ガダルカナル戦書籍一覧


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2012年 ガダルカナル島御慰霊行 目次
2014年 ガダルカナル島御慰霊行 目次

両替・買出しを終えて再び西進。
ジョン氏がボネギ村からタサファロングに到着するにはまだ時間があるので水無川近くの慰霊碑にお邪魔することに。
自分は2012年にもお邪魔しているのですが、同行のK隊員は昨年のタナバサ川通行止めによりお邪魔できて居ない為ででもありました。

2012年にお邪魔した時の記事 → 水無川 御慰霊碑

建ち並ぶ慰霊碑

2012年撮影

場所は↓

今も御遺骨収集団の皆さまがご焼骨されている場所でもあります。

また此の地を管理されているマイケル・リリアウ氏との再会も楽しみでありました。

マイケル氏

2012年撮影
氏の右腕について2012年にボネギ村のジョン氏より御遺骨収集に協力した際バスが横転し失ったと伺った。

元気にされているのだろうか訪ねると草刈機で慰霊碑の周りの草を刈る作業中で突然の訪問にも満面の笑みで歓迎して戴きました。

「夢」の文字のTシャツがとてもお似合いでありました。

マイケル氏が丹念に管理されているので慰霊碑の周りの雑草は綺麗に刈り込まれております。


慰霊碑後ろには十五糎榴弾砲の牽引車


その脇には戦争遺物が並べられておりました。

以上2015年撮影

2012年一度目のガ島御慰霊巡拝を終えてマイケル氏について調べてみたところ、腕を失う原因となった事故に関する記事を二つ発見しました。

昭和57年1月25日発行の全国ソロモン会さまの会誌「ソロモン第20号」より
ガダルカナル島に平和慰霊塔完成
ガ島アウステン山中腹に南太平洋戦没者慰霊協会の主催により建設され、昨年10月25日慰霊塔の落慶除幕式が実施された。
第二師団、38師団、海軍部隊、ソロモン会、その他関係者並びに真言宗智山派の僧侶団、報道陣など90名が参加した。
戦跡巡りの10月27日にアウステン山を下る途中、平和公園の近くで一号バスのブレーキが利かなくなり現地人運転手マイケル君は最悪の事態発生を防ぐため敢えて道路左側の崖(左側は深い谷)に衝突して車を止めた。
然し、そのはずみでバスは横転し重傷四人、軽傷20数名を出す大事となったが、志望者が出なかったのは不幸中の幸であった。


昭和58年7月20日発行の全国ソロモン会さまの会誌「ソロモン第25号」より概略
ガ島在住のマイケル・リリアウ氏に対し損害賠償の判決下る
オーステン山での二年前の事故で腕を失った運転手はホニアラ高等裁判所で約二万ドルの損害賠償額の裁定を受けた。
彼は旅行業営んでいるトレーディングカンパニー(TC)の運転手だったマイケル・リリアウ氏である。
リリアウ氏は事故によりひじ上部で腕を切断したがその車が転覆したときは45名の日本人旅行者を乗せて運行していた。
紺色・リリアウ氏 紫色・TC
事故の原因はバスのブレーキが機能しなかったからだ
リリアウ氏はその日日本人観光客を乗せてオーステン山まで運送することになっていなかった。
彼は運行前にバスの点検を怠り欠陥を報告せず、事故のあった時には不適切な運転操作をした。

オーステン山に向かったのは日本人リーダーが彼の車にやってきてついて来るよう指示したからである。
高裁の聴取したところによると彼等一行はオーステン山の帰路で山を降りる時だった。
同路の平坦なところでセコンドギアに変速したがそれは前途に険しい下り坂があると知っていたからで、フットブレーキに軽く力を加えながら下り始めたがバスの速度は落ちず、坂道を半分下ったところでフットブレーキは床面まで達したが効果はなかった。
ハンドブレーキを使用したこれも効果はなく、空気圧ブレーキを試みたがそれも効かなかった。
止むを得ず道路脇の排水溝にバスを突っ込み停車させようとしたが付近に排水溝はなく斜面に乗り上げ引っ繰り返った。

首席検事は専門家の調書よりTCがバスのブレーキ機能の調整に失敗していた事を発見していた。
リリアウ氏が日本人リーダーに従ってオーステン山に行った事は適切であり彼が始業前点検を行っていた事も確認が取れ、点検時に欠陥ブレーキを発見する事は困難だったことを専門家の報告で確認した。
リリアウ氏は事故後六ヶ月家庭療養した後、TCは警備員として同額の給料で雇用したがリリアウ氏はこの仕事に馴染めず数ヶ月で離職した。
首席検事は腕を失ったリリアウ氏にとって運転手としての就職は難しくソロモンにおける手仕事の就職は更に困難であるとして、リリアウ氏に約二万ドルの賠償を支払うようTCに命じた。

TCは其の後倒産したという記事を読んだ記憶があるのですが発見出来ず。

K隊員とも記念に一枚

右後方マイケル氏の草刈機。

マイケル氏が其の後どのようなご苦労をされたか存じ上げませんが事故後全国ソロモン会さまのお誘いで息子さんと二週間日本を訪問されている事、今も御遺骨収集・御慰霊にご協力され敬遠されがちな焼骨の場所も提供されておられる。
自らの土地に慰霊碑建立の場所を提供し黙々と慰霊碑周辺の草刈をまめに行って維持管理されているそんなマイケル・リリアウ氏のお姿に深く感銘致しました。


つづく


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