こんばんは。

ご覧頂きありがとうございます😊

 

本日も想像力と発掘良品の発掘⑲というテーマで

 

太陽の誘惑(1960)

(原題:I DELFINI)

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。

 

★発掘良品の発掘とは?

発掘良品とは、惜しまれながらも2022年3月に終了を迎えた、TSUTAYAさんによる新作・旧作、有名・無名、公開・未公開ではなく「面白い」を基準に作品をセレクトし、毎月紹介してくれている映画ファンたのための素晴らしいシリーズ。

本シリーズは、そんな発掘良品の全作品を5~6年かけてご紹介させて頂こうという超長期目標のシリーズとなっております😄

 

 

↑今月のラインナップの詳細はコチラ!

 

 

太陽の映画とは?

 

本作は1960年に公開されたイタリア映画。

 

原題が「I DELFINI (王位継承者)」なのに、どうして邦題が「太陽の誘惑」という意味不明なものになっているのでしょう?

 

 

恐らくですがこれは、本作と同年に公開された「太陽がいっぱい」という若者の暴走を描いたフランスとイタリアの合作映画が大ヒットしたので、便乗しようと考えたのではないかと思われます。

 

1960年公開の「太陽がいっぱい」。

 

原題の「PLEIN SOLEIL」は

「直射日光の下で (EN PLEIN SOLEIL)」

という意味だと思われます。

 

 

 

ちなみに「太陽がいっぱい」は、裕福な青年に憧れている友人の青年の歪んだ愛憎が描かれている作品ですが、本日の「太陽の誘惑」は、閉塞的な地方都市で「I DELFINI (王位継承者)」のように振る舞っている青年たちの傍若無人なふるまいを描いた、退廃的な青春映画となっているのです…

 

イタリアの地方都市に住む

裕福な家に生まれた若者たちの

王族のような生活とは?

 

 

アバウトなストーリー 

 

「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。

 

エンニオ・デ・コンチーニ、フランチェスコ・マゼリ、アジェオ・サヴィオーリ、アルベルト・モラヴィア共作の脚本をフランチェスコ・マゼリが監督した作品。

撮影はジャンニ・ディ・ヴェナンツォ。音楽はジョヴァンニ・フスコ。出演しているのはクラウディア・カルディナーレ、ジェラール・ブランら。製作フランコ・クリスタルディ。
 

 

 

 

…作品の解説がありませんね汗

 
 

ちなみに本作の冒頭のストーリーは以下の通り!

 

① 本作の舞台は中部イタリアの古い都市。新しい産業も生まれて来ない街の人々の関心事は、誰が何をやっているのかという噂話であり、特に人々の耳目を集めていたのは、伯爵令嬢ケレと彼女の周囲に集まって来る裕福な家庭の子女たちの動静でした。

 

いつもつるんでいるケレと仲間たち。

 

 

② そんなある晩、ケレの仲間で資産家の娘のマリーナが急性アルコール中毒となり、ケレは自宅に医師のマリオを呼び寄せます。

 

10代でアル中となったマリーナ!

 

 

② 最近この街に赴任して来たマリオは腕の良い若い医師でしたが街の事情には疎く、マリーナをこんな状態になるまで放っておいた若者たちに冷たい目を向け、マリーナの恋人のアンセルモは恥をかかされたような気持になって、マリオに復讐したいと一計を案じます。

 

マリーナを助けたマリオですが

その結果アンセルモに恨まれる事にあせる

 

 

③ 街の噂でマリオが下宿先のフェードラという娘と恋仲だと知ったアンセルモは、自分の家柄を利用してフェードラを誘惑しようと考え、上流階級たちの集まるパーティにマリオとフェードラを招待する事にしたのです。

 

アンセルモは考えました。

もし俺がフェードラに求愛したら

一般人の彼女が断る訳ない。

マリオに恥をかかせてやれるぞ!

 

 

ん?

 

でもアンセルモにはマリーナという恋人がいるのでは?

 

 

大丈夫!

 

マリーナはアルコール中毒の治療のために2カ月間スイスに行ってしまっており、彼の仲間にはアンセルモがフェードラと付き合う事を諫めるような人間は一人もいなかったのです!!

 

 

さて、アンセルモの考えたフェードラ攻略作戦は、果たしてどのような結果となったのでしょうか?

 

それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。

 

上流階級のパーティが肌にあわず

早々に帰宅したマリオに対し

はじめてのパーティに興奮していた

フェードラの前にアンセルモが!

 

 

【私の感想】茹蛙の焦燥

 

皆様がご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、本作は傲慢なアンセルモの心中に蠢いている2つの感情が交錯する心理劇のような作品!

 

2つの感情とは、退廃を楽しもうとする誘惑と、本心を貫く事ができない己の脆弱さに対する嫌悪感。

 

 

アンセルモは詩人を自称し財を成した父親を俗物だと嫌悪していますが、そんなアンセルモの愛車は、父親の金で購入した街一番の高級車!

 

街の人々は車の排気音で

アンセルモが来た事が分かります!

 

 

そんなアンセルモは治療を終えて街に帰って来たマリーナに、街を出て一緒に世界を歩き回ろうと誘いますが、アルコール中毒のマリーナの治療を買って出てくれたアンセルモの父親が、彼女を経営者にするための支援を申し出たという話を聞くと激怒してしまうのです!

 

「あなたのお父様に支援頂くの😊」

「…ふざけんなむかっむかっむかっ

 

 

 

そう。

 

古い街で暇を持て余して退廃的な生活を送っているアンセルモの現実は、詩人になる事や旅に出る事はおろか、自分の父親の庇護の中なら飛び出す事も出来ない茹蛙のような人生だったのです!

 

マリーナを助けたマリオに感謝せず

むしろ憎むようになったのは

父親への憎しみと同様の

自分より有意義な生き方をしている

マリオへり嫉妬だったのです。

 

 

私見ですがそんな本作は一見自由を謳歌しているように見えた1960年代初頭の若者たちの空疎な人生を描いた作品であると同時に三大幸福論のうちの一つであるバートランド・ラッセルの「幸福論」に記されている目標のない人生を生きる事の虚しさを分かりやすく解説しているような作品として観る事ができるのではないかと思うのですが、皆様はどう思われますでしょうか?

 

アンセルモが父親を憎むのは

家庭を顧みず、母親が浮気するのを

放置しているから。

 

ですが家庭を顧みなくても

父親は資産を生み出し

アンセルモに何不自由ない暮らしを

提供させてくれています。

 

裕福な家に生まれたラッセルは

幸福な人生を送るために必要なのは

自分を上書きできるような

目標を持つ事だと書いています。

 

父親は未熟ながらも

家族が裕福でいられるように

務めている気がしますが

有意義な行動をしないアンセルモは

何の目標もないので

幸福になる事かできないのです…

 

 

 

 

という訳で次回は

 

人生投了

 

というテーマで

 

暗殺指令

 

という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘

 

 

 

ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆

 

★おまけ★

併せて観たい発掘良品!
「家族の肖像」

 

ルキノ・ヴィスコンティ

監督が撮られた本作は、

奇妙な疑似家族の姿を描きながら、

家族とはどういうものなのかを

観客に問いかけて来る哲学的な作品。

 

尚、本作の英題は邦題と同じ

「CONVERSATION PIECE (団欒画)」ですが、

イタリア語の原題は

「GRUPPO DI FAMIGLIA

IN UN INTERNO (家族の内面)」

という真逆の意味!

 

ですので本作は、団欒画のような

表面上の家族を描いた作品ではなく、

団欒画に描かれている人々は、

実際はどのような人たちだったものかに

想いを馳せるような作品なのです。