スティーヴン・キングの日本では新潮社から刊行された『恐怖の四季』と翻訳されている小説の原題は『Different Seasons』であり、この中篇4作品のうち3作が映画化されている。
キングの小説には、メイン州のキャッスルロックという架空の街が度々作品に登場する。これは、キングが生まれ育ったメイン州ダラムやスボンが原型となる架空の街であり、それがキャッスルロックと思わしい。
キングはH・P・ラグクラフトの影響を強く受けていて、ラグクラフトが描いた作品群の舞台として、アーカム、ダニッチ、インスマスといった架空の街の創造が作中に影響されているようだ。ついでだが、高見広治の小説『バトル・ロワイヤル』に登場する「城岩町」の名前の由来が、スーティヴン・キングのキャッスルロックなのであるらしい。
さて、このキャッスルロックという街を舞台に描かれた作品のひとつに『スタンド・バイ・ミー』がある。1986年に映画化もされているが、映画ではメイン州のキャッスルロックは、オレゴン州の人口1281人の小さな町とされていたが、小説の原作と映画はほぼ同じような内容で作品化されている。
この『スタンド・バイ・ミー』の原題は「The Body」であるが、直訳すれば「死体」を意味する。原作の『恐怖の四季』と翻訳されている原題は『Different Seasons』で、この中篇4作を収めた小説集のタイトルなのだが、この4作は、春篇が「ショーシャンクの空に」という映画の原作である『刑務所のリタヘイワース』である。
夏篇が、映画『ゴールデンボーイ』の原作になった「Apt Pupil」であり、これを直訳すれば「適切な生徒」となるが、主人公の少年トッドは成績がよく、周辺からの評判がよいわけだが、ハイスクールの授業でナチスのホロコーストを調べているうちに、近所に住む老人が潜伏中のナチ戦犯であることを知った彼は老人を執拗につけ回し、事実を明るみにしない代わりに戦時中に行った残虐行為を話すよう強要する。
このトッド少年は老人の話を聞くうちに邪悪さを目覚めさせてゆき、始めは渋っていた老人もまたトッドの熱意に影響されるかのように生気を取り戻してゆく。原作では13歳の少年であるが、映画では16歳の少年で、結末部分が原作と映画では大きく違う脚色になっている。
「ゴールデンボーイ」は1998年の映画でブライアン・シンガー監督の作品で、「スタンド・バイ・ミー」は1986年公開のロブ・ライナー監督による作品。同じく「Different Seasons」(邦題『恐怖の四季』)に収録されている春篇が「刑務所のリタ・ヘイワース」が原作である『ショーシャンクの空に』はフランク・ダラボンが、初監督と脚本を担当し、映画化された。冤罪によって投獄された銀行員が、腐敗した刑務所で、希望を持ち続けて生き抜く姿を描いた作品である。
これら3つの作品は、「刑務所のリタ・ヘイワーズ」に登場するアンディ・デュフレーンは冤罪で投獄される前の銀行員時代に、「ゴールデンボーイ」の元ナチスのクルト・ドゥサンダーに投資コンサルティングを務めていたり、「スタンド・バイ・ミー」のクリスを刺殺した男がショーシャンク州刑務所を出所した男だったりと微妙に登場人物たちは物語で関連している。
映画の『スタンド・バイ・ミー』では、主人公のゴディーがクリスの死を新聞で知るところから始まるが、小説ではバーンが1966年にルイストンのアパートで焼死して、1971年にはテディが交通事故で死に、同年にクリスが喧嘩の仲裁に入り刺殺されたことが最後に描かれている。
映画では、キングの自伝的とも思われる作家ゴードン・ラチャンス(ゴディー)が、ある日、「弁護士クリストファー・チェンパーズ刺殺される」という新聞記事に目をとめ、遠い過去の日を思い起こす。クリスは、ゴードンの子供の頃の親友だった。
時代は、彼が12歳だったころにさかのぼる。ゴディ(ゴードンの愛称)は、キャッスルロックの田舎町で育つが、ゴディ、クリス、テディ、バーンの4人は、性格も個性も異なっていたがウマが合い、いつも一緒に遊んでいた。木の上に組み立てた秘密の小屋の中に集まっては、タバコを喫ったり、カードをしたり、少年期特有の連帯感で堅く結ばれていた。
そんな夏のある日、ここ数日、ブルーベリー摘みに出かけた少年が、行方不明となり、30キロ先の森の奥で列車にはねられ、その死体が野ざらしになっている場所が分かったという事を、兄から盗み聞きしたバーンは、仲の良いゴディ、クリス、テディたちに話す。死体を見つければ英雄になれると考えた4人は、線路づたいを歩いて死体探しの旅に出かける・・・・・・。
メイン州キャッスルロックという小さな町をゴディとクリスは大人になって出て行くが、生まれ故郷の酸いも甘いも通り越した苦い思い出だけがいっぱいの町は、逃げ出したくも逃れられない宿命的な郷愁となって存在しつづける。
生まれ育った場所とは、人生に大きく反映するものであり、逃れられない宿命的な場所でもある。せめてそこを架空の在って無かった場所に、斯くあって欲しかった場所にと・・・・・・、人は時折、想うこともあり、理想的な場所を想像したりもすることもあるのかも知れない。
『ショーシャンクの空に』という米国映画は、この作品の公開時は1994年で・・・・・・、『フォレスト・ガンプ』とか、『パルプ・フィクション』などの米国映画が公開された年でもある。『ショーシャンクの空に』は監督がフランク・ダラボン、主演がティム・ロビンスにモーガン・フリーマンである。
この映画は第67回アカデミー賞では主要7部門にノミネートされたものの無冠で終わり、興行的にも当時はヒットしたような映画ではなくて、その後、DVD化されてから、徐々に広く世界に感銘を与え続けている作品である。
原作はスティーブン・キングであるが、『ショーシャンクの空に』はそれまで多く映画化されたスティーブン・キングのサイコ・ホラーものとは異質なもので、とりあえずこの映画のあらすじから紹介しておこう。
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1947年、銀行員として成功していたアンディ・デュフレーンは、妻とその愛人を射殺したという身に覚えのない罪により、終身刑2回という判決を受け、ショーシャンク刑務所に投獄される。刑務所が持つ異質な雰囲気に初めは戸惑い孤立するアンディであったが、決して希望は捨てず、明日の自由を信じ続ける。
刑務所には、「調達屋」と、呼ばれ服役囚たちから慕われていた囚人の“レッド”こと、エリス・ボイド・レディングと出会い、鉱石を砕くロックハンマーや、リタ・ヘイワースやラクエル・ウェルチといったスター達のポスターなど様々な物を調達してもらううちに、少しずつ2人の交流が深まっていく。
アンディは元銀行員の経歴を如何なく発揮し、刑務所内の環境改善に取り組む事でレッドや他囚人からの信頼を高めていく。さらには刑務官たちからも一目置かれるようになり、彼らの税務処理や所長の所得隠しまでも請け負うことになるが、アンディにはある考えがあった。
その後、年老いたレッドは数十年の服役ののち仮釈放されたものの、社会に順応できずにいた。不安と孤独から希望も見出せず、仮釈放後間もなく自殺してしまった老人・ブルックスとまったく同じような状況に追い詰められるが、ふとアンディとの約束を思い出す。
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さて、この映画のスティーブン・キングの原作は『Rita Hayworth and Shawshank Redemption』で、直訳すると「リタ・ヘイワーズとショーシャンク刑務所での償却」で、日本では新潮文庫で『恐怖の四季 春夏編』で「ゴールデン・ボーイ」のタイトルで刊行されている。
因みに『恐怖の四季 秋冬編』は「スタンド・バイ・ミー」というタイトルで刊行され、この『恐怖の四季』の春編が「刑務所のリタ・ヘイワーズ」で、夏編が「ゴールデン・ボーイ」、秋編が「スタンド・バイ・ミー」、冬編が「マンハッタンの奇譚クラブ」なのである。この『恐怖の四季 春夏秋冬編』の四篇は冬編の「マンハッタンの奇譚クラブ」以外は映画化されている。
90年代からあまり熱心に映画館には通わず、映画のDVDも新作よりは旧作ばかり借りて観ることが多くなった。それに小説を読んで・・・、その原作が映画化された場合に意識的にその映画は観ないようにもしてきた。
それは、原作より面白く映画化された作品が近年ではボクの体験には皆無であったからだ、しかし、今回の「ショーシャンクの空に」という映画は映画を観てから、原作も読みたくなったのだが、原作を読んでも楽しめるし、映画も面白いことは太鼓版を押させてもらう。
小説の「刑務所のリタ・ヘイワース」はアンディー・デュフレーンという人物を、通称レッドことエリス・ボイド・レディングの回想を筆にしたためる一人称で描かれている。この小説手法は映画の「ショーシャンクの空に」ではナレーションにより演出されているのが、この効果は原作と映画の作品の壁を感じさせない脚本の手法であろう。
ある意味でこの映画は〔脱獄もの〕のジャンルに数えられるものかも知れないが、『パピヨン』や『アラカトラズからの脱出』とも違い、スティーブン・キングが原作の作品に『恐怖の四季』の春編にこれを選んだように、〔希望〕がテーマであり、希望の春をイメージさせる内容が充溢した作品ともいえよう。
さてさて、本邦では『恐怖の四季』と翻訳されている原題は『Different Seasons』であり、直訳すれば「それぞれの四季」となろう。これは1982年に発表された作品集でホラー小説とは無縁の中長編作品四篇なのだが、日本では映画の『キャリー』にはじまり『シャイニイング』などの映画で有名なスティーブン・キングなので、出版社側の方針上として、斯様なる『恐怖の四季』なんて内容にそぐわないタイトルとなったようだ。
『ショーシャンクの空に』・・・という映画タイトルも、日本では何のイメージにも喚起してこないネガティブな印象だったと感じるのだが、しかし原作も映画もこの作品は秀逸な内容と感動を与えてくれることには間違いないであろう。