『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の著者であるルイス・キャロルは、本名をチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンといって、オックスフォード大学の数学と論理学の教師だった。日本ではドジソン(Dodgson)という名字は、現実にはドットソンと発音されていたようで、『不思議の国のアリス』に登場する“ドードー鳥”は彼の名に因んだ命名みたいである。それは彼が愛したオックスフォードの学寮の親交があった同僚や上司たちの子供たちが、彼を“ドードー”と渾名していたことからも推察される。
またドジソンは英国国教会の聖職者でもあった。イギリスのチェシャー地方のデアズベリーで1832年1月27日に生まれた彼は、父親は牧師で、ドジソン家には11人の子供があって、チャールズことルイス・キャロルは第3子の長男であった。
オックスフォード大学は、いくつものカレッジ(学寮)の複合的に集まったアカデミーで、ルイス・キャロルはクライストチャーチ・カレッジの教師であった。そこのカレッジである学長のヘンリー・リデルの2番目の娘であるアリス・リデルに請われて、『不思議の国のアリス』という物語を表したわけだが、それはビクトリア朝の1865年のことである。
この物語を創作するにあたり、ルイス・キャロルはジョージ・マクドナルド(George MacDonald・1824ー1905)の一家の助力を得ている。ジョージ・マクドナルドはスコットランドの小説家、詩人、聖職者であり、後に、『指輪物語』のJ・R・R・トールキンや『ナルニア国物語』のC・R・ルイスが崇拝したファンタジー作家の元祖的な存在である。
ルイス・キャロルとジョージ・マクドナルドが英国のファンタジー作家の原点であるといっても間違いはないが、それはシャルル・ペローの教訓物語、ドイツ浪漫派の文学、グリム兄弟の民話、アンデルセンの童話、英国で起こったラフェエロ前派の芸術運動などの一連の流れのなかで、神話からメルヘン、メルヘンからファンタジーという幻想の世界が物語として確立された記念碑的な作品を生みだし、ファンタジーの概念を創出した時代的な分岐点に位置したのが、キャロルとマクドナルドであったといえよう。
メルヘンとファンタジーの違いを述べるに、メルヘンとは、動物と人、妖精と人間とが、いとも簡単に会話して、物語のなかで世界を形成しているのだが、ファンタジーは現実原則と幻想世界にはっきりとした境界線があり、境界を越え、異世界に現実的な道理が混濁することであろうと思われる。つまり、メルヘンとは神話世界の延長に過ぎない伝承物語ともいえるが、ファンタジーとはリアリズムの扉に通じている世界が開顕した文学のカテゴリーなのだ。
たとえば、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』では、ウサギの穴への下降により地下の国なり、不思議な国、鏡の国へと物語はすすむ入口があり、ライマン・フランク・ボウムの『オズの魔法使い』では、主人公 の少女ドロシーが竜巻で上昇して異世界へ到達する。
異界、魔界、異境、魔境に通底するには、 境界と、そこを渡る装置なり、装備があり、道具仕立てが演劇的に企てられるのがファンタジーの法則である。ジャン・コクトーは映画『オルフェ』で異世界を通り抜けるのに鏡を境界にして、手袋を魔術的な装備とした。
此岸と彼岸、現実と死の境界なり領域を、水や鏡のオブジェ、月や銀の象徴を介して、これらを通底する観念的な装置や幻想の物体を、ペダントリーな法則を周到に用意しながらも、衒学的なレトリックで別世界を編みだしたのが現代に通じる幻想文学の道理であり、ファンタジーの出自でもあろうともいえる。
たとえば、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』では、ウサギの穴への下降により地下の国なり、不思議な国、鏡の国へと物語はすすむ入口があり、ライマン・フランク・ボウムの『オズの魔法使い』では、主人公 の少女ドロシーが竜巻で上昇して異世界へ到達する。
異界、魔界、異境、魔境に通底するには、 境界と、そこを渡る装置なり、装備があり、道具仕立てが演劇的に企てられるのがファンタジーの法則である。ジャン・コクトーは映画『オルフェ』で異世界を通り抜けるのに鏡を境界にして、手袋を魔術的な装備とした。
此岸と彼岸、現実と死の境界なり領域を、水や鏡のオブジェ、月や銀の象徴を介して、これらを通底する観念的な装置や幻想の物体を、ペダントリーな法則を周到に用意しながらも、衒学的なレトリックで別世界を編みだしたのが現代に通じる幻想文学の道理であり、ファンタジーの出自でもあろうともいえる。
ファンタジー文学の記念碑的作品として『不思議の国のアリス』をみるに、7歳と6ヶ月の少女が主役であるのも大きな特徴であり、この女の子の個性が際立って面白いのも魅力的な要素である。
たとえばアンデルセンの童話で、『野の白鳥(De vilde Svaner)』に出てくる11人の兄たちが、継母の魔女に魔法で白鳥にされ、末娘のエリサが兄たちを助ける旅に出る物語があるが、これはグリム兄弟のお話と同じ下敷きの伝承民話であるけれども、グリム兄弟は民話や伝承を、口承の語りべのお話を忠実に編纂をしたのに対して、アンデルセンの童話集は原話を元に、アンデルセン流に創作し編纂されているのが特徴的である。
このアンデルセンの描いた少女の物語は、苦難と試練にみちた旅によるビルグンドゥスロマンの構造をもつ形式となっているが、ルイス・キャロルの描いた少女の物語はナンセンスであるのが大きな特徴であろう。つまり、物語性よりも言葉による遊びが重点となり展開する構造となっているのが、それまでにないメルヘンの面白さのプロットとして主体となっている。
メルヘンという構造に論理学的でペダントリーな言葉で編み出されたナンセンスな物語は、ジョン・テニエルの描いた挿絵の少女でファンタジーのイメージを更に増強し創出した。アーサー・ラッカムやディズニー映画など、その他にも多くの“アリス”像を描いている作家は古今東西多いのだが、テニエルの“アリス”が未だに不動の位置にあるのは、かわいらしいビクトリア朝の少女の姿と子供らしくない無表情のアンバランスでアンビバレンスなのが、へんてこなナンセンスである物語性にあまりにもマッチしているからだと思われる。
身なりの可愛いアリスを描いたテニエルだが、不思議の国や鏡の国のヘンテコリンな住人たちと、物おじせずに可笑しな理屈に切り返す負けん気をみせたり、また心優しい交流もある。お上品にすましたクールな表情のほかにも、好奇心旺盛な子供らしい姿も全開する。そんなアリスを的確に表現して描いたのはジョン・テニエルだけである。
さて、アリスが出逢ったヘンテコリンな住人たちで今回はドードー鳥を紹介しよう。この鳥はオックスフォード大学のアシュモレアン博物館に収蔵されていて、ルイス・キャロルとアリス・リデルはこの鳥の剥製を観たに違いない。この鳥は大航海時代の初期である1507年にポルトガル人によって生息地のマスカリン諸島で発見された。しかし、人類に対して警戒心の無かったこの鳥は人の食糧にされて間もなく絶滅した。
ドードーの名の由来は、ポルトガル語で「のろま」の意味。またアメリカ英語では「DODO」の語は「滅びてしまった存在」の代名詞でもある。ドードー鳥は絶滅しても、アリスはファンタジーのなかの少女として永遠に不滅である。(了)