『幸せの方へ』

『幸せの方へ』

もう このあたりでいいみたいですね 随分と旅をしました 何処を旅したのでしょうか そして 何を見つけたのだったでしょうか 不思議な思い出がたくさんあります 人生っていいですね いくつかの苦難もありました それも乗り越えてのことです

毎日、異常な暑さが続いています。太陽の活動が原因でしょうね。いつか地球も太陽に飲み込まれる、とも言われています。ここで思い出すのは、爬虫類が滅びたことです。このままだと、人類も滅ぶのでしょうか。その危機を逃れる方法はあったのだったでしょうか。先ず、この現在の危機状況を認識する必要があります。そして、それは何に対する警鐘だったのかを見極めるのです。それは、人類の横暴に対するものだったのではないでしょうか。どんな横暴でしょうね。権力および金力を以て支配することへのそれではないでしょうか。市民革命もありました。その後、その市民階級が同じ轍を踏んだのでしょうか。戦争の目的は人口調整とも言われています。専制君主の時代もありました。それらは淘汰されています。考えるべきは何だったのでしょうね。人類としての目的は本来何だったのでしょうね。いつまでも帝国主義であるかのような世界です。恐竜も滅びました。掬いはあるのだったでしょうか。既に、ゴータマ・シッダールタが見つけていたのではなかったでしょうか。釈迦族も滅んでいます。しかし、仏法は生きているのです。如何なる理由を以てしても殺戮ではなかったのです。戦争ではなかったのです。故に、日本国憲法第九条第二項こそ、人類として最終最後の歴史的遺産でした。これを占領軍の遺構だとして否定する動きもあります。人類として、数段階進化する時節です。さもなくば、滅びます。日本に崇高な使命があるのです。ここに気づいて歩み出すことで、大自然が同調します。大宇宙が証明します。そして人類としての生存が保障されるでしょう。今、それほどの時節です。テレビ及びお笑いは何を以て浮かれているのですか。自分さえよければそれでいいと思っていませんか。このままでは滅びます。ソドムの市もありました。大丈夫です。気づいて始まるのです。愛と自由と平和こそが真実です。私たちはそれを勉学して実現するために生まれているのです。この世で過去を反省し、二度とそれを繰り返さないために。手段は孫氏の兵法の第一条の欺罔でなかったのです。帰り南無、いざ。掬われる方へ。

諸悪の根源は何だったのでしょうか。嘘と暴力でした。それが真実に最も反していたのでした。このままでは滅びます。故に、真実が明らかとなりました。人類として掬われる道が明らかとなったのです。自分だけ助かろうとかが、最悪でした。人類は此処まで進化しているのです。いつまでも嘘と暴力でする支配は通りません。誰もが掬われる新しい時代となりました。それが、風の時代、と言われています。

かつて2億年続いていた恐竜が滅んだのは、巨大な隕石が地球に激突して地軸が反転し、氷河期となったからでした。草食恐竜の平穏な時代が、肉食恐竜が現れて弱肉強食の地獄となっていたのでした。そこに鉄槌が下ったのでした。その後、哺乳類を経て、人類の時代となっています。この人類がいつまでも、悪徳で栄えた阿修羅階級が権力と金力を以て、勝手な支配をしていたのでした。市民革命のころには勤勉な市民階級が台頭していました。しかし、その後、どういうことになっていたのだったでしょうね。反省するべきは何だったのでしょうか。日本もその文脈の中で愚かな戦争をしたことでした。そして、その無価値を学んでいたのです。人類は何処へ向かっていたのでしょうか。人類として幸せをつかもうとしていたのでした。故に、現代憲法に於いて、幸福追求権が保障されています。不文律ながら、抵抗権も保障されています。憲法は権力に対する制御装置だったのでした。しかし、それも無価値となろうとしているかのような言論があります。此処に、巧妙な支配があったのでした。目覚めればいいのです。思い出せばいいのです。メディアは権力によるプロパガンダだった、と。これより善良な庶民が自覚して台頭します。さすれば、この地上の灼熱化も安穏に制御されるでしょう。そういうことだったのです。人類に対する最終最後の警鐘としての異常気象を前に、その原因及び理由が明らかとなりました。あらゆる政治家及び支配階級が大反省する時節です。恐竜と同じ轍を踏むのですか。選択の自由は保障されています。何を選択するのですか。

人々の生まれつきの利発なことや愚鈍なことを見抜き、常に清らかな教えを説き、衆生救済を重んじる大乗の教えを護り続け、自ら仏の国土を清浄にし、未来に於いても測り知れないほど無数の仏を供養し、正しい教えを述べ伝え、また自ら仏の国土を清浄にし、常に諸々の人を真実の教えに導くため仮にとる便宜的な手段を用いて、教えを説くのに恐れることなく、測り知れない人々を悟りの境地に導き、一切のものについて完全に知る智慧を成就させる。諸々の如来を供養し、仏の教えを尊んで守護して、その後に仏に成ることを得るであろう。その国の諸々の生命のあるものすべては、色情の欲は既に皆既に無くなって、母胎や卵などからではなく、忽然として純粋に生まれる仏の相を身につけ、智慧・福徳・相好で身を飾る。仏の教えを聞き、それを信じることによって、心に湧く喜びと禅定に入った喜びを食物とし、さらに他の食べ物を心の中に思い浮かべることはない。諸々の女人はいない。また、諸々の現世で悪事をした結果、死後に趣く苦悩の世界もない。現世や来世に幸福をもたらすもとになる善業と善根、一切の真理をあまねく知った最上の智慧を得るという成仏、生死の迷いを去って、一切の真理を正しく平等に悟る。常に大きく明るい光を放ち、諸々の神通力を身につけ、世間での評判や名声は十分に広まり、すべての人々から尊敬される者として常にこの上ない道を説く。この国土は清浄であり、悟りを求める修行者たちは皆勇気があって、何ものをも恐れない。仏はそれぞれの弟子たちに未来世の成仏の証言を与える。この会にいない者たちには、おまえがその者たちのために述べて解き明かすにちがいない。常に思いのままにし、足りないと思うことがないようにする。仏もまさにこれと同じである。物事の最後に行き着くところの最高の悟りの境地がある。仏の安穏な声は今までに一度もなかったことであると歓喜し、永久に無限の恵みをもたらす智慧の仏を礼拝し奉る。苦しみの根源である我執や煩悩を滅して真実の悟りの世界に渡る。仏のこの上ない物事をよく見極め、道理を正しく把握する智慧を得て、そしてこれこそが真の煩悩や苦悩の消滅であると言う。智慧、福徳、相好などで浄土や仏の身を飾る。仏の真理を知ってはいてもまだ迷いを完全に断ち切っておらず、学ぶ余地がある者がいる。煩悩を断ち尽くして、もはや学ぶべきもののない境地の自己の悟りのみを求める修行者もいる。仏は常に努力し、雑念を去り、仏道修行に専心した故に、既に一切の真理をあまねく知った最上の智慧を完成させることができた。道場に坐って物事をよく見極め、道理を正しく把握する精神作用の証明を得る。いろいろな神通力を用い、十方の生命あるものすべてを悟りの境地に導く。名声があまねく至るところに広まり、徐々に煩悩の火を消して智慧の完成した悟りの境地に入る。声聞に対しても十方の生命のあるものすべてとして悟りの境地に導くとしている。法華経は第一である。最も信じ難く、理解し難い。この経は諸仏がみだりに人に授与してはならない、諸仏世尊の守護し給うところである。昔から今まで未だかつてはっきりと説いたことはなかった。しかもこの経は如来が現に存在していてもなお怨みや嫉妬が多い。言うまでもなく、如来がこの世を去った後に、この経をよく書写し、教えを銘記して忘れず、見て読み、節をつけて唱え、供養し、他人のために説く者を如来は衣によってこれを被(おお)う。そして世に出られている諸仏に心にかけられて守られることを得る。この人には、仏やその教えを信じ従う強い気持ち、望み願う力、諸々の善い報いを招くもととなる行いをする力がある。この人は如来とともにある。そして如来の手によってその頭を撫で給うことを得る。あちらこちらに於いて或いは説き、或いは読み、或いは節をつけて唱え、或いは書き、或いは経巻を置く所には皆七宝の塔を建て、きわめて高く広く荘厳に飾る。そこには仏の遺骨を置く必要はない。理由はこの経巻の中には既に如来の全身があるからだ。一切の真理をあまねく知った最上の智慧は皆この経に属している。この経は人を真実の教えに導くために仮にとる便宜的な手段の門を開いて真実の姿を示す。この法華経の蔵は深く堅固で遙かであるから、人はよく至ることができない。如来の室に入り、如来の衣を着て、如来の座に坐り、そして広くこの経を説く。如来の室とは一切の生命のあるものすべてに対する大慈悲であり、如来の衣とは柔和な忍耐心、如来の座とは諸々の事物は因縁によって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はない。この立場に立って、しかる後に善業を修めるのに積極的な心で諸々の悟りを求める修行者と出家者と在家者の男女の衆のために広くこの法華経を説くのである。この経を聞く機会を得ることは困難である。信じて受け入れる者はまた得難い。大衆に対して恐れることなく、広く大衆のために諸々の事理を思量し、識別して説く。大慈悲を空とし、柔和な忍耐の心を衣とし、諸々の事物は因縁によって仮に和合して存在しているのであって、固定的な実体はないとする教えを座とし、この観点によって大衆のために教えを説け。もしこの経を説くときに、ある人が悪口を言い、ののしり、刀や杖で傷つけ、かわらや石を投げても、仏を念ずるがためにきっと忍ぶであろう。私がこの世を去った後に、よくこの経を説く者には、私は神通力で作った四衆、出家した男子、出家した女子及び在家者の男女を遣わして、仏法によく通じ、人々を導く師となる者を供養させ、諸々の生きるものたちを悟りの道に導いて、これを集めて教えを聞かせる。ある人が刀や杖で傷つけ、かわらや石を投げようとすれば、すなわち姿を変えた人を遣わして、このために付き従い守らせる。説法する人が一人で人の中から離れた静かで修行に適した場所にいて、静まりかえって人の声がしないのに、この経典を見て読み、そらで唱えるならば、私はその時に説法するために清浄で光り輝く体を出現させる。もし章や句を忘れたならば、そのために説いて精通させる。ある人が徳を備えて或いは出家者と在家者の男女のために説き、空虚なところで経を見て読み、そらで唱えれば、皆私の身体を見ることができる。この人は教えを説くことを楽しみ、諸々の事理を思量し、識別し、障害はない。諸仏が心にかけて守るために、よく大衆を歓喜させる。この法師に親しく近づけば、早く悟りを求める修行者の道を得る。この師に随順して学べば、ガンジス川の砂の数ほどの仏を見奉ることを得る。妙法華経とは、仏が心にかけられて護られると名付けられた教えである。生死の迷いを超越し、悟りの境地を開かれたのが仏である。今まで一度もなかったことである。だれがこの娑婆世界に於いて広く妙法華経をよく説くことができるだろうか。今が正しくその時である。間もなく如来は一切の悩みや束縛から脱した円満安楽な境地に入る。仏はこの妙法華経を委ねてそれが保たれるように願う。身体から言うに言われぬ美しい香りを出し、十方の国へ広がり、すべての生けるものは香りを浴びて自らの喜びをおさえることができない。誰がよく仏法を護るであろう。仏が衆生を救おうとする誓願を発して長く保たれることが得られるべきである。身心から放たれる光がある。常寂光。この経を説くならば、私(釈迦牟尼仏)と多宝如来及び諸々の様々な姿で現れた仏を見奉る。諸々の仏法に帰依した男子よ。それぞれ真理を諦観する心で考えよ。これは難しい問題である。衆生を救おうとする誓願を起こせ。仏がこの世を去った後、悪世の中に於いてよくこの経典を説こうとすればこれこそすなわち難しいことである。私がこの世を去った後、もしくは自ら書き、教えを銘記して忘れず、もしくは人に書かせる。これこそ難しいことだ。仏がこの世を去った後に、仏法の衰えた時代の悪世の中に於いて少しの間この経を読む。これすなわち難しいことである。仏がこの世を去った後、この経の教えを銘記して忘れず、たった一人のために説く。これすなわち難しいことである。今仏の前に於いて自ら誓う言葉を説け。この経典の教えを銘記して忘れないことは難しい。もし少しの間でも教えを銘記して忘れずにいる者がいるならば、私はそれによって歓喜する。諸々の仏もそうである。このような人は諸々の仏が賛嘆するところである。これすなわち勇気があって何ものをも恐れないことであり、これすなわち雑念を去り仏道修行に専心することである。過ちを犯さないために、護らなければならない禁制を守り、衣食住に対する欲望を払いのける修行をする。この方法は速くこの上ない仏道を得る。来世に於いてこの経典をよく読み、教えを銘記して忘れずにいる者は、これこそ真の仏の弟子であり、素朴で穢れのない地に住む。仏がこの世を去った後によくこの教義を理解するならばこれは諸々の天人、人、世間の眼である。恐ろしい世の中に於いて少しの間でも説くならばすべての天人や人は皆供養する。大乗の教えを求めることが目的となり、五欲を貪ることはない。心の中に言葉では言い尽くせない深い教えへの志があるために、身も心も善業を修めるのに積極的でない心の状態にはならない。浄らかな心で信じ敬って疑いを生じない者は、地獄・餓鬼・畜生の世界に堕ちず、十方の仏の前に生まれる。生まれたところでは常に妙法華経を聞く。人間や天人の中に生まれたなら、極めてすぐれている楽しみを受け、仏の前にあるなら、蓮華の中に母胎からではなく、忽然として生まれるであろう。すべての衆生の平等な救済と成仏を説く教えの中のすべての事物は皆因縁によってできた仮の姿であり、永久不変の実体や自我などはないという意義を修行している。

魂が美しくなると、不思議なことが起こり始めます。悪舌は功徳の種を断ずる、と言われているのでした。この世がそのまま浄土となるということがあるのです。磨くべきは心だったのでした。あらゆる修行の目的でした。赦して赦されます。作用反作用です。何があっても大丈夫となります。大自然及び大宇宙が受容し、祝福します。そして守護するのでした。証明もあるのです。悪徳及び嘘は必ず滅びます。

今、困ったことになっているのは、過去に原因があるのでした。つまり、その種を蒔いていたのでした。それが世代を超えて、還って来ているのです。それを繰り返していたので、ますます濃縮されています。あたかも食物連鎖の頂点に君臨するマグロの脂肪の中に溶けている重金属です。そればかり食べている人はやがて大腸癌となるのでした。その因縁に消えてもらうこともできるのでした。その方法を説いていたのが仏法だったのです。例えば道元禅師の只管打坐がそれでした。そして重要なのは、その個々の因縁を消すのはそれを作出した自分にしかできないということだったのです。これが宇宙の大法則だったのでした。気づいて始まります。幸せになる方法が見つかりました。やがて宇宙が共鳴します。愛とやさしさの方へ。

探さなければならないことがあった。そしてそれを見つけて、確定しなければならなかった。それは何だったろうか。幸せということだった。それは見つかったのだったろうか。それは、どういうことだったのだったろうか。どのようにして至るのだったろうか。要件は何だったろうか。とても不思議な旅があったのだった。本当の幸せとは何だったろうか。永遠のテーマである。正直者のこうべに神は宿るのだった。どのようにして至るのだったろうか。過去からの罪をその都度謝って、生れ変わってだった。するとどうなるのだったろう。神仏が受容し、祝福する。そして守護するのだった。これが永遠のゴールだったのだった。私たちは生命体としていつか至る。そして、嘘とか殺戮とかから自由になる。これを以て21世紀真実幸福論とする。

衆生本来仏なり、と白隠禅師は言っています。そうだったのでした。そして魂は不滅だったのです。本来無であり、私たちは過去からの罪を謝って払拭するためにこの世に生まれていたのでした。こうしたことに気付いて日々、生活していると、いつか明らかとなります。仏陀がそうでした。あらゆる難行苦行の後、近くの少女から貰った粥をすすり、悟るまで諦めないと意を決して菩提樹の下で静かに坐禅します。そして、七日目の朝、金星が殊の外輝いたのでした。そして仏陀は言いました。あれは、私だ、と。そうだったのです。そこが浄土だったのでした。善かったですね。これを以て善良な庶民の時代となりました。腐敗した権力による支配ではなかったのでした。ソドムの市もありました。ベスビオ火山の噴火もありました。巨大な隕石が地球に激突して地軸が反転し、氷河期となって、肉食恐竜の時代が終わりました。気付く頃です。現在の異常気象は人類に対する警鐘です。気付いて、反省すればいいのです。私たちは人類として、試されているのでした。やがて地球は穏やかさを取り戻すのです。地位でも名誉でもお金でもありませんでした。それらでは、獲得できないのです。本当に賢いということは、身心清浄を以て実践し、こうした理論に気づくことだったのでした。いよいよ、これからです。人類として掬われることが決定しました。善かったですね。しかし、なかなか信じられないのです。だから、信を以て入ることを得たり、とされています。大自然からの証明を経験して初めて信じることができるのでした。それまでは、ダメだったのです。それで、衆生自ら出づること能わず、と言うのです。唯、善業の因縁より出でたり、とするのでした。それはこういうことだったのです。これもコロンブスの卵です。

かつてカミュが不条理を描いて『異邦人』という小説にし、ノーベル文学賞を受賞しました。どうしてそのような悲劇の人生となるのか、一般的に理解不能でした。その謎を解いていたのが仏法の過去からの因縁ということだったのでした。本来無一物ですが、色々とあるのは、過去に自分が種を蒔いていたのでした。つまり、悪を実行していたのです。それは種ですから、再び芽を出し、花と咲き、結実します。つまり、理不尽な結果を見ることになるのです。しかし、過去に自分がそれをしていたのでした。それが帰って来ているだけなのでした。そして大切だったのは、その種を二度と蒔かないことだったのです。それができるのは、それを過去に行為した本人しかいなかったのです。これが仏法の因縁ということの意味だったのです。このメカニズムがわからないのでした。それで、何かあると人を悪く思うのです。これがまた、新たな因縁となるのでした。ここに気付くと、何があっても自分だったんだ、と思えるようになります。だんだんと、人を悪く思わなくなります。これが仏道を歩むということでした。やがて仏と邂逅します。いよいよ、明らかとなりました。これからです。時代はそのように進んでいたのでした。そして、魂は不滅でした。気付いて始まるのです。こうした生き方ができるようになることが、幸せだったのでした。困ることは一切、現象とならなくなっているからです。

新しいビジョンは何だったでしょうね。フランス革命の頃、市民が台頭しました。その後、市民が支配していたのでした。その支配はどのようになっていたのだったでしょうか。最近になって明らかとなったのはコロナウィルスによる支配でした。その後、どうなっているのでしょうね。彼らは何を考えているのだったでしょうね。自分たち以外のDNAを殲滅することだったでしょうか。そんな馬鹿なことがありますか。私たちは幸せになるために生まれています。いよいよ、新しい時代が始まっています。それはどういうことでしょうね。善良な庶民が勝利する、ということです。殺戮による支配は、過去の遺物です。ウィルスによる人類殲滅も、もはや見抜かれて、成功することはありません。何を勘違いしていたのでしょうね。真実は那辺にあるのだったでしょうね。見つけて始まります。見えない世界が守護します。だから、大丈夫なのでした。その確信を得るには、修行を要します。それまでは永遠に知り得ないのでした。すなわち、確信に至れません。