こんばんは。
ご覧頂きありがとうございます😊
本日も想像力と発掘良品の発掘⑯というテーマで
家族の肖像(1972)
(原題:GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO)
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします。
★発掘良品の発掘とは?
今月のラインナップはコチラ↑
昔々「オールナイト・ニッポン」というニッポン放送の深夜番組があり、1979年~1987年の月曜日を担当されていた中島みゆき氏の番組に「家族の肖像」というコーナーがありました😊
参考:中島みゆき研究所さんのサイト
「家族の肖像」は、番組を聴いている投稿者から送られてくる家族の面白エピソードを紹介するコーナーは、「ちびまる子ちゃん」や「私んち」のようなコミカルな内容😊
メッチャ明るい中島みゆきのオールナイト・ニッポンの
「家族の肖像」のコーナー。真夜中らしい投稿です!
この映画が日本で公開されたのが1978年ですので、中島みゆきさんは本作をご覧になった上でラジオ番組をスタートさせるにあたり「家族の肖像」というコーナーを始められたのではないかと考えられますが、当時の私は重厚な雰囲気の映画のポスターと、軽妙な深夜コーナーとのギャップに違和感を感じていたのを記憶しています😅
日本版のポスターはこんな感じ…
ですがルキノ・ヴィスコンティ監督の撮られた「家族の肖像」は、ユーモアにあふれた疑似家族を描きながらも、家族とはどういうものなのかを描いた哲学的な作品となっているです😆
何気ない家族ドラマのように見えますが…
本作は家族とは何かを考えるキッカケとなるような
哲学的な作品なのです。
「キネマ旬報社」さんのデータベースによれば本作の解説は以下の通り。
ん?
ヨーロッパ文明と現代貴族のデカダンス??
恐らくですが本作は、そんな崇高なテーマを扱った作品ではなく、世界中のどこの国にもいる普通の家族について描いた作品であり、だからこそ1978年に日本で公開された時にも大ヒットとなって、深夜番組のコーナー名にもなったのだと思います!
そんな本作の主人公は、絵画コレクターの老教授。
所蔵品に囲まれて暮らす老教授が住んでいるのは、彼が所有しているローマの古いアパート。
食事や掃除を家政婦さんに全て任せている老教授は、絵画に囲まれる静かな日々を過ごしていましたが、ある日、そんな静寂を破るようなビアンカという闖入者が現れます!
馴染みの画商の知り合いとして紹介されたビアンカは、大富豪の妻であるにも関わらず若い男を囲っており、愛人が住む場所として老教授のアパートの上階を借りたいと申し出て来たのです。
お宅の上の階、空いてらっしゃるでしょ。
私の愛人に貸して下さらない?
不躾で馴れ馴れしいビアンカに嫌悪感を抱いた老教授は、彼女の申し出を断りますが、後日、娘のリエッタも連れて再度老教授のアパートにやって来たビアンカは、老教授の意志を無視して話を進めてしまい、勝手に上階を借りる事にしてしまったのです。
閉めていた窓を勝手に開けるビアンカ母子。
「あら、素敵な眺めじゃない。
やっぱりお借りするわ」
傍若無人なビアンカに怒り心頭の老教授でしたが、引っ越して来たビアンカの愛人コンラッドは、ビアンカと違い老教授の所蔵する肖像画の作者の名前を言い当て来るような美術に造詣の深い青年であったため、老教授はコンラッドに対しては親近感を抱くようになります。
「この絵、アーサー・デヴィス?
友人も同じ構図の絵を持ってるよ!」
(むむむ。この青年、美術を分かってる!)
尚、アーサー・デヴィスの絵は
ネットで検索してもあまりヒットしないので
美術史に詳しい人でないと
知られていない画家かもしれません…
ただし絵に関する造詣以外のコンラッドの生活態度はビアンカと同レベル!
自己主張が激しくちょっとした事で激高して暴言を吐き散らす上に、ビアンカだけでなくリエッタとも肉体関係があるコンラッドの私生活は、退廃というよりも破滅的!
日々、上の階に住むコンラッドとビアンカたちに悩まされるようになってしまった老教授ですが、何故か彼はコンラッド達を追い出さず、親身になって世話をするようになっていったのです…
真夜中にコンラッドの部屋で不審な音。
老教授が上階にかけつけると
傷だらけで倒れているコンラッドが!!
警察を呼ばないで欲しいという
コンラッドのお願いを聞き入れた老教授は
自室にコンラッドを招き入れ
親身になって看病してあげます!
「しっかりしろコンラッド」
さて、何故静かな生活を送っていた老教授は、コンラッドやビアンカたちの起こす騒動を受け入れ、手助けするようになっていったのでしょうか?
それは是非、皆さん自身の目でご覧になって頂ければと思います。
コンラッドの看病をした老教授は
気がつけばソファで昏倒していました!
「旦那様、一体どうなさったのです?」
皆様が作品をご覧になる楽しみを奪わないよう、これ以上詳細を書く事は差し控えさせて頂きますが、本作の英題は邦題と同じ「CONVERSATION PIECE(団欒画)」ですが、イタリア語の原題は「GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO(家族の内面)」という真逆の意味。
イタリア人のルキノ・ヴィスコンティ監督が付けられたタイトルが「GRUPPO DI FAMIGLIA IN UN INTERNO(家族の内面)」である以上、本作は18世紀のアーサー・デヴィスが描いた団欒画のような世界を描いた作品ではなく、団欒画に描かれている人々はどのようなものだったのかに想いを馳せるような作品ではないかと思われます。
団欒画に囲まて生きている老教授。
でも、団欒画に描かれた人は
一体どんな人間だったのでしょう?
そう。
団欒画とは、家族が仲睦まじいように描いて欲しいという依頼にそって描かれた絵画。
家族んなが仲良しのように描いてね!
と依頼されて描いたのが団欒画。
ジョシュア・ヴァンネック卿、
パトニーのローハンプトン・ハウスの
第1準男爵と家族(1752年)
アーサー・デヴィス作
では、そんな団欒画の絵に描かれていなかった彼らの内面は、どのようなものだったのでしょう?
本作はそんな団欒画の内側を、観客が老教授と共に鑑賞するような作品。
後世に団欒画を残したような幸せそうな家族が、本当はどのような関係だったのかを知る術はもうありません…
ですが後世の私たちは、楽しそうな家族の肖像を観た時、きっとこう思うのではないでしょうか?
なんて幸せそうな家族なんだ…と。
私見ですがそんな本作は、死を2年後に控えたルキノ・ヴィスコンティ監督自身が残したいと思った監督自身の家族という存在の意味を描写したものであり、亡くなった後、にこやかに微笑んでいる監督の肖像写真だけが残り、彼が心の内側で思っていた家族観を知る術がなくなっているような状況を回避するために作られた作品ではないかと考えています。
家族には様々な軋轢が存在するものですが、それこそが団欒画には決して描く事ができない家族というものの本質なのではないでしょうか…
家族とは時にいがみ合い、裏切り、
誹謗しあうよあな関係かもしれませんが
様々な軋轢を含めて互いを受け入れらたなら
嘘っぽい団欒画には描けない
家族像が描けるのではないでしょうか…
そして皆様の家族の内側とは
どのうなものですか?
という訳で次回は
地獄の沙汰もグダグダ!
というテーマで
地獄のバスターズ
という映画を解説してみたいと思いますのでどうぞよろしくお願いいたします😘
ではまた(*゜▽゜ノノ゛☆
★おまけ★
併せて観たい発掘良品作品!
「バックマン家の人々」
子供を育てるというのは、過酷さと喜びが交互に訪れるもの。
バックマン家の人々は、とても団欒画を描けるような関係ではありませんが、それでも尚、軋轢を乗り越える事ができた瞬間、とても素晴らしい写真を残す事ができるのです😊
本作は、子供の問題を抱えて悩んでいる方にとっての処方箋のような映画なのです。