イタリアのひと、こと、ものとほん -3ページ目

イタリアのひと、こと、ものとほん

non ragioniam di lor, ma guarda e passa.



wikipwdia/ Vita Nuova より転載


やっぱり「神曲」ではベアトリーチェよりもウェルギリウスのほうに人間味を感じるし、


個人的な趣味で言ってもウェルギリウスのほうが気に入っている。


イタリアでは学校で必ず教わる「神曲」だが、聞いた話によれば女学生はたいていウェルギリウスに魅力を感じるようだ。


さて、ウェルギリウスの魅力について語っていたら一晩では終わらないが、


ここはベアトリーチェの魅力も語れなくてはいかん、と思い、


久しく開いていなかった「新生」を手にとってみた。


「新生」は、詩人ダンテが若かりし頃に書いた詩と散文の混ざりあった文集のようなもの。


「神曲」では完全に天国の住人となっているベアトリーチェ、彼女の若かりし頃と、ダンテとの出会いを知るためには必読の書だ。


(とは言っても、ベアトリーチェが実在していたかどうかは、実際どうでも良いことだと思うけれど、まあそれはおいておいて)




早速1ページ目からベアトリーチェが登場するが、やっぱり厳かな感じがしていい。


ダンテの時代にはまだ天動説が通っていたから、「太陽天が9度回ったとき」とか、


「恒星天が東に十二分の一度傾いたとき」とか、


宇宙や星々が眼前に広がるようなイメージがして、


これもまた彼女のこの世のものではない神々しさを際立たせているように思える。


以下、勝手ながら訳してみた。



Nove fiate gia' appresso lo mio nascimento era tornato lo cielo de la luce quasi a uno medesimo punto, quanto a la sua propria girazione, quando a li miei occhi apparve prima la gloriosa donna de la mia mente, la quale fu chiamata da molti Beatrice li quali non sapeano che si chiamare.


それは私が生まれてのち、光の天がその軌道に従い九度同じ場所へと戻ってきたときのこと、

私の眼前に初めて、わが心の栄光の淑女、その名を知らぬ者皆からベアトリーチェと呼ばれた彼女が姿を現した。



…まだ登場しただけなのに、このただものではない感。


しかし、ふと考えてみれば、中世イタリア人だろうが、現代日本人だろうが、


きっと恋に落ちた人間の目には、相手はこんな風に神々しくみえるんじゃないだろうか。


そんな風に思わせてくれるから、ダンテの表現するベアトリーチェは、現代日本人の私からみても


きらきらと輝いて見えるのではないかと思う。




あ、ベアトリーチェの魅力を…とかたいそうなことを言っておきながら、


全く主観でしか語れませんでした、ゴメンナサイ。


次回は「詩人の心の恋人」つながりで、ペトラルカの「ラウラ」について書いてみようと思う。


ポイントはもちろん、「心の」恋人ってとこですね。


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イタリア語家庭教師もやっております。

http://www.strikingly.com/tamarri




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