純粋繁殖牝馬② | ポラ丸の競馬推理ノート

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さてここからが夢物語ではあるのだが・・・

「純粋繁殖牝馬が存在するならば純粋種牡馬の存在もありうる」というのが自分の仮説だ。

 

前述のように純粋繁殖牝馬は自分の競走馬のキャリアを最初から捨てる。その代わり次世代をインブリード弊害から守り次世代に名馬の十分な血量を供給するところにある。

 

同様に強烈なインブリードを持つ牡馬が自身の競争生活を捨てさえすればインブリードの弊害なしで名種牡馬となりうることは理論上明白だ。

 

もしポプラが牡馬だったのなら、もし競争生活1戦で引退しそれでも種牡馬になれたのなら、その種牡馬としての可能性は大きかったのではないかという蓋然性はある。まぁこれはポプラの初仔のポプラ'20が大物感を示しているからであって、そこには自分の愛馬に対する贔屓目満載の評価が元になっているわけではあるが。

 

要約すると競走馬としてのキャリアが超一流ではない牝馬が名繁殖牝馬になりうるように、競走馬のキャリアが一流でない牡馬が種牡馬になりさえすれば超一流種牡馬になりうるのだ。

 

さらに前段を肯定するならば、強烈なインブリードの牡馬が競争生活を捨てて敢えて次世代に賭けるのもアリということになる。

 

ただこれが問題なのは純粋繁殖牝馬はいわば自家生産馬的なニュアンスに充ちているけれども種牡馬となると複数の種付けを今は前提にしているのでリスクが高いという言い方も出来る。競争生活が超一流であれば少なくともその牡馬のところまでは優秀な遺伝形質が伝わっているのは分かる。しかしキャリアがないもしくは1戦着外だったとするとその牡馬まで名馬の血量が備わっているとはいえ本当に優秀な遺伝形質が伝わっているか分からないではないか、という批判もあるだろう。

 

その通りなのだが、過去の多くの名馬たちのように、その馬まで優秀な遺伝形質が伝わっていたことをキャリアが証明していてもその先に優秀な遺伝形質を伝えられなかったケースは数多いではないか。

 

純粋な意味での種牡馬の価値は自身のキャリアで決まるのではなく、あくまで次世代の優秀さがその尺度。とすれば純粋種牡馬の存在は可能なはずではある。

 

ただそうはなりにくい一番大きな理由は他にあって「競馬の経済」がそうさせないことは十分にありうる。なぜなら「競馬の経済」の競争原理の本質は「名馬を得る」ことではなく「名種牡馬を得る」ところにあるからだ。名種牡馬を持つことが競馬経済の強者なのだ。そういう世界は純粋種牡馬が存在しにくい世界でもある。

 

しかし、これにもしかしがあるのだが、競馬経済の中で弱者であっても自家生産馬の純粋種牡馬で風穴をあける可能性はある。「おっお前のところの種馬はいい子を出したな。今度うちのにもつけてよ」という時代が来るかもしれない。それはそれでテシオ以前の世界であるかもしれず、まさに歴史は繰り返すのだ。

 

(了)