今更ですが、がんと宣告されたとき、あなたはどんな感情を抱くでしょうか?
私は、やっぱり。と思いました。
妙に冷静で、納得していたのです。
が、その日、見た風景をこの世で見る最後のものになるんだろうな、と沈んだ気持ちになったことも確かです。
私は思い出します。
医師である父が、自分のがんがどこまで進行しているか知っているはずなのに、それでも治ると気持ちを鼓舞して希望を持とうとしていたとき、入院を余儀なくされて、寝室のベッドに腰掛けてうなだれていた姿を。
私は当時、東京で生活していて、言語療法士の権威に師事していたのですが。
父の側にいたいと思いました。
精神科医のエリザベスキュブラーロスは、死ぬ瞬間という著書の中で、患者が死を受け入れる感情の段階を示しました。
既にご承知のことと思いますので、詳細は割愛しますが、その段階の中に「怒り」があります。
なぜ、自分だけがこんな目にあわなければならないんだ?という思いです。
確かに、父にもありました。冷静沈着で、静かな微笑を常に口元にたたえているような彼が怒りの感情をあらわにしたのです。
怒りの矛先は、それはそれは、さんざんに家族を苦しめた次男に向けられました。でも、私はそれは当然だと思いました。
生きるか死ぬかという境界線で闘っている父に対して、人としてどうなんだろう?と思わざるを得ない振る舞いを次男がしたからです。
今でも腹立ちを抑えきれないので、私自身は自分の怒りのコントロールが必要だと思いますが、父は死ぬ瞬間、最期には彼を許したのです。
私が父の立場なら、彼を許すことができたでしょうか。
ロス博士の心理的葛藤の定義とおりだね、と言われれば、そだね、と言うしかないのですが、人の感情は行きつ戻りつ、するのです。
中には、怒りと悲しみを繰り返す人もいるでしょう。
自分という小さな世界の中で、ぐるぐるぐるぐる、、、、
肉体を離れてゆく世界は、感情に囚われるような小さなものではなく、大きく広く、人を解放するものなのでしょう。
死に逝く父を看取って、そう思いました。
願わくば、私もそうありたいです。
日々の怒りの感情も、昇華させたいですよね。私はがんになってから、できるだけ、自分の中にストレスと感じるものを抱かないように、コントロールしています。
我慢はしない。怒りの発生源となっている事象に対して、説明を求める、怒っていますということを相手に理解させる。
それでも、怒りが収まらない場合は。
鼻から息を吸い、口から細く息を吐く。深呼吸です。これを繰り返します。
不思議と気持ちが静かになりますよ。