映画と食卓(銀幕のご馳走)その5『青いパパイアの香り(パパイアと豚肉のサラダ)』 | 空閨残夢録

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 サイゴンを舞台とした映画『青いパパイヤの香り(原題:L'ODEUR DE LA PAPAYE VERTE)』は、監督がベトナム系フランス人のトラン・アン・ユンによる1993年の作品である。カンヌ映画祭でカメラ・ドール賞(新人監督賞)を受賞した映画。

 物語のあらすじは、10歳の少女ムイが片田舎から、1951年にサイゴンの資産家の家を訪れる場面から物語は始まる。ムイは家政婦の見習いの使用人として、その家へ訪れたのだが、そこの主人は仕事はせず、その夫人が裁縫などをしながら没落寸前の家を支えていた。

 夫人は奉公人のムイにとても優しくしてくれた。それは夫人の三人の男の子のほかに、亡くした娘のトーと同い年であったからだ。ムイが奉公して間もなく主人は愛人宅へと失踪する。主人の母である大奥様も亡くなり、やがて10年の月日が流れた・・・・・・。

 少女の頃、奉公している長男の友人であるクェンにムイは心惹かれ恋心を抱く。そのクェンの家へとムイはやがて没落する奉公先から、家政婦として働くように配慮され勤め先となった。

 それまで働いてきた家の夫人はムイに晴れ着と首飾りを門出に贈り、自分の娘のように慰めのような存在であったとムイとの別れに泣きむせび送られた。

 前半部のあらすじは斯様に描かれているが、カメラワークが舞台セットだけのとても美しい映像である。この映像は詩的で愛と自然が描写されて、優しさに満ち溢れている。そしてムイという少女の可愛らしいことこのうえない温かい描写。奉公人として健気に働くムイの姿は愛らしくてたまらないのである。

 そんなムイの視線は熱帯の自然に好奇心と優しさをたたへてそそがれる。青いパパイヤの実る木、蟻の蠢き、蟋蟀の囀り、小鳥の歌声、蛙や、蜥蜴などの動きに、その映像と少女の視線が重なる。言葉では説明されない優しい眼差し。人と人の会話よりも背景による自然が物語りは、静かに心情の全てが語られているように・・・・・・。

 自然といってもカメラワークは、近隣の街と、その通りの、ほんの一角である奉公先の家と庭だけしか映し出されていないが、それでも十分に熱帯の穏やかな自然と実りが描かれ写されている。この美術なりセットは全てフランスで撮影されていて、ベトナムでの映像は全くないのだけれども、それでも熱帯の雰囲気は自然に醸しだされている。

 映像には、サイゴンの街にある猥雑さや悪意は現れない。映し出されるのは品のある格調高い世界だけである。それでも少女ムイは没落寸前ではあるが、ブルジョワジーの使用人であり、貧しさとか格差を感じさせてはいるが、差別的な印象は全くない。

 少女ムイは家政婦のおばさんに、日々、料理を中心に仕事を伝授するが、得意な料理はおばさんや使用人のご婦人に教わったパパイヤと豚肉のサラダである。

 そんな、穏やかな物語として進行するも、この映画のなかで最も人間的に激しい場面は、ムイが10年後に雇われたクェンというフランスに留学していたピアニストの恋人との葛藤であろう。クェンは恋人を捨て奉公しているムイを見初める。ムイは初恋の相手と相愛となり物語は終える。

 ムイは料理は得意だが、無学で少女時代を過ごした。クェンはそんなムイに語学を指導する。そして、やがて文学的な素養を培ったムイは、以下の詩を朗読して映画は終る。その詩はムイの生きてきた人生の象徴として言葉は輝き彩りを生じて幕はおりる。



「春の清水が岩陰から、湧き出して、静かに揺らめく、

 大地の鼓動は、大きなうねりとなり、水を揺り動かすが、水面は静寂そのもの、

 調和ある水の戯れの煌く美しさ、日陰に一本の桜の木、

 やがて成長して、満開の花ざかり、水の旋律に共鳴して、みごとに咲き誇る。

 たとへ水がうねり、逆巻いても、桜の木は凛とたたずむ。」  




・・・・・・FIN