もう、戦争しなくていいのです。 | 『幸せの方へ』

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もう このあたりでいいみたいですね 随分と旅をしました 何処を旅したのでしょうか そして 何を見つけたのだったでしょうか 不思議な思い出がたくさんあります 人生っていいですね いくつかの苦難もありました それも乗り越えてのことです

かつて日本は、著名な評論家が多数、活躍していました。小林秀雄もそうでした。彼は戦中、評論活動をするにつけて、古典にテーマを絞りました。そうしないと、軍部からターゲットにされる恐れがあったからでした。ところで、彼を頼って山口から、中原中也が上京しました。しかし、小林は中也の妻を寝取ったのでした。その事実を知って、それまで愛読していた小林の全集を処分したことでした。また、評論家として日本文壇で大きな仕事をしたのが、江藤淳でした。戦後日本文壇には、長谷川四郎、石原吉郎もいました。どちらもシベリア抑留体験者でした。また、全学連の余波として活動し、その後、東大教授となり、評論家をしていた西部邁がいました。江藤淳も凄まじいほどの評論活動がありました。ここで、江藤淳と西部邁について、どちらも凄まじいほどの評論活動をしていたのですが、ある共通のことを契機として、執筆活動を終えるのでした。それは何だったでしょうか。妻の逝去でした。いずれにしても、こうした方々の活動を前にすると、テレビ界及びお笑い並びにマスコミの出鱈目が明らかです。彼らは戦後日本精神骨抜き占領政策の権化あるいは傀儡だったのでした。そろそろ、日本は思い出すころとなりました。大丈夫です。日本は日本です。明治以降、世界史に飲み込まれての幾多の戦争は、本来日本の戦ではありませんでした。インディアン及びインカ帝国を滅ぼし、奪った金を以て世界を支配し、インド及び東南アジアを植民地としていたことがありました。今、反省するべきはそれだったのです。二度と戦争をしない、と原爆ドームの前で誓っています。その意味は此処にあったのでした。もう、戦争しなくていいのです。人類は進化しました。これより明らかとなります。