イソップ説話集あるいは寓話集に、古代ギリシャ哲学者のディオゲネスの話しがあるのだが、この説話は旅をするディオゲネスが河を渡るお話しで、あまり面白いエピソードでもないのである。
それよりもディオゲネスという哲学者は、イソップの生きた時代よりも、のちの200年後に登場する人物なのである。イソップは『アリとキリギリス』、『ウサギとカメ』、『北風と太陽』、『金の斧』、『狼少年?』などなど・・・・・・「狼が出たぞ~」の嘘つき少年の話なんかで有名で、誰でも知っているハズである。
イソップは紀元前600年前後に実在したと伝わるが、古代ギリシヤの物語の語り部でアイソーポスと呼ばれる、英語で“Aesop”と表記して、イソップとは本邦では発音されるのだが、彼の残した寓話集は、彼が存在する以前から伝えられていた寓話であり、また彼の死後にも彼の名前で伝えられた説話集みたいだ。であるからして、アイソーポスの死後、200年後に生れるディオゲネスのエピソードも存在したりもするのである。
さて、アイソーポスの履歴は、その当時は奴隷だったようだ。そして、ディオゲネスも実際に奴隷だったとも伝わる人物。奇妙な二人なのだが、話題はディオゲネスに絞らせていただこう。何故なら、ディオゲネスはアイソーポスの寓話集に載せられるほど魅力にみちた男だからである。
ディオゲネスは紀元前412年?~323年?頃のギリシアのヘレニズム期の哲学者である。ソクラテス、その弟子プラトン、さらにその弟子のアリストテレスと同時代人でもある。
ソクラテスの弟子にアンティステネスという人物がいて、犬儒学派と呼ばれる所謂キュニコス学派を興すのだが、ディオゲネスはこのアンティステネスの弟子となり、「犬のような生活」を実践した実存哲学者でもあるのだ。
行動の哲学者ディオゲネスは、その奇行のために、「狂ったソクラテス」とか、「犬のディオゲネス」と世間では知られるようになる。ディオゲネスは布着一枚を身につけて、棲みかは樽で寝起きして、これを転がしてポリスの市街を徘徊していたと伝わる。
或る日、街中で少女が水を両手を用いて飲んでいる姿を目撃して、「自分にはまだ余計なものがあった」・・・と、自分の食器やコップなども捨てたエピソードもあるのだが、つまり犬の如く所有しない生活を実践していたようですネ。
ディオゲネスは禁欲主義者という訳でもありませんで、生活は犬のようでも、当時の有名な高級娼婦のライスが、度々、ディオゲネスの樽に訪れていたようですヨ。
ソクラテスの高弟の一人にアリスティボスがおりましたが、彼はライスのお得意さんの客であり、世間ではアリスティボスがライスに貢いだ金を、ライスがディオゲネスに貢いでいると揶揄されていたと伝わるのでした。
ディオゲネスのエピソードは沢山ありますが、有名なアレキサンダー大王とのお話を載せておきましょうネ。しかし、このお話は後年に創作されたようでして、しかしながら面白いエピソードなので以下に・・・・・・。
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アレキサンダー大王はペルシャ遠征の帰途に、アテネのポリスに立ち寄り、家庭教師のアリストテレスを呼んで、アテネの哲学者や賢人を招集し、大王に拝謁するように命じる。
しかし、この参集に呼ばれていたディオゲネスだけが、この集会に訪れていなかったのだ。そこで大王は業を煮やして、自らディオゲネスの棲みかである樽を探しだして、そこへ訪れたのである。
大王と衛兵一行は馬上から、樽の前で日向ぼっこをしながら昼寝をしているディオゲネスを発見する。辺りは物々しい気配で人々は騒然とするが、ディオゲネスは無造作にただ眠っていた。
大王は無視されていると感じて、馬から降りてディオゲネスに歩み寄って声をかけた。
「余は大王のアレキサンダーである」
デイオゲネスは片目を開けて声の主を見て、そのまま寝そべったままで応えた。
「余は犬のディオゲネスだよ」
大王は怒るどころか少々呆れ気味で尋ねた。
「お前は大王である吾を畏れないのか?」
ディオゲネスは片目だけ開いて不快に応えた。
「お主は善人か?、それとも悪人だろうか?。」
王は答える。
「もちろん善人に決まっている」
それに答えて・・・
「それなら畏れることなんか無いだろうヨ。・・・・・・善人が犬に危害など加えないからな」
大王は一本とられたと、舌打ちをしてから、気を取り直して言葉を続けた。
「さすがに噂にたがわぬ男であるな、お主に望むものならなんでも褒美として与えようぞ!」
そこでディオゲネスは寝返りをうって、放屁をしてから、少し間をおいて、大王に尻を向けながら、斯様に告げた。
「それでは、・・・・・・トットと、其処を退いてくれないか、お前が立っているせいで、陽が当たらないんだヨ!」
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このエピソードは、アイソーポスの残した寓話より、かなり面白い伝説である。
さてさて、ディオゲネスはねぐらの樽を転がしながら市中を移動していた伝わるが、学説ではディオゲネスが生きていた時代には樫樽を製造する技術が無かったとされる見解が多く、また絵画作品にも陶器を宿かりにしている姿が描かれていて、木製の樽を住まいにするディオゲネスは描写されていない。
樽の作られた背景には森の文化に結びつき、ヨーロッパにキリスト教文明が浸透する時代のことと思われる。されどギリシャ・ローマ時代に樽が無かったとも言えない現実もあり、ディオゲネスが存在した以前から樽の製法が存在したとされる記録もあるのだが、この民俗学的な文献はあまりにも少なくて何とも言えないが、樽を転がしてねぐらにする哲学者に想像を膨らませてしまう気持ちは多々あり、物語としては面白いエピソードであろう。
人間は定住型の農業を主体とした文化と、また遊牧民的な移動的な文化を有した人種があり、この両者から生まれる思想は異なりながらもお互いに交流して、そこから物語はロマンとして紡ぎだされる。ディオゲネスの伝説もその派生から語り告げられてきたと思わしい。
現代の日本では定住しない者はホームレスの浮浪者でしかなく、また、かつてはジプシーと呼ばれロマのような移動型民族も存在しない。また夢想として、ロマンとして、定住しない生活を求めて送る人々もいない時代である。
古代ギリシャのプラトンがアカデミーを興していたのに対して、ディオゲネスは浮浪者として生きていた。そんな哲学者に知的な学問よりは、実存的な魅力を人々に感じさせた存在感がディオゲネスの魅力なのであろうと思われる。(了)