21世紀真実幸福論 | 『幸せの方へ』

『幸せの方へ』

もう このあたりでいいみたいですね 随分と旅をしました 何処を旅したのでしょうか そして 何を見つけたのだったでしょうか 不思議な思い出がたくさんあります 人生っていいですね いくつかの苦難もありました それも乗り越えてのことです

それぞれ解かねばならない謎がある。それを解くまでは次が始まらないのだった。そして最終最後最大の謎は何だったのだったろうか。過去からの因縁だった。それは過去に自分がしたことが原因だった。それが種となっていたのだった。本来無一物と言われている。本来、何もないのだった。しかし色々とあるのは何故だったろうか。自分が種を蒔いていた。蒔いた本人がその結果を刈り取ることになる。そうであるなら、どう生きるべきだったろうか。悪の華が咲いているのであれば、それを刈り取り、二度とその種を蒔かないのだった。そして善の花が咲く種を蒔くのだった。あらゆる行為が因縁となる。すべて善因縁となればいい。それが仏法だった。思いがあって行動となる。その思いには色々とある。思い浮かぶそれを払っていく。それが、坐禅の目的だった。只管打坐。そしていつか、すべて開いて結ぶ。そしてあらゆる過去からの悪因縁を払い、善のみとなる。そして仏となるのだった。その道が仏道だったのである。戦争など以ての外とするところである。馬鹿になることが幸せではない。それはテレビ界支配のためにするプロパガンダだった。究極の幸せとは何だったろうか。多くの幸福論があった。憲法で幸福追求権も保障されている。幸福とはあらゆる悩みが晴れて、明明白となることだったのである。勉学したことだった。修業もしたことだった。苦しい孤独な人生を歩んだことだった。それも通らねばならなかった。そしていつか見つける。21世紀真実幸福論。