先日宿泊した銚子市の「大新旅館」に忘れものをしたことに気がついた。
クローゼット内のハンガーにスラックスをかけたまま帰ってきてしまったらしかった。
レトロなハンガーはこのブログにもアップしたが、退室時の確認を怠ってしまったのだ。
気づいたのは帰宅して2日ほど経った後のこと。
宿に電話してみる。
先方はその場で部屋まで見に行ってくれたようで、無事に発見された。
「気づきませんですみません」などと謝られた。
こちらはとくに気にしない。
忘れものは本人の過失である。
発見されただけありがたい。
掃除のときクローゼットを開かなかったのか、とか、その後別の客は泊まっていないのか、などと深いことは考えないでおく。
3日ほどして、自宅に包みが届いた。
着払いで、とお願いしていたのだが、普通郵便で送られてきた。
封筒もレトロ。
昔は両国に東京支店があったらしい。
銚子を代表するような名旅館としては、営業拠点の存在は当然だったのかもしれない。
付箋紙にメッセージも書かれていた。
ほんのちょっとしたことだが、今の世の中、なかなか出来そうで出来ない。
ケチな話をすれば、郵便代、封筒代、梱包の労力、一筆したためる時間、郵便局へ出向く往復の時間、など確実にコストがかかっている。
日本で当たり前とおもわれている無償のサービスというものに対して、最近大きな疑問を抱いている身としては、このまま何もしないのは許せない。
お礼の言葉を一筆箋に書き、心ばかりの品ながら菓子と共に宅配便で送った。
肉筆での手紙ですら過去のものとなりそうな世の中である。
忘れものから、最近忘れていたこの国のよき習慣を思い出させてもらった気がした。
まさに、時代の忘れものである。