奪ってしまうことになります。さらに、もしその相手が命を奪われることなく生き続け、その間に菩薩行を実践し、他の人を成仏へと導くことがあったなら、その人達の成仏の機会をも奪ったことになりますから、大きな罪となります。
 次に、自ら命を絶つことはどうでしょうか?
 まず、菩薩行をしたことがないという人が命を絶った場合。自ら成仏を放棄してしまったことになります。さらに、今後「南無妙法蓮華経」の御題目に出あい、菩薩行をしたかもしれませんから、それによって成仏へと導くことが出来た人の、成仏の機会を奪ってしまった可能性もあります。ですから、良くはないでしょう。
 次に、既に菩薩行をしている人はどうでしょう。自らの成仏に関しては、菩薩行を全うしている可能性が低いので、成仏に至らない可能性が高いのではないでしょうか。その上、自らが今後、成仏へと導くことが出来たであろう人々を見捨てたことにもなりますから、やはり良いことではないでしょう。

 ここで、もうひとつの観点から考えてみます。
 日蓮聖人は
「かくのごとく国土乱れて後、上行等の聖人出現し、本門の三つの法門これを建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑いなきものか。」(法華取要抄)
と仰せです。これは全世界に妙法の教えが弘まり、一切の人が南無妙法蓮華経の御題目を唱える(これを一天四海皆帰妙法という)との日蓮聖人の悲願をお示しの御文であります。
世界中の人が御題目を唱えるとどうなるのかについては、
「万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壌(つちくれ)を砕かず。・・・今生には不祥の災難を払ひ・・・現世安穏の証文疑いあるべからざるものなり。」(如説修行抄)
と仰せで、すべての災難や争いなどが払われた穏やかな世界、つまりは仏様の住まわれる浄土になるということです。これが私たち人間の、と申しますか人類の目的であると言えます。
 このことを踏まえ考えてみますと、妙法の教えとは他土に幸福を求めるのではなく、この世に幸福を求めていくことになります。自ら命を絶ってしまうことは、他土に幸福を求めることになりますから、真実の幸福を掴めない可能性があるのではないでしょうか。

 これはあくまで私なりの見解であります。
 詳しいことや正しい解釈につきましては、偉い御導師方にお伺いいただければと思います。

 

 さて、話は変わりますが、
 私は小学校の時にいじめにあっていた時期があります。一年生の時と五年生の時です。それ以外にも嫌な思いをしたりしたことは多少ありますが、私の中でいじめを受けていたと意識したのはこの二回と思います。詳しいことは別の機会にするとして、それで、この小学校の時は、いじめにあっても自殺までは考えたことはなかったのですが、中学二年の時にちょっとしたトラブルがあり、その際にはさすがに「死にたい」と思いました。ただ、死にたいとは思ったものの、自殺だけはしたくないと思っていました。
 なぜかといえば、次のような内容の御法門を聴聞していたからです。
 小学生の時にお参詣した薫化会御講だったと思うのですが、現在、妙導寺においでの北野御導師の御法門です。その中で、次のようなお話しをされました。何十年も前のことですので、うろ覚えで多少内容が違っているかも知れませんが、おおよそ次のような内容でした。
 ある少年が、死後の世界を見たいという理由から、「僕が死んだら霊媒師に頼んで僕を呼び出し、死後の世界がどのようなものか聞いてほしい。」と遺書を残して自殺したのです。悲しみにくれながらも、両親は霊媒師に頼み少年を呼び出してもらいました。すると、呼び出された少年の云く、今自分のいるところは、自分以外に誰もいない暗く寒いところであり、「とても怖い、助けてほしい」と訴えてきたという話です。
 この話を聞いていたがために、子ども心に自殺とは怖いものなんだと感じていたのです。死にたいと思うことがあっても、自ら命を絶つことをしたくないと思えたのは、この御法門を聴聞していたからと言えます。勿論、人に言わせれば、そこまで追い詰められていなかったからだという解釈も出来るかも知れませんが。

写真は、遠妙寺・飯能別院に咲いた彼岸花です。時期はずれではありますが・・・。

 

 

 平成17年の遠妙寺体験談集「STYLE Vol.1」にも掲載されていますが、遠妙寺のご信者H.Yさんの話です。私も当時H.Yさんに直に話を伺ったのですが、話を聞いた時はビックリしました。と申しますのも、H.Yさん曰く「今年の1月なんですが、深夜2階の寝室で寝ているとドアのところに男の人が立っていて、さっきまで1階に居た主人が上がってきたんだと思って、また寝たんですが、すると誰かが私の上に乗ってきて・・・」。まぁ、こういう話し出しだったので、「えっ、いきなり何の話?」「夜の営みの話?」などと、ちょっと動揺してしまったのですが・・・。まぁ、そんな話であるはずもないわけで、話の続きはこうでした。
 上に人が乗ってきて押さえつけています。「苦しい、助けて」と声にならない声を上げながら、隣の布団を見ると誰もいません。いつの間にか寝ていたのでしょう。ふと気付くと、今から寝ようと隣の布団に入るご主人がおり、先ほどの出来事を伝えると、「今2階に上がってきたばかり。金縛りでしょ。」とのこと。後日、このことを担当の御講師に話すと、「ご回向漏れでないか。」と言われたものの、心当たりがありません。でも、御講師からはご回向漏れしか考えられないと言われハッと気付きました。というのも、今まで自宅から近く、奥様と知り合いでもあったことから横浜・本立寺で、毎月お塔婆をお願いしていたのですが、奥様より遠妙寺所属なのだから、そちらでお上げするようにと言われていて、そのままお塔婆を上げていなかったのです。まさに、金縛りの日は自分の水子(当宗ではスイシと読む)の命日だったのです。
 いつも建てていたお塔婆を建てなかったことで金縛りに遭ったことは、実は私もあります。それよりも不思議なことは、体験談集には書かれていませんが、ドアのところに立っていた男性が20歳くらいに見えたことで、流産したのが20年くらい前ですから、生まれていれば丁度このくらいの年齢であったとのことです。

 

 世間でも、水子は成長するとか、または小さい頃に亡くなった子どもは成長すると言われることがよくあるようです。そして、ある程度の年齢になると自分の行き先がわかり旅立っていくとか・・・。小さい子どもは親の元を離れたくないでしょうから、亡くなっても親の近くにいるのでしょう。ましてや、水子ともなれば親の愛情を感じることも出来なかったでしょうから、親元を離れたくないのは当然のことかもしれません。毎日の自宅でのお看経で、本門八品上行所伝の「南無妙法蓮華経」で弔ってあげることや、月命日にお塔婆を建てご回向させていただくことは、この世にいる親からの愛情表現であり、亡くなった子どもに徳が届く最善の方法と言えます。
 よく、ご回向はご飯に譬えられることがあります。毎日のお看経の際のご回向は、毎日の食事。月命日にお寺でお塔婆を建立し弔うことは、ご馳走を差し上げるような物で、祥月命日に大きなお塔婆を建てさせていただけば年に一度のお誕生日にケーキでお祝いするような物でしょう。先述のH.Yさんの場合、月命日にお塔婆を建て忘れてしまったのですから、いつも食べているご馳走が頂けず、子どもさんは悲しかったでしょうね。
 でも、H.Yさんにしてみれば、この一件で亡き子どもの存在を感じることが出来たのですから、切ない反面嬉しいことでもあったのではないでしょうか。

 

 さて、では亡くなっても側にいる精霊はその後どうなるのでしょうか?
 一つのヒントになる話があります。詳しい話は改めますが、私の母の教化親である木村由美子さんのお母様、栗野文恵さんが帰寂された時の不思議な話です。文恵さんの通夜の後、親族が集まっている時、疲れてその場に寝ていた文恵さんの孫T.H君が、眠ったまま急にしゃべったことのない鹿児島弁で語り始めました。「おばあちゃんは、T.Hの口を通してしゃべっているよ。」という言葉に始まり、ドライアイスが冷たいとか、足にマニキュアを塗って欲しいとか、家族に対するメッセージなど、まさに文恵さんが孫に乗り移って語り出したのです。そして、その最後に自宅のタンスの何段目にある着物と、何段目にある帯を棺に入れてほしいとのこと。「今から、その着物を着て、おじいちゃんと寂光参拝するから・・・。」と語ったのです。文恵さんのご主人は、文恵さんの亡くなる20年くらい前に帰寂されていますが、この話から文恵さんの臨終まで待っていたということがわかります。
 水子や先に亡くなった子どもも親の臨終を待っていて、一緒に新しい世界へ旅立つことが出来るのではないでしょうか。そのためには、親が愛情を送り続ける。つまり、毎日のお看経でのご回向や、命日のお塔婆建立。そして、親がしっかりご信心に精進することが大切なのだと思います。大きく成長した子どもに会える日を楽しみに。。。
 それにしても、文恵さんに聞いて欲しかったのは、約20年振りに会ったおじいちゃんの姿が、亡くなった時のままだったのか、すっかり年老いていたのか、はたまたギンギンに若返っていたのか・・・。

写真は、先月末に由美子さん宅へ伺った際に写した由美子さんのご主人とご両親です。

 

 

 

 

 

去る5月3日より5日まで東京中央布教区主催で本山奉仕会が行われ、私も布教区参与としてご奉公させていただきました。

帰山後8日には布教区参与会があったのですが、当日は『新大塚みんなの広場』開催により参与会を欠席するため、参与会に提出する書類などを7日に作成しようと布教区の書類をまとめたファイルを開いたのです。ところが、必要な書類が見つかりません。それどころか、6月の弘通促進大会に必要となる各寺院よりご提出頂いた書類まで見つかりません。これはとくに重要だったので、クリアーフォルダにまとめファイルに入れておいたのです。見つからない場合は、再度各寺院に調査の依頼をしなければなりません。困りました。。。

私の部屋は1帖ちょっとの非常に狭いところで、少し探せば見つからないはずがありません。他にも教務室や、ゴミ箱の中など深夜3時頃まで探しましたが見つかりません。あとは、4月27日に信泉寺さんで行われた布教区総会の場に置き忘れたことくらいしか思い当たらず、朝参詣後に確認することにして一旦探すのは中断しました。

その日の朝参詣中は、紛失物発見の願いを込めいつもより大きな声で真剣に御題目をお唱えしました。御看経中、ある場所が頭に浮かびました。「でも、まさかそんなところに入り込むはずはないかぁ。」などと思いを巡らしながら朝参詣が終わり、急いで信泉寺さんに連絡。しかし、総会の翌日がお大会で机なども移動しており、忘れ物なら見つかるはずだが、そういうものはありませんでしたとのこと。そこで自宅に戻り、御看経中に頭に浮かんだ場所を見ると・・・。

ありました!
あれだけ探して見つけられなかったのに、まさかこんなところに。まさに「紛失物発見」のお計らいをいただきました。

そういえば、数年前の「第5回青少年の一座」で発表された呉・妙泉寺さんのご信者さんの御利益談もこんな感じでした。

ご信者と結婚したもののご信心をする気もなく、何がありがたいのか理解出来ないと思っていた青年が、ある時仕事でお客様からお預かりした重要な書類を紛失。連日担当部署をあげて探したものの見つからず、これが見つからないと自身の処罰のみならず、会社全体の責任となり記者会見まで開かなければいけないという、その最終判断がくだされる前日のこと。、ご信者である奥さんより、一緒にお寺にお参詣してご祈願しようと勧められ、翌朝参詣し初めて真剣に御題目を唱え、その後出社。すると、あっけなく書類が見つかり何のお咎めも無しというお計らいを頂いた。以来、御題目の有り難さがわかり、ご信心に励んでいるというお話。

私の場合、この方にくらべたらたいしたことは無いかもしれませんが、でも、本当に有難いお計らいを頂けたと思いました。
翌朝初めて「紛失物発見」の御礼をあげさせていただきました。

実は余慶の功徳を頂き、もう二つの紛失物もこの日発見出来ました。
一つは、本山奉仕に行く時に爪が伸びていたので、途中で切らないとと思い、使いやすいお気に入りの爪切りを持っていったのですが紛失。おかげで本山奉仕の三日間は伸び放題の爪で過ごしました。
もう一つは、本山奉仕が終わり帰路の途中、大渋滞を予想して大津のスーパーでお弁当と「バナナクリームパン」を購入。渋滞はほとんど無く順調で、途中のサービスエリアでお弁当を食べ、「バナナクリームパン」は後のお楽しみに取っておいたのです。帰山し、車から荷物を降ろし、片付け中に「バナナクリームパン」が無くておかしいなぁと思いつつも、車の中のどこかにあるのだろうと思い、翌6日に車の中を探したものの「バナナクリームパン」も爪切りも見つからなかったのです。
ところが、書類が見つかったその日。車に乗り何気なく運転席と助手席の間を見ると爪切りが、助手席のポケットに「バナナクリームパン」が入っていたのです。しかも、賞味期限は本日8日!おいしく頂きました。。。

写真は「京都佛立ミュージアム」で13日まで開催されていた「不都合な真実展」にいた"ラスカル"?

 

現在5歳になる娘は、
幼稚園年少の頃、
独り言で「パパ髪の毛、生えてこないかなぁ。」と言っていたそうです。
そうですよね、何かの行事で幼稚園に行くと、
髪がたもカッコよく決めたイケメンのパパばっかりですもんねぇ。
それにくらべパパは・・・。
「パパは髪の毛が生えても、イケメンにはなれないんだよ。ゴメンね。」などと、
心の中でつぶやいたりしていたのですが。

それから1年ちょっとが過ぎ、
ある時、幼稚園にお迎えに行った時のこと。
パパのお迎えに娘は大はしゃぎで、
お友達にパパを紹介してくれるのです。

娘  「ねぇAちゃん、私のパパ、ハゲっ!ぶぁははははは・・・」
Aちゃん 「ぶぁははははは・・・」
娘  「Bくん、パパが迎えにきてくれた。パパハゲっ!ぶぁははははは・・・」

Bくん  「あっははははは・・・」
娘  「Cちゃん、見て見て私のパパ、ハゲっ!くさいっ!ぶぁははははは・・・」

Cちゃん 「くさいっ!ぶぁははははは・・・」

 

パパがハゲでくさいという不幸な境遇を笑いに変えるチカラ、スゴイです!
だって、ハゲで笑い取れるのって言ったら、
トレンディエンジェルか温水さんくらいですもんね。
まぁ、そんな簡単にはいかないと思いますし、
すべてのことに当てはめるわけにもいかないですが、
大抵の不幸は笑い飛ばしちゃった方がイイですよね~。
でも、時には泣くことも大切かなぁ。
そういえば、娘はすごく泣き虫ですし。