コラム第77回 2017年5月3日 「根性論・精神論は無能の証」 | GTBコンサルティング 平賀 正志(中小企業診断士)

 

ゴールデンウィーク真っ只中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

昨日、とある目上の方(プライベートのお付き合いだけで、仕事上の付き合いなどはありません。しかし経営者でもあり、小規模ながら大手に伍して闘ってらっしゃる方)とお話しする機会があり、今回のタイトルの言葉をその方から言われまして、頭をガツンと一撃されたような気分でおります。

 

経営の場面でも、よく

 

・心のこもったおもてなし

・感謝

・お客様第一

 

というようなことが標語的に言われます。

 

それ自体はなんとなく理解できているような感じですが、

 

・その定義は人によってマチマチで

・定義がマチマチなら、当然、人の行動に差が出て

・人の行動に差が出るなら、当然、結果も異なったものになってしまっている

・結果が異なる→サービスがバラバラになってしまっている

 

のが実情ではないでしょうか。

 

ビジネスの構成員それぞれが、各自の「個人的な心掛け」として精神面を強調するのは特段問題とはならないと考えられますが、それが組織全体の目標となったり、問題解決の方法論となるのは不適切であると、確かに言わざるを得ません。

しかし、

 

感謝、心、おもてなし、きずな、みんなで

 

のような抽象的な語句のオンパレードが経営指針に入って来るのは、ごく日常的な姿でもあります。

 

その方がおっしゃるには、

 

「うまく行かないことの原因を、個々人のやる気や思い入れといった不確定なものに求めるのではなく、採用時点から経営者が一切の責任を負って面接に臨み、きちんと行動基準・評価基準を伝え、一方的に経営者のワガママを通すことなく接すれば、あとは落ち着くべきところに落ち着く。従業員が思った通りに動かないのは、大抵は①経営者が権威を振りかざして暴君化している、②同じく経営者が物事を客観視できていなくて管理の勘所を外している、③ビジネスモデル自体に無理がある、のうちのどれか。つまり従業員の悪いパフォーマンスは経営者自身の責任。それがわからなくて、根性論や精神論に訴えるなんてのは、無能をさらしているようなものじゃないか?」

 

と。う~ん、ぐうの音も出ない正論です。

確かにそうなのですが、現実にはそれをわかっていただくどころか、仄めかすことすら、なかなか難しいのですけれど。そして行動基準や評価基準も策定することだって、そう容易なことではありません。

 

 

私自身の経験では、自分が勤め人時代に採用を担当したり、部下持ちをしていた時には、基準云々よりも、まずは、

 

「相手の利益に適うようにまずは計らう」

(相手=採用される側の人、自分の部下であるスタッフ)

 

ようにしておりました。理由は、

 

・彼ら自身がハッピーと感じる状況下でなければ、他の誰かに対して親切に振舞おうなどとは絶対にしないだろうから

(自分が惨めな心持ちでいる時に、他人に優しく接することなどできますか?私には無理!)

・彼らが、私と一緒にいることが自分の利益につながると感じれば、こちらに対して協力的になってくれるだろうから

(これは言わずもがなでしょう)

 

と思っていたからです。

ですので、目標をブレイクダウンしてハードルを下げ、丁寧に教え、やって見せ、やれるよと励まし、少しうまくなれば褒め、とにかく気分良く動いてもらえるようにしておりました。

 

「甘やかしてるだけじゃないの?」とおっしゃるかもしれませんが、そもそもの目的は何なのでしょうか?

彼らに良いパフォーマンスを出してもらうことですよね?

 

そして、彼らにもプライドや彼ら自身の生活が当然あります。

自分が一人の独立した個人であるのと全く同じく、彼らも同じ(=世界中の誰しも同じ)。

それを感情むき出しの攻撃的姿勢で接したところで、自分の思うように動いてくれなどしません。

 

だとするならば、最前線に立つ彼らにもっと敬意を払っていいと思いますし、何よりも人間に対する恐怖心を持たせることのないように注意を払うことが不可欠だと思うのです。


実際、上記のようなやり方で、可能な限り早く慣れてもらうこと、ちょっとでも上手くなろうとしてもらうことができましたので、その当時、私が担当から下りて引き継ぐ時や会社を辞める時には、彼らはすぐに後を引き取ってくれました。ほんのささやかな一例です。

 

 

それで話を冒頭に戻しますと、

 

ただ単に精神論を振りかざしたり、人間の性善説に頼らず、「どうすれば最前線のスタッフに気持ち良く動いてもらえるのか」を念頭に置きながら、行動規範を作っていくのが、誰しもにわかりやすく、かつフェアであるということなのだと思われます。

 

そこへ行動を向けていくのには、相当のエネルギーが必要そうですが、「当事者全員がハッピー」となるために踏ん張るべきところなのだと思います。私もそういうお手伝いをしなければ・・・!

 

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