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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2015年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
現在地はガダルカナル・テナル
川口支隊一木支隊第二梯団・熊大隊、大久保速射砲中隊激闘の地近くを徘徊中。
雨の為急遽丸山道を諦め渡河の必要が無い戦績を探し歩いているのですが事前調査が出来ていなかった為大久保速射砲中隊激闘の地は発見に至らず。
仕方なしと次のポイントへ移動する事に・・・此の近くで気掛かりなポイントは・・・
以前公開した 第十一・十三設営隊 宿営地
米軍がガ島上陸前に日本軍が飛行場造成と揚陸施設構築のため送り込まれた設営隊の宿営地は現在どうなっているのかが気になっておりました。
防衛研究所の資料室で発見した宿営地は↓の通り。
↑此の図を手に黄矢印のルートで前進↓
↑のグーグルアースは即年のサイクロン直後に撮影されたものでルンガの流れが泥流を押し出している様子が判ります。
十三設の中州に入る道が発見出来ず、路が狭く民家もありさらには中州の地主不明の為勝手に中洲に徒歩で入る訳にも行かず・・・
中州周辺をグルグルと廻り・・・漸く民家に住人を発見しCR-Vを駐車許可を頂きさらには庭先からの撮影許可をも頂戴して↓位置より中州を撮影
こんな所に戦跡を訪ねてくる方は居ないらしくエントランス(入村料)の話題にもならず快く撮影スペースを提供して頂きました。
手前に見える河が当時のルンガ河
この元ルンガ河の向こうの中洲薮地帯か第十三設営隊の宿営地。
ルンガ河口の中洲なので河が氾濫したら危険なのか・・・
人が住んでいる気配は全くなし
一歩前進して当時の様子を思い浮かべてみる・・・
昭和十七年八月七日未明より艦砲射撃、空爆に曝された設営隊の宿営地跡・・・と無理やり妄想してみましたが・・・さっぱりイメージが湧いてきませんでした。
米軍上陸前の日本軍布陣図
黄丸第十一設営隊は当初ルンガ河左岸で揚陸施設を構築、其の後右岸海岸よりに宿営地転換し揚陸施設構築を始めたところで米軍上陸。
予想はしておりましたが当時を偲ぶものは皆無
自分がこのように説明すれば「そうなのか」と思われるでしょうが説明無しでは何を撮りたかったのかさっぱり判らない写真ですね(;^_^A
其の後、第十一設営隊宿営地も探しては見たものの繋がっていそうな自動車路はなく、無闇に歩いて地元の村人の私有地に立ち入っては大事になる為断念。
観光客擦れしていない素朴で住宅まばらな一帯でありました。
つづく
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冥府の戦友(とも)と語る
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新発田歩兵第十六連隊の兄弟部隊である高田歩兵第三十連隊の従軍記録等を公開されているウェブサイト
石坂准尉の八年戦争さま
と相互リンクさせて戴きました。
ガダルカナル島「丸山道」自主派遣隊 公式ブログ。