3月8日は遠妙寺を開かれた日彰上人の祥月御命日ですが、
世間一般では「国際女性デー」でした。
その前々日の6日、
遠妙寺・自彰会館で毎月開催している「新大塚みんなの広場」で
代表をしてくださっている近所のボランティアの女性が、
フェイスブックにて『女性の休日』という映画を鑑賞した報告と
「国際女性デー」の行事に参加する旨を述べられていました。
『女性の休日』とは、世界で最も男女平等が進んだアイスランドで、
1975年10月24日にその平等を求め国内で90%の女性たちが参加した、
仕事や家事のストライキです。
私もこの映画を見たいっ!と思い、
お彼岸も終わりホッと一息した今日「Morc阿佐ヶ谷
という映画館まで見に行ってきました。
と申しますのも、4年前に婦人会や
BL会(遠妙寺独自のミドルエイジ女性だけの会)の御法門で、
アイスランドがジェンダーギャップ指数世界1位であること
(日本は148カ国中118位)。
しかし、そんな国でも2018年までは男女間に賃金格差があったという現実。
それだけ女性は不平等な立場に置かれているということの
一例として挙げたのです。
アイスランドでは『女性の休日』の後、性別による差別を禁じ、
同一労働に従事する男女には同じ賃金、
同じ雇用条件を義務付けた法律を設けるなどして、
2009年以降ジェンダーギャップ指数世界1位を維持しております。
それでも、格差解消には至らず2018年には、
従業員25人以上の企業に対して同一労働同一賃金を証明する
認証の取得を義務付けた『同一賃金証明法』という、
より強制力のある法律が施行されていますが、
いまだに格差が埋っていないのが実状のようです。
さて、先述の4年前の御法門では参政権についても触れました。
日本で初めて選挙が行われたのは1890年(明治23年)ですが、
参政権は男性にしかなく女性の参政権が認めらるのが
1945年(昭和20年)ですから、実に50年以上後でした。
このことは何も日本だけのことではなく、
欧米でも女性に選挙権が与えられるのは男性よりだいぶ遅れてのことです。
例えば、フランスでは女性に選挙権が与えられたのが、
男性よりも100年以上後になってからです。
私はこの男女不平等を生み出した原因に、
宗教も大きく影響していると考えます。
ここでは詳しく述べませんが、
どの宗教でも女性を不浄であるとか従属的な存在とする
教え(教義)や習慣をもっています。
宗教者は、この事実に敢えて触れないようにしているか、
または隠しているのではないでしょうか。
では、当本門佛立宗の依経となる法華経(妙法蓮華経)はどうでしょうか。
法華経には女性の成仏が説かれます。これは他の仏教経典には無いことで、
法華経だけが唯一女性を成仏という救いへ
導くことが出来る教えといわれています。
しかし、私は法華経の女性成仏が説かれる
提婆達多品にはかなり違和感を感じていました。
変成男子といって、女性が成仏する際に、
一旦男性の身体になった後に成仏することになっているからです。
なんか納得がいかない。
結局女性のままでは成仏できないの?と思っていたのです。
しかしつい先日、
ある御導師が以前お話しされていたという内容について伺いました。
それによると、女性成仏は提婆達多品で捉えるのではなく、
すべての現象が仏の現れであるという
「諸法実相」の理が説かれた方便品を以て捉えるべきであって、
これによって女性は勿論、セクシャルマイノリティの人たちも、
さらにはどんな悪人でも、
すべての人が平等に成仏できることを証明しているというのです。
なるほど!目から鱗とはこのことかぁ。
そういえば、提婆達多品は初期の法華経には含まれず、
後から追加された章であるといわれています。
たぶん、物分かりの悪い男性信徒に対して、
理解を促す目的で追加されたのが提婆達多品だったのですね。
日蓮聖人も「提婆品は方便品の枝葉。」(月水御書)と仰せでございますから。
ついでに、先述の御法門ではこんなエピソードもご披露しました。
日蓮聖人のいらっしゃった鎌倉時代は、封建制度の初期であり、
家制度によって女性の地位が低っかた時代です。
そんな中で、日蓮聖人はとても女性信徒を大切にされ、
頻繁に慈悲深いお手紙を書かれています。
その中に、ある女性信徒が月経の時期に修行をして良いのかとの質問に対し、
生命誕生に必要な生理現象であるから不浄ではない、
修行することは結構である、とのお返事があります。
それから600年ほどが過ぎた江戸時代末期の、
日扇聖人の頃にも同様の質問があり、
不浄だから本堂にお参詣してはいけないなどということは無いとお答えです。
古来、神道や仏教において、月経や出産に伴う出血を穢れ、
不浄なものとみなし寺社への立ち入りを制限してきたという経緯があり、
それは現代もなお続いています。
私は単純ですから、
成仏出来るはずもない女人禁制の場に参拝しようとすることが
無駄に思えてしまいます。
それに、そもそもみんな女性の身体から生まれてきているのですから、
女性が不浄なら男性も皆不浄ではないでしょうか。
だからこそ皆、法華経の教えに基く本門八品上行所伝の御題目でしか、
救われないということですね。
さて、映画の終盤では、
アイスランドの様々な分野に占める女性比率が
『女性の休日』の成果として示されます。
中でも国会議員は48%とのこと。
私は4年前の御法門で、
すべての国で国会議員の半数は女性がなるべきでないかと思うと述べました。
語弊があるかもしれませんが、これまで戦争を引き起こしてきたのは男性です。
女性比率が上がることで、和平が進むのではないかと感じています。
さらに、当時はまだ、女性の首相が誕生していませんでしたから、
首相には女性が、とくに現国連事務次長の
中満泉さんのような方になってほしいと述べました。
平和的な交渉力に長けていることと、
「正しい正義感」を持っていると思うからです。
なんだか、映画の内容からはだいぶ反れてしまいました。
でも、ネタバレになるので内容に触れない方が正解だったかもしれません。
映画は最後に「すべての人は平等よ」というセリフで締め括られいます。
そういえば、私の母もよく「平等」を口にしていました。
私はそれを笑いのネタにすることすらありましたが、
今思えば、著しく不平等な扱いに苦しめられてきたからこその、
母の口癖だったと気づきました。
同時に、その口癖により少なからず平等を意識できるようになったことは
良かったなどと思いを巡らせながら、帰りは南阿佐ヶ谷から丸の内線に乗り、
母が私を産んでくれた新中野を通り、新大塚まで帰ってきました。

写真は映画館内のテーブルに置かれていた、マスコットです。
映画館は小さいけれど、丁度いい感じで、お洒落な空間でした。
 


 

私が所属する本門佛立宗・差別問題委員会では、
64教団が加盟する『同宗連』(『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議)の
第2連絡会・副会長教団として活動しております。
具体的には、年に三~四回の会議と研修会を開催しています。
去る、2月19日には本門佛立宗・宗務本庁にて、その会議と研修会が開催され、
浄土宗はじめ日本ナザレン教団、臨済宗天龍寺派、臨済宗東福寺派、
および同宗連・議長教団の高野山真言宗、副議長の日本基督教団、曹洞宗、
オブザーバーの立正佼成会より、オンラインも含め13教団17名の方、
さらに研修会には佛立研究所、専門学校の先生にも出席いただきました。 
会議冒頭では、当宗の宗務総長・亀井日魁導師より挨拶があり、
その後、同宗連常任会議の報告と、
出席各教団より直近の人権問題への取り組みについての報告がありました。
15時からの研修会では、
『部落フェミニズム』の著者である川﨑那恵(ともえ)さんを講師に迎え、
『寝た子を起こして、仲良くごはん~出会いから学び、差別と向き合う~』
と題して講演会が開催されました。
部落女性への聞き取りを行う中で、
部落であり女性であることで受ける二重三重の差別に苦しむ中に生きた、
一人ひとりの生き様を忘れられたくないとの思いで
『部落フェミニズム』を著されたこと。
その中の一人、山本榮子さんについてのお話。
そして、最後には榮子さんが生前、
大学の講義で学生さんに向けて残したメッセージを読み上げ、
こうした人との出会いから得られた言葉を大切にし、
これからも伝えていきたいとお話くださいました。
すみません、かなりザックリのご報告でした。


 


 

3月11日22時頃に石川一雄さんがお亡くなりになられました。
遅ればせながら今朝お塔婆を建立させていただきました。
いつも無罪を勝ち取るまでは死ぬわけにはいかないと仰り常に体調管理に気を配っておられました。
無念だったと思います。
早智子奥様はじめ支援されていた方々の悲しみ、残念さはいかばかりでしょうか。

私は1986年に狭山にある高校に入学し、そこで「狭山事件」を知りました。
その高校は同和問題の授業にも熱心で『造花の判決』も見ましたし、図書室にも狭山事件に関する書籍がかなり揃っていました。
そこで興味を持ったことから何度か狭山現地事務所にもお邪魔し、まだ焼ける前の一雄さんの実家の鴨居も見学させていただきました。大学の頃には、水平社創立70周年で映画『橋のない川』がリバイバルされましたが、その頃にも現地事務所にお邪魔し、映画もいいけど映画の撮影風景を交えたドキュメンタリー番組『橋のない川の世界』が放送されるからと勧められ拝見したことを覚えています。
就職してからは全く接点がなく、一雄さんが仮釈放されていることも2005年に鳥越俊太郎さんの『ザ・スクープ~見えない手錠をはずして~』で10年以上も経ってから知りました。
佛立教育専門学校に入学していた2008年頃には「京都部落問題研究資料センター」での部落史連続講座に度々参加し、そこで知り合いが出来たことから以後部落問題に関わる機会も増えました。しかし、以前から狭山現地調査に参加してみたいと思っていたのもののなかなか実現しませんでした。
2021年、宗務本庁総務局のお役をいただくことになったのですが、慣例で総務局員の中から局長、庶務部長の他に2名ほど宗門の「差別委員会」に入ることになっており選んでいただきました。
内容は「同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議」、通称「同宗連」という集まりに参加することで、そこで再び「狭山事件」との接点を持つことが出来ました。日比谷野音で開催される「狭山事件」の再審を求める市民集会に参加しデモ行進をしたり、昨年は東京高等裁判所への要請行動にも参加。また、念願の狭山現地調査にも参加出来ました。
写真はその際に撮っていただいた石川一雄さんとのツーショットで、翌日には奥様の早智子さんがこのような形にして、別のカレンダー版とともにプリントアウトして会場まで届けてくださいました。

そんな中で、2024年10月に袴田さんの再審無罪が確定し、本当にもう次は石川一雄さんという直前での訃報でしたので本当に残念な気持ちです。この上は何としてでも無実の罪を晴らしてほしいと願います。
石川一雄さんお疲れさまでした。

心よりご冥福をお祈りいたします。


 

 

 

 もう10年以上前になりますが、ある御講席での出来事です。
 私が御講席を勤め、上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目をお唱えしていた時、突然、正座している右足のふくらはぎの脇をふわふわの毛のような物体が、足先から膝に向かい猛スピードでかすめていったのです。何事かと驚いていると、今度は左足の膝のあたりを右前から左後ろに抜けるようにかすめていきました。目には何も映りません。ちょうど感触としては、最近は見かけなくなりましたが、きつねの毛で作られたフカフカのキーホルダーのようです。「猫かな?」と思ったのですが、猫にしては位置が低すぎます。ハムスターって感じでもないしなぁ・・・、などと考えていました。
 御講が終わり、席主の方にこの出来事を伝え、何か飼っていた動物はいませんかと尋ねると。
「リスです!」とのこと。
 リスかぁ、なるほど。あのフカフカとサイズ感、あのスピードといい、まさにリスだ!と納得したわけです。10年以上前に飼っていたそうですが、かわいそうな亡くなりかたをしたそうです。これまで、ご回向(お弔い)もされていなかったとのことで、ご回向をお勧めしました。
 それにしても、10年以上もの長期にわたり、その上これまでに何度か転居されているのに、ついて来たみたいです。そのリスだったとすればの話しですが・・・。

 さて、このような私たちが今住んでいる現実世界(此岸)と、亡くなった後に行く世界(彼岸)の、狭間のようなところにいる状態を仏教では中有とか中陰といいます。よく言われますが、人が亡くなると中有の期間があり、その間は七日ごとに裁きを受け、四十九日で次の行き先が決まり生まれ変わるということ。さらに四十九日で、行き先が決まらない場合は百ケ日とか、一周忌、三回忌までかかって行き先が決まる場合もあるとか。このことについて、お祖師さま日蓮聖人は十王讃歎鈔という御書に著されております。
 また本尊問答抄には、ご自身が出家得度された際のお師匠であり、ご染筆の2年ほど前に御遷化された道善御房について、正しい法華経本門のみ教えを信じることが出来ず、いまだ中有に彷徨っているのではないかと案じておられます。
 中有で彷徨う理由はいくつかあると思います。
  一つ目は、この世やこの世に残した人に未練がある。
  二つ目は、自分が亡くなったことを理解できない。
  三つ目は、行き先が決まらない、または、決まっていてもそこに行きたくない。
 ということではないでしょうか。
 先述のリスの場合は、二つ目ではないかなぁ。
 ご回向は、その霊に亡くなったことを気づかせることになるかと思います。
 さらに、上行所伝の南無妙法蓮華経によるご回向は、その霊にとって一番良い行き先に案内してくれます。ただし、ここで一つ重要なことは、亡き動物のご回向をしても、すぐには成仏しないということです。勿論、動物たちがどれだけ飼い主を癒したことでしょう。動物園の動物たちも同様です。食肉となる動物たちは身をもって人の命を繋ぎます。盲導犬やセラピードッグなど、人のために尽くしている動物もいます。ですから、こうした動物たちは天上界(いわば天国のような世界)へと行くことが出来るでしょう。しかし、天上界は浄土ではありません。天上界とは人間界の上に位置しますが、だからと言って、次に地獄界や餓鬼界といった悪い世界に生まれてこないわけではありません。私たちは、下は地獄界から天上界までの六つの世界を生まれ変わり死に変わりしているのです。これを六道輪廻といいます。成仏とはこの六道輪廻を逃れ、さらに上にある寂光浄土という仏の世界に行くことです。ここは、生前の仏道修行(上行所伝の南無妙法蓮華経を自分で唱え、人にも勧める修行)によってのみ行ける世界です。残念ながら動物たちには、仏道修行は出来ません。
 しかし、上行所伝の南無妙法蓮華経によるご回向によって、次に人間として生まれ変わり、その上で、上行所伝の南無妙法蓮華経にお出会いすることが出来るのです。そして、しっかりと仏道修行を重ねることで成仏の果報を得ることが出来る、真の至福の境地に到達することが出来るのです。

 動物のご回向といえば、熊本・長薫寺所属で、養豚業をされているご信者さんのお話に、亡くなった豚のご回向をさせていただいていたら、病気などで亡くなる豚が減ったというお話がありました。そういうこともありますから、やはり動物たちのご回向も大切ですね。

 写真は岐阜にある、金華山リス村の台湾リス。なんか想像していたより毛が固かったです・・・。

 

 

 

 

 ちょっと前になりますが、3月20日お彼岸の朝、木村良尚師が説かれた御法門の中で、次のような体験談がご披露されました。
 熊本・長薫寺所属で70代のある女性信者さんの、六年生になる男のお孫さんが、二ヵ月ほど前から不登校となっているとのことで、そのご信者さんとお孫さん、その子のお母さんに当たる娘さんと三人で来寺され受け持ち御講師に相談をされたのです。その際、男の子は御講師に「この人誰?」「早く帰りたい」などと悪態をついていたそうです。そんな中で話が始まりました。話を伺っていると、この子のお母さんには霊感があるようで、ある朝、枕元に中学生と小学三年生くらいの男の子が現れ、自分に甘えてきたというのです。実は、このお母さんには男の子を挟んで二人の水子(当宗ではスイシと言う)があり、生まれていればちょうどこのくらいの年になるらしく、二人が現れたときにこのお母さんは、自分の水子ではと気づいたのです。すると二人の子は「なぜ生んでくれなかったのか」「僕達も学校に行きたかった」と言ってきたのです。お母さんは、生んであげられなかったことや今まで忘れてしまっていたことを何度も謝ったそうです。
 この話を伺い受け持ち御講師は、では南無妙法蓮華経の御題目でご回向(供養)させていただきましょうと勧めました。しかし、このお母さんは、ある新々宗教の信者となっているから、ここでお参りはしないと言うのです。それでも、御講師はその新々宗教では亡くなった方も救われないと説得をされたところ、ではお参りするということになり本堂に移動することになりました。その時、お母さんが「今、亡くなっている誰かが喜びました」と言うのです。
 そして、本堂で南無妙法蓮華経の御題目をお唱えを始めました。夜10時を過ぎていることもあり、15分ほどでやめようかと御講師が家族の元へと下りていきますと、このお母さんはお看経(御題目を唱えること)をやめません。結局1時間ほど御題目を唱えたのです。なぜかと伺うと、亡くなった方たちが喜んでいて、その感情が伝わってくるので、お看経をやめたくてもやめられなくなったというのです。さらに、この時大きな変化が起きており、先ほどまで悪態をついていた男の子が、急ににこやかに御講師に話しかけてきたのです。
 その後、この男の子は二日後から登校するようになるお計らいを頂き、お母さんも喜ばれ入信。今も家族でご信心に励んでいるとのことです。

  

 以前も水子が大きくなって現れた話を書きました(過去記事「水子は育つ」)が、やはりこういうことはあるのですね。さらに、この体験談で言えることは、本門八品、上行所伝の南無妙法蓮華経の御題目によるご回向(供養)が、亡くなった方にとって何より嬉しいことであるということです。

 世間一般では、先祖や亡き霊に対して、気持ちさえあればどんなやり方でも良いと思われがちです。確かに、亡くなった方を思う気持ちはその方に届くでしょう。でも、気持ちが届いただけで救わるわけではありません。南無妙法蓮華経による回向は、気持ちが届くだけでなく、亡き霊が救われるのです。だから喜んでくれるのです。
 よく当宗に入信したばかりの方が、御題目を唱えているとなぜか涙が勝手に溢れてきて止まらないということがあります。これも、始めて御題目で先祖や亡き霊を回向したことで、その方々の喜びが伝わっているためです。南無妙法蓮華経の回向による不思議な話は無数にありますので、またの機会にお話しします。

 

 ここで一つ付け加えておきたいのですが、体験談の中で不登校だった子が、二日後から学校に行くようになるご利益を頂いたとありますが、これは決して登校することが良くて、不登校が悪いということではありません。子どもの頃に不登校でも、大人になり様々な分野で活躍されている人があったり、幸せな生活を送っているという人はたくさんにいます。不登校だったからこそ、広い視野で物事を見ることが出来たり、人の痛みがわかるという人もいます。
 ただ、この体験談の男の子にとっては、学校に通える方が、自分の未来や家族にとって良い結果をもたらすからこそ、仏様(御法様)がこのようにお導きくださったのだと思われます。逆に学校に行かない方が、良い未来になるのでしたらそのように導かれるのではないでしょうか。

ところで私のところも、娘の上と下に水子がおります。今日はちょうどその上の子の祥月命日でした。朝はお塔婆を上げご回向をさせていただいた次第です。

 

 それにしても、私には体験談に出てきたお母さんのように、この子たちの存在を身近に感じるような出来事が無いのです。そっか、やっぱりパパよりママがいいですもんね。くさいパパよりねぇ・・・。 (過去記事参照

 

 

写真は遠妙寺飯能別院に咲いた花。別院には色々な花が咲くのですが、ほとんど名前がわからないんです。どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらお教えいただきたいのですが。