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大学受験生のためのGのブログ【心編】

月木更新。大学受験生向け辛口トーク。高校受験や資格試験にも効くかも。
この情報を与えたクラスは、受験で大成功しました。

現代文の小説編についてだ。
まあ、こういうことを知っておくこと自体、現代文の勉強になるから、語っておこう。

題して、現代文の根本的誤解(小説編)だ。


「登場人物の心情なんか作者にしかわからない」

という言葉を聞いたことがある。

この言葉に対して、みんな、どう感じるだろうか?


作家の村上春樹が、現代のテクスト読解を、的確に表した言葉を述べていた。

「一度作家の手を離れたら、テクストは作家に対しても読者に対しても、平等に開かれている」という旨のことを。

すなわち、テクストの解釈は、作者の一義的な意図があるわけではなく、受け取り側がどう解釈するかにかかっているということだ。


これは考えてみれば当たり前のことだ。

作家が小説ないし物語をつくる時、彼女/彼は、登場人物の心情を計算し尽くしているのだろうか。

そういう部分もあるだろうが、経験にも頼っているのではないだろうか。

ある場面において、かつて耳にした、印象に残っている言葉。

こういうものが、小説には遍在しているのではないだろうか。


つまり、登場人物の心情なんか作者にもわからない、のだ。


しかし、小説ないし物語には、作者の意図があると、われわれは思い込まされている。

たとえば、『イソップ物語』を読む時に、「このお話にはこういう教訓がある」ということを言ったりする。

物語を読んで「作者は何を言いたいのだろう?」と問うたりする。

だが、アイソーポス(イソップ)が本当に、そんな教訓を語りたくて寓話をつくったのかは不明ではないか?


そして、この「錯覚」こそが、小説問題の誤った出題(悪問)を生み出しているのだ。

そうした悪問は、たとえば、小説の始まりにおいて「降っていた雨」が「止む」ことと、主人公の気持ちの変化を重ね合わせた解釈をしたりする。

しかし、どうしてそこに関わりがあると言えるのだろうか。普段、「天気の変化」と「気持ちの変化」が連動しているなどと、考えるはずも無いことではないか。

もちろんそれは、「小説には作者の意図があるはずだ」という考えが根本にあるからこそ、なされる「解釈」であるわけだ(作者はそう伝えるために天気をいじったのだろう、と)。


現代文の読解問題が、「一解釈」を一方的に押し付けるものであってよいはずがない。

そしてまた、「解釈」をたたかわせるようなものも相応しくない。それは小論文にでも委ねるべきだ。


というわけで、そもそも、小説自体があまり「現代文」に向いていないのだ。

そして、それでも内容理解に関して出題しようとすれば、選択肢問題か小論問題としてしか出しようがないのだ。


いろいろと細かいことを述べてきたが、まとめれば、小説においては、様々な「解釈」が存在しうるし、そうでなければならない、ということだ。

そうした性質を持つ小説の内容理解が問題になるのであれば、選択肢問題か、解釈の論理的整合性を問う問題の、いずれかにしかなり得ない。

後者はともかく、前者においては、文中根拠が大切になる。

そうなると、この選択肢問題においては、結局、形式論理が問われることになり、評論問題と大きな差はなくなってくるわけだ。


というわけで、小説問題は文中に証拠を探さなければならない。

国語が苦手な者は、こうしたことに意識して、問題集を解けばいい。

ただし、このことをわかっていない予備校講師が著した参考書などもけっこうある。

それには注意が必要だ。証拠主義を意識しておけば、悪問や悪書であることに気付くことはそう難しくない。

がんばってくれ。
こんにちはGだ。
現代文の勉強について、少し細かく質問してくれたやつがいるので、
今日(第十八回第十九回・第二十回)はみんなにもその果実をおすそ分けしようか。

たしかに、現代文については誤解が多い。こういうのもたまにはいいだろう。


第十八回で現代文の勉強のための黄金ルールを教えよう。そして、理論面については、午後の部(十九・二十回)で補足する。


では、はじめるぞ。


ルール1. 現代文の問題の基本は「言い換え」

「~とはどういうことか」という問題が現代文では多く出てくる。これは傍線部の「言い換え」を訊いているわけだ。

そして、その「言い換え」は、自分の言葉で言い換える必要などない。傍線の在る段落とその前後の段落に「言い換え」るべき部分が記されているから(※理由は後述)、それに置き換えればよいのだ。

「~はなぜか」という理由を訊く問題も同様だ。傍線の前後に必ず理由部分があるから、そこを読み、そして「そこを言い換え」ればよいのだ。(あるいは、「なぜか」でもただの「傍線の言い換え」の場合も多くある)

ちなみに、「~の根本にある考えは何か」等、さらに捻れば、傍線の段落の前後から離した部分を言い換えさせる出題も可能だが、基本問題に慣れればすぐにできるようになるので、難問(悪問?)に惑わされる必要はない。


ルール2. キーワードを言い換える

さて、「言い換え」とは言っても、選択肢を見ると迷ってしまうということも多いだろう。それは、選択肢を見る前にやるべきことをやっていないからだ。

まず、傍線部内のキーワード・キーセンテンスを抽出する必要がある。つまり、傍線部内を切り分ける(分節する)のだ。

たとえば、傍線が「AがBする」となっていて、それはどいうことかと問われたら、「Aの言い換え」が「Bの言い換えする」ってことだなと、傍線内を分けて考えるわけだ。

この作業をやったうえで、傍線部段落とその前後の段落を探せば、はっきりと言い換えるべき言葉が見えてくる。


ルール3. 自分の頭で考えない

他の科目はまあまあなのに現代文で高得点できない多くの者が、自分の頭で考えようとしている(※これについても後述)。

これは「理解できなければ解けない」病や「心情推測」病という、日本の国語教育に蔓延している病気に絡んでいる。

しかし、大学入試に出てくる現代文の文章は非常に高級だから、自分の頭で考えてわかるわけがないのだ。というのも、一流大学の学生が、「よくわからない」と感じるような本がそのまま出たりするわけだから(もちろん、その学生は合格しているわけだ)。

「わかる」とは何かという哲学的問題はさておき、「前から読んでわからなきゃいけないんだ」という考えは、入試現代文では百害あって一利なしなのだ。


以上、たったこれだけのルールを知っているだけで、現代文対策の勉強法は変わる。

もちろん、語彙力はあった方が得だし、「対比関係」や「具体と抽象」など、現代文参考書に決まって出てくる知識も無いより有る方がいい。

だが、そんなこと知らなくたって、このルールを知ったうえで問題演習するだけで、ルールを知らなかった者には劇的な効果が訪れるのだ。


以下は、おまけだ。

■現代文についての誤解

【誤解その1】 現代文は「センス」

センスというのは「感じ;感覚」のことだ。「なんとなく」で選択肢を選ぶ時、俺たちはこの「センス」を使っていると言っているようだ。

この考えが蔓延する理由は、ある時期までは多くの人が「センス」で正答できるからだ。中学校までの問題は「なんとなく」解けたやつも多いだろう。

さて、この「感覚」を作っているものは「経験」なのだ。義務教育の中学生くらいまでは、皆似たような情緒経験をしているわけだから、皆大体同じような答えになるし、それが正解になるような問題しか出ない。

だが、大学入試では、小説にしたって感情の微妙な機微を問う問題が出るし、評論に至っては、かなり難しい部類も出てくる。これを、たぶんこういうことを言っているんだろう、という風にはなかなかならないのだ。

センスにぴたりとはまる問題が出なければ終わりだし、その程度の「センス」なら、多くのライバルたちも持っているということを肝に銘じなければならない。


【誤解その2 】 本を読まなければダメ

俺は生徒たちに本をたくさん読めと言いうし、実際授業でも読ませるが、それは「現代文の勉強のため」というわけではない。

もちろん、読書はいろいろな基礎能力を養ってくれるのだが、勉強の入口としては、ひとまず、別物と考えておいた方が得だ。

「たくさんやっていれば、いつかできるようになるだろう、という神頼みの学習」では受験生には時間が少なすぎるという、故伊藤和夫先生の言葉は、やはり現代文にも当てはまる。

本はたくさん読むべきだが、現代文の学習はしっかりとルールを押さえ、筋道だった学習をしなければならない。


【誤解その3】 読めれば解ける

これは、ルール3でも語った。読めなくたって得点は可能だ。

しかし、それよりも、「主題を読み取れ」とか「本文をしっかり理解しろ」というアドバイスは、俺には空虚に思える。それができれば困らないわけだから。なにより、「勝手読み」して痛い目にあった経験を多くの者が持っていると思うが、そういう時、「本文(主題)を読み取ったはずなのに」と思わないだろうか。

また、よくある話だが、文章自体が論理飛躍だらけの悪文だったらどうするのだろう。

こうしたアドバイスは、「理解」という哲学的難問をあまりにも簡単に言ってくれるなあ、という印象しか俺に与えてくれない。

こうしたことにこだわるよりも、しっかり得点するための方法論を学ぶ方が先決だ。


▼どうして「言い換え」部分は近くにあるのか

いくつか理由があるがここでは一つだけ。段落同士は論理的につながっている。だから筆者は、読者に対していきなりわからないことは言わないようにしなければならない。だから、必ず、先に言ったことを繰り返して次の論に進めるわけだ。その繰り返しにおいて言い換えがおこるわけだ。


▼心理推測病(自分の頭で考える病)

「理解できる、わかる」と言う時、多くの人が「自分の経験に照らして納得できる」という意味で使っているように思う。しかし、この方法で現代文に向かってはいけないことは述べてきた通りだ。

こうした発想が根強く残るのは、学校教育のせいだろうと思う。小学校以来、「この時主人公はどんな気持ちだっただろう?」という質問が本文(テクスト)から外れてなされているからだ。

しかし、経験してきたことの異なる一人一人の別人格が、心情など正確に推測できるわけがないのだ。その努力は必要だと思うが、誤解が多いことも認める必要があるだろう。

小学校、中学校と悪くない成績をとってきた真面目な子は、そうした教育に慣らされてしまっているため、損な発想をしてしまうのだ。

俺などは、どうして登場人物の心情の問題なのに、俺の感じた気持ちを訊くのだろうといつも疑問に思っていた。

前から読まないと不安な感じがするのも、そうした教育の賜物だ。

こうした現代文の「常識」を、正しい現代文の<常識>に変えるだけで、必ず、得点力は上がる。


がんばってくれ。
こんにちは、Gだ。
受験生のみんな、受験勉強計画の進捗はどうだ?

第十七回は現代文だ。この講義ももうすぐ終わりを迎える。最後の一カ月少し、精一杯頑張ってほしい。


現代文でも大切なのは分析だ。

まあ、得意なやつは、志望校の過去問で点がそれなりに取れているなら、それでいいだろう。

他の科目に労力を使った方がよい。

一応、得意の基準を示しておけば、

・センター過去問で平均して9割取れる。
・予備校系の記述式模試で偏差値が70を常に超える。

以上二つをクリアしてるなら、他科目に力を注げばよいだろう。


そうでない場合は、分析が必要だ。

もちろん、苦手という場合、それぞれのレベルにおいて苦手と思っているんだな。

誰も、小学校の国語が解けないわけじゃない。

今、模試なんかを受けて、問題を見て、偏差値を見て、苦手と思っている。

結構なやつが、昔はできたのに、と思っている。

そういうことだよな。


なぜか?

結局、問題のレベルが上がっているんだな。

じゃあ、現代文の問題のレベルを上げている要素は何だ?

考えてみろ。


・・・


どうだ?

おそらく、文章の難しさと、設問への解答の難しさ、という二点だろう。

それが、次のような症状として現れているはずだ。

・文章が何を言っているのかわからない
・解説を読んでも、正しい選択肢の理由がわからない
・記述式問題で書いても部分点で終わる


どれかに当てはまらないか?

ここに分析の必要があるんだ。


それぞれの原因を言おう。

ひとつめ。文章理解力。
・語彙が不足している。
・段落の意味がわかっていない。

ふたつめ。選択問題解答力。
・文章理解力(上記)が不足している。
・設問の守備範囲がわかっていない。

みっつめ。記述問題解答力。
・文章理解力(上記)が不足している。
・設問の守備範囲(上記)がわかっていない。
・何が訊かれているか=何を答えればよいかを判断できていない。
・要約力が不足している。


文章理解力は、絶対の前提だ。これがないとお話にならない。しかし、とは言っても、程度の差はあれ、みんな結構、ここに根本の問題があるんだな。

そのうえで、受験国語の常識を知っているかどうかが勝負だ。


余談、入ろう。

残念ながら、多くの高校で教えてくれる国語は、この受験国語の常識を、理解していない。

教える側の話をするぞ。

国語の教え方には、教養主義アプローチと、機能主義アプローチの二つがある。

教養主義アプローチっていうのは、いっぱい読んでいれば、そのうち読解力がつくだろう、という発想に立ったものだ。

無意識の場合がほとんどだが、多くの学校の先生が、こちらのアプローチで教えている。

文章の背後に作者の真実がある、という発想に立っている。

「真意」を読み取るのが国語であって、そのためには、作者の生い立ちや、その他の著作等を理解しなければならない、という考えにもつながる。


それに対し、機能主義アプローチっていうのは、テクスト(問題文)以外の情報を遮断し、テクスト内部だけで読み取れることを読み取るという発想に立っている。

だら、文章内における、単語と単語の関係性(すなわち、文脈)を文法上正しく読み取り、作者を超えて(無視し)、テクストが語ることだけを読み取ろうとするものだ。


受験国語は、少なくとも大学受験国語は、後者の立場で作られている。

中学私立受験ではまだまだ、前者の発想に立った問題が見られるが、それは国語というより、道徳だ。個人的には、そうした学校に通う生徒が不幸だと思っている。


ただし、真に機能主義な解釈が成立するのか、という根源的な問いがある。

この辺は、現在も熱い論争が巻き起こっている分野だ。

国語という科目は、そもそも、

「厳密に言って曖昧」

な科目なんだ。



閑話休題。

とにかく、受験国語の常識で一番大切なのは、

■解答は、絶対に文章(テクスト)内に根拠を求められなければならない

ということなんだ。

つまり、証拠主義。

どうしてかを自分の頭で考えるのではなく、文章中に証拠を探す。

これが、受験国語の技術であり、苦手な人間が理解できていないことなんだな。


そうしたことを理解したうえで

文章理解力を高める。

それは、もう、

語彙

語彙

語彙

語彙だ。

言葉がわからなきゃ読めない。


たくさん本を読んでいるやつが現代文が得意なのは、単純に、この語彙が多いからなんだ。


ただな、それだけじゃ、やっぱり難関大は難しい。

次に、他の要素を説明しよう。

・段落の意味
・設問の守備範囲
・出題意図の読み取り
・要約力

これらが、難関大では、決定的意味を持つ。

それぞれの細かい説明は省き、鍛え方を言う。


■過去問や問題集を解いたら
・辞書を引く(語彙強化)
・設問の守備範囲を明確にする(どこからどこまでが設問2に関係がある範囲か?と考える)
・段落の役割を考えてみる(どれが主張の段落?具体例の段落?)
・記述問題は、何を答えるべきだったか、を再確認する


辞書は必ず引け。本を読むときでも、引け。一日ひとつずつ知らない言葉がわかるようになれば、あっという間に、小説も論説も、深く読めるようになる。

これは本当に効果的な国語力アップ法なんだ。

設問の守備範囲っていうのは、誤解を恐れず言えば、傍線部の近くを読めってことだ。

全体を読んで、何となく理解し(たつもりになり)、何となく設問に答える、ではダメだ。

その傍線部の近くに、根拠=証拠を探す。

段落の役割っていうのは、「一段落一主張」という原則を知るということに尽きる。

その段落が言いたいことを一言にまとめられればいいだろう。

これは要約力に通じる。

記述問題は、以上ができていれば、解説がよくわかるはずだ。



とにかく、語彙を増やして、問題演習。復習に時間をかける。

そのとき、大切な要素に注意するんだ。

ちょっと最後急いでしまったな。以上。

Good luck!