伊能忠敬に会いたくて | プリンシペ・オリエンタルのブログ

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誰も知らない元覆面ルチャドール(プロレスラー)“プリンシペ・オリエンタル”のブログです。リングネームだったプリンシペ・オリエンタル=東洋の王子様。しかし、素顔は王子とはかけ離れた男であります。今はプロレスとはまったく関係ない毎日を送っています。

シゴト休みだった先日、千葉県香取市佐原の「伊能忠敬記念館」を訪れた。
 
いつか行きたい、と思いながらも、なかなか行けなかった場所である。
 
 
 
その日、茨城県の阿見町にある「予科練平和記念館」の見学を終えたのは13時半頃だった。
 
そのまま成田に帰るのはもったいないと思った。
 
そこで、以前から気になっていた「伊能忠敬記念館」をめざすことにしたのだ。
 
この辺りの土地勘がまったくないのだが、カーナビを頼りに50分ほどで到着した。
 
意外と近いことに驚いた。
 
また、その道中には昔ながらの古めかしい食堂がいくつもあったのには心躍らされた。
 
すでに土浦で昼食を済ませてしまっていたので立ち寄ることはなかったが、機会があればいつか来てもいいな、と思うほどの趣き深い店が多かった。
 
 
 
「町並み観光駐車場」にクルマを停めた。
 
すぐに「ご本人」に出迎えられた。

 

記念館の裏側である。

 

そして、こちらが正面。

 

500円支払って、入館する。

 

 

 

今さらながらではあるが、伊能忠敬は佐原で商人として活躍していながら、50歳になって江戸に行く。

 

年下の師匠の下で学んだ後、全国を測量しながら歩き、70歳を超えて日本地図を完成させたという人物である。

 

その生きざまがおしえてくれることは多い。

 

 

 

佐原で商人としてフツーに暮らしていれば無難な生涯を過ごせたにもかかわらず、50歳から新たなことに挑戦する向上心。

 

いろいろな分野の事象に興味を持って学んでいた好奇心。

 

日本地図を完成させるまでの幾度となる測量を積み重ねを続けた忍耐力。

 

それなりの立場になりながらも謙虚だったという人間性。

 

 

 

かつて、内村鑑三は著書『後世への最大遺物』の中で、「勇ましい高尚なる生涯」こそが、誰もが遺せる最高のものだと述べている。

 

たしかに、時代は違っても、その人の生きざまは色褪せることはない。

 

「評価」に関してはいろいろな視点や見解があるだろう。

 

しかし、客観的な事実は永遠に遺るものである。

 

 

 

記念館のすぐ近くの旧宅にも行ってみた。

 

こちらは無料だった。

 

ここでもご対面である。

 
 
「この一歩から」。
 
踏み出す第一歩は大切だ。
 
 
 
佐原は昔の町並みを観光に活用している。
 
 

時代劇にも使えそうな風景だ。

 

のんびりと散策してみる。

 

平日ということもあってか、とても静かだった。

 
自分も、来年には50歳になる。
 
半ば隠居しているかのような気分で、毎日を送っている。
 
しかし、彼の生きざまをより知ってしまったがゆえに、このままなんとなく生きてよいものか、と疑問を抱いてしまった。
 
しょせん、死んでしまえばおしまいだけれど、どうせ死ぬなら自分なりに「やりとげた」と思えるものがほしい。
 
それは目に見えても見えなくても、納得出来るなにかである。
 
伊能忠敬様。
 
あなたに会えてよかった。