寒参詣終了後の2月7日、飯能別院にて御総講が勤まり、そのご供養席でのことです。何かの話から、御導師が寒参詣中には昔から色々なことが起こったという話になり、その中で小さい頃やかんのお湯で火傷を負った際、ひどかった箇所におろうさんを塗ってすっかり綺麗になったが、たいしたことないと思い塗らなかった箇所はケロイドのようになってしまったというお話しをされたのです。
実は、私もこの度の寒参詣中におろうさんの妙味を感得した出来事がありました。
このコロナ禍で手洗いやアルコール消毒を頻繁にしていたためか、手の甲が荒れ、あかぎれとなって痛みまで生じてしまったのです。家内より「これ効くから」と薬をもらい、塗った上に手袋をして就寝すると、確かに翌日には良くなっていました。ところが、数日後には、また再発。家内からは、良くなったら今度は保湿クリームを塗っておかないとダメと言われてしまいました。ちょっとそれは面倒っ!
その日、自宅でのお看経中に、20年近く前に大木彰信師から譲って頂いたおろうさんがあったことを思い出し、お看経中にあかぎれの箇所に塗ったのです。ただ、20年近く経っているからか固くなっており、中でもやわらかそうな部分を選んですくい、ひどい箇所に塗るというか載せるような格好となりました。その上から手袋をして就寝。すると翌朝には痛みも取れきれいに治っていました。驚いたのはそれからです。その後、何の手入れもせず、手洗いやアルコール消毒もこれまで同様行っており、手がカサカサしているものの、以来あかぎれの症状は全く出ないのです。薬よりスゴイっ!
さらに数日後、今度は親指の先、爪の左側の皮膚がパックリ割れ、あかぎれとなり痛みだしたのです。そこで、その割れたところにおろうさんを塗り、というか入れ込み就寝。翌朝見ると、割れが残っており「何だダメかぁ」などと思ったものの、痛みは無くなっており、それだけでも良かったと思ったのです。ところがその後、おろうさんも特に塗らず、そのままにしていたのですが、三日ほどでほとんど治ってしまったのです。「恐るべし、おろうさん!!」といった感じで、おろうさんのすばらしさを実感した出来事でした。
ところで、この彰信師から頂いたおろうさんですが、今は亡き御導師の奥様が非常ベルを鳴らしながら(和蝋とゴマ油を長時間煮込むため、火災報知器が反応してしまうことも)時間と手間をかけて作られた「おろうさん」です。でも、この作り方の継承がされていないそうなのです。どなたかレシピ?ご存知の方がございましたらお教え頂ければ有難いのですが・・・。
~以下はfacebookの方に書かせていただいた内容の転写です~
先月27日朝、竹内結子さんの突然の訃報にたいへん驚きました。今日は初七日にあたるかと思います。私は竹内さんの出演されたドラマや映画などは、ほとんど見たことがありませんが(「ゴールデンスランバー」くらいでしょうか)、それでも竹内さんといえば、いつも笑顔を絶やさない素敵な女性という印象を持っていました。とくに、私の大好きな「インサイドヘッド」の、その中でも大好きな「ヨロコビ」の吹き替えをされていますが、まさに「ヨロコビ」のような方だったと思います。本当に悲しい限りです。今は、上行所伝の御題目でご回向させていただくのみです。
さて、私は今年の2月からブログで自殺について思うところを書いてみました。稚拙な文章であったり、的外れな内容かとは思いますが、誰か一人にでも伝えられたらと考えたからです。
また、本年はくんげ会(こどもの会)の参与をさせていただいておりますが、去る9月6日のくんげ会御講の御法門では、命の大切さについてお話しをさせていただきました。自らが発した言葉や文字によっては、相手を傷つけ死に追いやることがある。だから誰に対しても、思いやりを持つこと。そして、逆に自分がイジメを受けたり傷ついたとしても、自ら命を絶ってはいけない。なぜなら、私たちの命は自分だけの物ではないからというお話をしました。
その際平成8年に渋谷・乗泉寺の青年会が作成した体験談集の中から、T.Mさんの体験談を紹介致しました。T.Mさんは小・中学校でイジメにあい、中学2年で不登校となり、自殺まで考えました。しかし、自殺を考えた時、御法様(仏様)に生かされているんだと思い、とどまることが出来たという内容です
T.Mさんは、その後、学校に戻ることも出来、現在は乗泉寺新座別院にて、お役を拝命しご奉公に励み、また、お教化もされ人助けに励まれています。中学生の時もし命を絶っていたら、T.Mさんのお教化やご奉公によって救われるはずだった人達までも、救われない結果になった可能性があります。
とくに佛立教講は、妙法の御題目をお持ちし、お弘めすることで人の命を救うことが出来る。だから、私たちの命は自分だけの物ではない、他の人を救うことが出来る命、仏様から生かされている命である。その命を絶対に粗末にしてはならないと伝えました。
このことは、佛立信者でなくとも同じで、誰もこの世に生を受けた人の命は自分だけの命ではなく、他の人を救うことが出来る、みんなの命であると思います。
このコロナ禍の中で、自殺者が増加しているそうです。遠妙寺でもコロナ禍で悩みを抱えている人(それ以外での悩みも)に対し、少しでもお役に立てればと相談窓口を設け、門戸を開いております。まだ、訪ねてきたり問い合わせをしてきた人は少ないです。一人でも多くの人のお役に立てればと思うばかりです。

本日の晨朝勤行の御法門当番は髙須良聡師でした。
御教歌に「うたがはで信ずるのみよ名字即 ものしりがほになるのではなし」を頂かれ、現在末法の信者は、仏様の教え(御法門)を聞き、それをひたすらに信じ上行所伝の御題目口唱に励む初心の段階(名字即の位)であり、その素直正直な口唱信行にこそ、ご利益が顕れるという内容でした。
御教歌御題には「四五抄云 信は龍口」とあり、御祖師様日蓮聖人が龍ノ口の刑場にて、頸を刎ねられようとしている最中、信の一字で御題目を唱え続けられたところに、"不思議な光"が現れたことで刑の執行が出来なくなったお話が説かれました。
また、渋谷・乗泉寺所属のT.Kさんが都立高校の教員採用試験に合格された際の体験談が紹介されました。試験直前に、お勧め頂いた甲御講(御導師御講)を頂くことを躊躇したものの、決定してお受けしたところ、御講後に御本尊が光り輝くという不思議な現証があり、その後の試験で無事合格を果たしたというお話しでした。
だいぶ端折ってしまいましたが・・・。
どちらも"不思議な光"にまつわりますが、実は私も"不思議な光"を見たことがあります。
30年以上前、勿論得度前の私が高校生の時です。私の菩提親でもあり、遠妙寺事務局長もされた故木村榮治さん宅で御講席が勤まった日のことです。木村さん宅は、玄関を入ってすぐに扉があり、その扉の向こうに8帖二間が縦に続き、その正面の奥が御宝前となっています。
その日、私が玄関を入り御宝前の間の扉を開けたとたん、真っ正面の御宝前からまぶしい光が発せられており、目を開けることすら出来ないのです。私は「何かの光が乱反射しているんだ。」と思いました。すぐに光は消えましたが、「本当に不思議な事があるものだ。」と首をかしげました。
御講終了後、席主の木村榮治さんがお勤めいただいた御講師に次のような話をされ始めたのです。
「先日、教化子宅にお助行で伺った際、御戒壇がピカピカに輝いていたのです。その家の息子さん(私と同年代)が、毎日御戒壇のおみがきをされているそうで、真心のこっもったおみがきで御戒壇がピカピカに輝いていたのでしょう、それに大変随喜し、自分も真心をこめて一生懸命に御戒壇のおみがきをさせていただきました。」と話されたのです。
私はその話を横で伺い、先程の目も開けていられないほどの"不思議な光"の理由がわかったような気がしました。席主の木村さんが、真心をこめ、御法様を思い一生懸命におみがきされたことで、あのような不思議な現証が顕れたのではないでしょうか。
写真は、私が高校を卒業して間もない頃の木村席御講での一枚です。榮治さんが写っていないのは、写真を撮っているのが榮治さんだからです。すみません、主役が榮治さんなのに写っていなくて・・・。
写真の右側に貴子さんが写っていますが、実は今日9月17日は貴子さん「白蓮院華光日貴信女」の23回忌正當でした。
今朝は、木村御導師が一般のお塔婆言上とは別に、青年奉仕会を弔主とされ、その他お塔婆建立者とともに丁寧に回向言上をしてくださいました。涙が出ました。
貴子さんが遠妙寺青年会に果たした役割は非常に大きいかったでしょう。貴子さんがいたから、貴子さんのお陰で青年会活動に参加出来たという人も多いはずですし、私もその一人です。私が青年会に入った当時、男性ばかりの青年会で紅一点、いやっ、"光一点"で活躍され、その後貴子さんの会長時代には会員が激増。とくに女性会員が増え、遠妙寺初の「青年の一座」も奉修されるなど、活動が活発になり遠妙寺青年会の名を一躍宗内に知らしめました。
そんな貴子さんに、御導師は華光如来のお名前を法号に入れてくださいました。華光如来とは法華経譬喩品において、智慧第一の舎利弗尊者が、その智慧を捨て信の一字で修行し記別(成仏の保証)を与えられ、未来に成られた仏のお名前です。
今朝の御法門を頂き、また貴子さんを想いながら、信の一字に徹することの大切さをあらためてかみしめた次第です。
御師匠木村日覚御導師のお徳分とお慈悲を頂き、本日無事に得度満20年を迎えることが出来ました。
実は本日は御導師のお誕生日でもあります。そんな20年前の今日、御導師のお許しを頂き無事に得度させていただきました。僧名は、遠妙寺開基日彰上人の「彰」に私の父の名前から一文字「孝」の文字を頂き、御導師より「彰孝」と賜りました。よく各寺院の御導師方はご自身のお名前から、一文字を弟子に授けられることが多いですが、木村御導師は開基日彰上人への報恩の思いからでしょうか、「彰」の文字を弟子に付けられております。ですから木村御導師のお弟子でも御導師のお名前を頂くことはありません。しかし、私の場合、たまたま?父の名前の一文字が御導師の俗名の一文字と一緒であったことから、御導師のお名前より一文字頂いている形になっております。ありがたい!
余談ですが、御導師の俗名のもう一文字と私の父方祖父の名前の一文字が同じ、つまり祖父の一文字と、父の一文字を足すと御導師の俗名になります。
また、御導師の日号の一文字と、私の家内の父の名前のが一緒になります。
さらに、亡くなった私の菩提親である木村榮治さんの院号は、御導師の院号と同じ院号を御導師がお与えくださっております。
ということで、私は御導師とのご縁が深く(勝手に思っているのですが)、そして御導師よりのお徳をたくさんに頂いているのですが、これまでの20年間を振り返りますと、ご弘通面をはじめご奉公が行き届かぬ事ばかり、その上色々な面でご迷惑ご心配をお掛けしてばかりで、なんとも「残念な弟子」となってしまっており、今朝はそのお懺悔を込めて満20年の御礼のご挨拶をさせていただいた次第であります。
私の残念な話はこのくらいに致しまして・・・。
さて、本日は広島に原爆が投下された日でもあります。
数年前より、この広島の原爆投下を描いた映画「ひろしま」が注目されるようになり、地方の公民館などで上映されるようになりました。
この「ひろしま」は1953年(昭和28年)に制作されました。海外からは高い評価を得たものの、日本ではアメリカを意識してか大手映画配給会社が配給を拒否するなどしたため、ほとんど上映されず、知られていない作品となっています。広島出身のご信者さんに聞いても「知らない」との返事が帰ってきたくらいです。
詳細はこちらで↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%97%E3%81%BE
私も数年前にその存在を知ってから、ぜひ一度は見たいと念願しておりましたが、タイミングが合わず見ることが出来ませんでした。
ところが、昨年8月NHKで放送され初めて拝見することが出来たのです。
その時の第一印象は、戦後8年の日本で、よくこれだけの映画を制作することが出来たと驚くものでした。
しかし、それにもまして驚いたのは映画中盤以降です。
ご覧になった方はご承知と思いますが、本門佛立宗のお助行と思われるシーンが出てくるのです。勿論、フィクションのはずです。確か黒澤明監督の「どですかでん」にも、佛立宗らしきシーンが出てくるのですが、「ひろしま」の場合はかなりリアルです。
お掛けしている御本尊は広島・佛立寺のご信者さんが護持されている御本尊らしく、また、部屋には佛立寺の「お誓いの言葉」のようなものが貼られているのです。お助行されている人も数名を除き、佛立宗のお数珠を持っています。
映画では、このお助行を頂いている家の娘さんに対し、好意を寄せる近所の青年が「君のお母さんは御題目ばかりだしな」と言うなど、少々批判的に描かれているようにも思います。しかし、映画の中で他の宗教ではなく佛立宗が、それもまぁまぁ長いカットで出てくるのは、当時原爆投下直後の広島で多くの人に佛立宗が伝わり、そこかしこでお助行が行われていたことを如実に物語っているのではないでしょうか。
そして、佛立信仰によって多くの人が救われたはずです。
実際に、原爆により生死を彷徨い助かったり、被爆したものの後々まで健康面のお計らいを頂かれたという御導師やお教務方、ご信者さんのお話しはたくさんに見聞き致しております。
当時のことを思いますと、現在新型コロナウイルスの蔓延により、様々に苦しみを抱えている方々がいる中で、佛立宗の、そして教務の果たす役割は大きいはずです。しかし、今の自分自身を見る限り、そういった方々のお役には立てていません。残念です。
このまま残念な弟子で終わらないよう、これからの10年に向かって、御宝前にしっかりと菩薩行実践、ご奉公成就のご祈願をし、御導師の御教導を賜り、お教務方、ご信者さんのお力をお借りして歩んでいきたいと心新たにしているところです。
皆様、どうぞこれからもよろしくお願い致します。合掌
なお、これもたまたまですが、今日このブログを書くのに「ひろしま」についてネットで検索していましたら、遠妙寺から近い「シネマハウス大塚」にて8月22日(土)~8月28日(金)(24日休映予定)の期間で「ひろしま」が上映されるそうです。
詳細はこちらで↓
https://mikata-ent.com/m-cinema/567/
写真は原爆ドームです。鳩ではなくカラスですから、はだしのゲンのように卵を食べるのは難しいかもしれません。
私の知人の話です。
彼は以前退行催眠によって過去世を見てきたと言います。詳しい内容は省略致しますが、とにかく半信半疑、いや寧ろ過去世を見るなど信じていなかったそうです。ところが、実際に試してみると、知るはずもない時代の、しかも外国のことが映像となって見えてきたのです。後に、見えたことが実際にあったことなのかを調べると、確かにそういうことが起きていたとのこと。彼が見てきた過去世は今の一つ前の世で、今の世に影響のある青年期と中年期の出来事が見えたそうです。そして、前世の彼の終末は自ら命を絶つことで迎えられました。彼は死後、住んでいたアパートを出て、石畳の街を抜け、一本だけ木の生えた小高い丘に登ります。すると、本来あるはずのない地下へと続く階段があり、下りきったところにある扉を開けたところで、目の前が真っ白になり終わったとのこと。
施術を行ってくれたセラピストの話では、通常臨終を迎えると、魂は上へ上がっていくとのことですが、彼は上に上がることは無かったそうです。それが自殺だったからなのかはわかりません。
この施術を受けて感じたことをセラピストに聞かれた彼は、「自殺をすると願いが叶わない」と答えたとのことです。
つまり、自殺では生前に抱えていた苦しみから逃れることが出来ない可能性があるということではないでしょうか。いじめであったり、経済的な理由であったり、病気であったり様々な苦しみが因で自ら死を選んでも、その苦しみが来世でも繰り返されるということかもしれません。
彼の話からそんなことを読みとることが出来るのではないでしょうか。
勿論、退行催眠によって見てきた前世を信じるとすればの話ですが。
さて、2000年12月26日、私の30歳の誕生日の朝、晨朝勤行が終わり教務食堂で朝食のご供養をいただきながら、流れていたテレビ番組を見ていました。すると、そこには横浜の新都市ギャラリーで開催されている催しの情報が流れていました。
いじめなどが原因で自ら命を絶った子ども達が、遺していった物やメッセージを紹介するというものでした。この日はとくに予定もなかったことから、すぐに支度をして引き寄せられるように横浜に向かいました。
会場には15歳で命を絶った女子高校生のKさんと、16歳で命を絶った男子高校生のS君を中心に、命を絶たざるを得なかった若者たちの生きた証が飾られていました。
「SとKのハッピーバースデー」と題され開かれた会場に、まさにこの日ハッピーバースデーを迎えた私が来場し、そこで知りました。ちょうど2年前の今日、S君が命を絶ったことを。私が誕生日に浮かれていたその日に、苦しんで苦しんで苦しみ抜いたS君は自ら命を絶ったのです。
ご家族、とくに親御さんの悲しみは計り知れません。
何でハッピーバースデー?
それは、この展示会の開始日である12月22日がKさんの誕生日であり、最終日の12月26日がS君の魂の誕生日だからとのこと。でも、このタイトルには、あの世で彼らに幸せであってほしいとの親御さんの願いが込められているように思えます。
あれから20年近く経ちますが、命日にはお塔婆を上げご回向させていただいています。幸せであってほしいと私も願っているから。
Kさんのご両親はその後、いじめの無い社会を目指し「ジェントルハートプロジェクト」という団体を立ち上げ活動されています。
私はこの会場を訪れてから、前回お話しした精神系ホームページにて書き込みをしていました。いじめを受けている人や自殺を考えている人に、何か出来ることはないかと思ったからです。
そこに訪れていたMさんという女性が書き込んでいたことを紹介します。Mさんは70錠の睡眠薬を飲み自殺未遂。その後マンションの5階から飛び降りましたが一命は取り留めました。しかし、以来足が不自由になってしまったのです。
その彼女曰く、自殺をする時は既に自殺に取り付かれていて、それ以外の方法を考えることなど出来なくなってしまう。だから、そうなる前に、まだ少しでも自殺以外の道が残されているのではないかと考えられる段階で、誰かに相談してほしい。そう言っています。
コロンビア大学のJ・ジョン・マン教授は自殺者の90%が、その時点で何らかの精神疾患を発症していたと研究報告してます。そこに陥る前に相談を、それも信頼出来る人にしてほしい。ネットの自殺サイトや精神系サイトではなく。
親でも先生でも上司でも、心療内科や「こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)」、「自殺総合対策推進センター」に紹介されているところなど。そして、全国にある「本門佛立宗」のお寺でも・・・。
一人の人に相談して理解してもらえなければ、別の人に、その人に相談しても腑に落ちないのならまた別の人に、何人でもいいから、とにかく相談してみてほしい。相談なんてそんな難しく考えずに、とにかく話をしてほしいのです。
写真は、Kさんが残したメッセージで、ハッピーバースデーの会場で頂いた絵はがきの一部分です。



