エロスの劇場 #13 『サッフォーとファロン』 | 空閨残夢録

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デカダンよりデラシネの戯言



 『ビリティスの歌』(仏語:Chansons de Bilitis)は、ピエール・ルイスによる1894年発表の散文詩集。サッフォーの同時代の女流詩人による詩をギリシア語から翻訳したとして発表されたのである。これは146歌の散文詩からなる詩集であり、ビリティスは紀元前6世紀のギリシャに生まれた女性で、少女時代から死に至るまでの間に書き残した詩篇が19世紀になって発見されたということになっていた訳である。

 
 『ビリティスの歌』は、古代ギリシア文芸研究者でもあるピエール・ルイスによって創作された実は偽書なのであった。ルイスは人の悪い性格で、当時の知識人や古典学者を欺き、この偽書にすっかり騙された学者たちは、知ったかぶりの恥さらしを演じるハメとなった次第で、そんなインテリの輩を陰で嘲笑し毒舌で揶揄して楽しんでいたようだ。

 いずれにしてもこの偽書は古代ギリシア語からフランス語に翻訳された体裁を保ちながらも、文学的には傑出した作品であり、優雅な美文は気怠くも眩く退廃的でありながら高踏的にして、そのエロティックな芳香は芸術的な捏造遊戯として存分に楽しめる作品でもある。

 このルイスによる『ビリティスの歌』に触発されて、ドビュッシーがそのうち3篇を歌曲に仕立て、その他にも付随音楽などを作曲している。






 さて、ピエール・ルイスの偽作『ビリティスの歌』は、サッフォーという女流詩人の存在が前提となった散文詩集でもある。サッフォーは、今を去ること2600年前あまりの昔にレスボス島に生まれた実在の女性で、ギリシヤで“女流詩人”といえばただそのひとのみ指す。

 サッフォーの名声は旧く西欧では遍く知られていて、同時代のアルカイオス、ソローンによる賛辞に始まり、プラトーンによって《十番目の詩女神(ムーサ)》とまで称えられて以来、彼女の名前は全ての時代を通じ、ヨーロッパの詩人たちの憧れを呼び起こしている。

 レスボスの詩女神サッフォーは神話的古代からヨーロッパ文学の中に息づいて、歴史上もっとも有名な女流詩人だと述べても過言では ない。そんなサッフォーの教え子という形式をとってピエール・ルイスはビリティスという架空の少女を創作して、彼女による詩作という形式で『ビリティスの歌』という散文詩を偽作した訳である。

 サッフォーはレスボス島のミュティレネ(あるいはエレソス)の生まれで、人生の大半をミュティレネで過ごした。裕福な家の生まれであったようで、そこで結婚してクレイスという娘をもうけている。夫は商人で仕事のため不在がちであったともいわれるが、この夫についての履歴や職業的な根拠ははっきりしていない。

 今日でもよく上流階級の婦人が行うように、サッフォーは、現地で多くの女性を集めた茶会やサロンのようなものをよく催しており、常連の若い娘さんが結婚して島を去るなどと いう時には祝婚歌を贈ったりしたようだ。このお茶会のようなものは、今でいえばフィニッシング・スクールのようなものではないかということで、19世紀頃の西欧のフィニッシング・スクールでは、サッフォーの肖像画を女子教育の元祖として掲げていた所もあったそうな。

 サッフォーの詩はさすがに2600年の月日が流れているだけあって、あまり多くは残っていない。現存の詩で恐らく完全なものであろうといわれているのは『アフロディーテに捧ぐ』という7連からなる詩で、彼女はアフロディーテを愛でる詩を多く表しているのだが、その中のひとつがBC1世紀のディオニュシオスという人の本の中に丸ごと引用された状態で残っていた。

 尚、彼女の詩はひとつの連が4行から成り、最初の3行は11 音節、最後の1行は5音節という形式を取っており“サッフォー・スタイル”と呼ばれている。大胆で時には艶めかしさを感じるようなエロティックな作品もある。それは古代ギリシャの特に周縁であるレスボス島の自由な雰囲気までが伝わってくるかのようだ。

 サッフォーの詩があまり現存していないのは、この大胆な性愛表現が災いして、中世のキリスト教会が彼女の異教的な性愛風俗を焚書にしたからだという俗説があるが、中世のヨーロッパというのは文化的には暗黒の時代で、あまり旧い文化を受け継いでいくような思想がなかったために失われてしまったとも考えられる。

 サッフォーと言えばレズビアンの教祖のように想像される昨今であるが、レズビアニスムの語源はサッフォーの生活し たレスボス島が語源である。またサッフィズムという女性同性愛者を呼ぶ言葉もあるが、本当にサッフォーが同性愛者であったのかは誰も本当の事は知らないし検証など今ではできないのだ。

 今日、“レスボス”というイメージを、あの「レスビアニズム」あるいは「レスボス風の愛」ということばで、鮮烈に脳裏へ焼き付けた張本人はボードレールの『悪の華』にある詩篇「レスボス」に他ならない。

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 ラテン人の戯れと、ギリシア人の逸楽との、母なる島


 レスボスよ、そこでは、けだるい、または愉しい接吻が、
 太陽のように熱く、西瓜のようにつめたく、
 輝かしい夜な夜なと日々の飾りとなる。
  ラテン人の戯れと、ギリシア人の逸楽との、母なる島、

 レスボス、そこでは、接吻はまるで滝のよう、
 怖れもなく、底知れぬ深い淵へ身を投げては、
 途切れ途切れにしゃくり上げ、忍び音もらして流れ行く、
 嵐をふくんでひそやかに、群なしてうごめき深々と。
 そこでは、接吻がまるで滝のような、レスボスよ!

 フリュネーたちのかたみに惹かれ合う、レスボス、
 かつて溜息に木霊の答えなかったためしのない島よ、
 星たちは、御身をパフォスにひとしく讃えるし、
 ウェヌスがサッフォーを妬むのも、まことに道理!
 フリュネーたちのかたみに惹かれ合う、レスボス、

 レスボス、この地に、暑く悩ましい夜な夜なを迎えては、
 われとわが身体に恋 い焦がれる、眼おちくぼんだ少女たちが、
 鏡に向って、おお不毛なる逸楽よ!
 己が年齢期(としごろ)の熟れた果実(このみ)を愛撫する。
 暑く悩ましい夜な夜なを迎える地、レスボスよ、

                                   (阿部良雄訳)

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 斯様に、ボードレールの『悪の華』の禁断詩篇のひとつが、近代人のレスボスのイメージの上に、ひいては、その島に生きたサッフォーの存在的なイメージを決定的に作用させたのは、世紀末のこの退廃詩人の仕業であることは間違いない。

 されど、サッフォーの残存する詩には同性である女性に対する愛の賛美と情熱を傾ける詩編が残っていることも確かで、ボードレールの妄想も致しかたないものもある。

 女性をエロティックな対象として好んだサッフォーは、その詩作品から伺えるのだが、彼女は晩年に異性である男性を愛して死に臨んだ物語が伝えられていることは、あまり、知られていない。

 それはオウィディウスの伝えるところで、ファオンという美しい青年に、年を重ねたサッフォーが恋焦がれた伝記である。

 美青年ファオンと情を通じ同衾したサッフォーは、やがてファオンに裏切られて見捨てられる。ファオンはサッフォーを捨てて、黒髪のシチリア娘とカタルーニャへ逃避する。このことで、絶望した哀れなサッフォーはレカウス島の崖から身投げして命を落とす。

 これは、多分、オウィディウスによる想像からの伝聞だと思われるが、サッフォーがファオンに手紙であてた言葉は胸に残る。それは・・・・・・



 「私を愛して、とは言いませんが、私の愛を受けてと、切に切に願うのです」