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大学受験生のためのGのブログ【心編】

月木更新。大学受験生向け辛口トーク。高校受験や資格試験にも効くかも。
この情報を与えたクラスは、受験で大成功しました。

こんにちは、Gだ。

第何回だったかな。
だが、もう最終回が近いので、どうでもいいだろう。

今日は、学習効率をあげる方法について語ろう。

お題の1.5倍~3倍というのは、適当な数字だ。実感値としてそれくらいじゃないかと思うだけだ。


以前、集中力は意識のエコノミーだと言った。

簡単におさらいすれば、

勉強に集中するためには、勉強以外の気になる事柄を意識外に追い出せ

ということだったな。


だが、

集中する方法

を尋ねられるとき、

どちらかというと、今回話すような、効率アップのことを訊かれているのかもしれないと

ふと思ったわけだ。


というわけで、

今回は学習効率をアップする「頭の使い方」について語る。


余談だが、

俺は生徒に対して

決して「お前は頭が悪い」とは言わない


これだけ辛口なんだから分かると思うが

そういうことを言ってはいけない

なんて俺が思っているからじゃない


表現として正確でないからだ


俺は次のように言う


お前は頭の使い方が悪い


頭が悪いやつなんていない

というか、

人間の脳は結構凄いわけだろ?

そういう凄いのを持ってんのに

うまく使ってないだけじゃねーか?


というわけだ。


閑話休題。

んなわけで、

どうやって頭をうまく使うか、だ


結論から言う


常に原理に立ち戻りながら学べ

ってことだ


講義を聴くにも

本を読むにも


基本原理を考えながら

基本原理に立ち戻りながら

自分が納得できているという感覚を大切にする

ということに尽きる


もちろん、

学習のはじめにおいては

わかるわからないよりも

全体像を把握するということが非常に効果的だ

そこでは「敢えて」理解を無視する必要がある

学習「方法論」としては、そういう技術が必要だ


だが、

一般的な学習「姿勢」において効率を高めようとするなら

すべてを基本原理に結びつけて考える

という頭の使い方が重要になる


そんなことは当然じゃないかと思っただろうか


思っているなら大丈夫だ


だが、これも程度の差があるものだ

本当に徹底的に基本原理に立ち戻るという

思考態度があれば

お前は絶対に第一志望に合格できる


俺が今まで見てきたなかで

本当の意味で優秀だと思えるやつらは

すべて、この思考態度(=正しい頭の使い方)が徹底されている人間だった


そして、もうお気づきだとは思うが

そうした思考態度は

以前話した、分析する態度にも通じる

つまり、論理力がある人間の条件でもあるわけだ


こうした原理的思考を常に持ちつつ
学習するということを大切にすればいい


ここまで読んで難しいと感じるやつもいるだろう


そういうときは次のことを大切にすればいい

「なぜだ!」「どうしてだ!」
「さっきの話とどうつながってるんだ!」


こう問いながら

授業を聞いたり本を読んだりすればいい


それこそ基本的な話だったんだが

勉強が苦手だという人間の一番の原因がこれだったりするわけだ


と言うわけで

うまく頭を使ってくれ


ではな。
こんにちは、Gだ。

今回は明らかに番外編だ。

昨日の日本シリーズ見たか?

受験生が見られるわけないって?

おいおい、そんなこと言うくらい時間を切り詰めて勉強してきたのなら、もう結構余裕のはずだ。

日本シリーズくらい見ろ。


中学生や高校生なんかを見ていると、できる生徒とできない生徒の違いが定期テスト前なんかによく見られる。

できないやつほど、テスト前に時間が無いとか言うんだな。

できるやつは準備が済んでいるから、テスト前は結構余裕。

できるやつってのは、テスト前は余裕なんだ。

大学受験は違うって?

違わない。

俺の見てきた限り、東大だって早稲田・慶應だって、受かるなってやつは、余裕だ。

焦ってやってるやつの勝率は低い。

つまり、

俺が言いたいのは、

ちゃんと計画たてて、こなしていれば、時間なんていくらでも生まれるってことだ。

タイムマネジメントという。


閑話休題。

いつも通り、辛口モードになってしまったな。

俺の辛口を楽しめるやつは、かなり有望だ。

辛口ってのは、余裕があれば楽しめるが、余裕が無いと楽しめないものだからな。

ある意味、勉強がうまくいっているかどうかのリトマス試験紙だと思ってくれ。


さてさて、

今の俺を知っているやつは驚くだろうが、俺は野球少年だった。

さらに驚くだろうが、皆で野球ごっこをするときは、けっこうピッチャーをやっていた。

その頃、好きだった球団は西武ライオンズだった。

秋山幸二が3年連続40本以上の本塁打を記録した頃だ。

彼は満塁ホームランを打ったり、ここぞという逆転ホームランを打った時は、ダイヤモンドを回り、ホーム直前で側転からのバク宙(後方宙返り)をしてホームベースにタッチしていた。

少年Gは魅せられたね。

清原が4番を打っていたが、俺は明らかに秋山派だった。

だから、秋山がホークス(当時ダイエー)に移った時は、一緒に俺も移った(もちろん、ファンとしてな)。


今日の朝日新聞に、王と秋山と小久保という3人に視点を合わせた切り口からホークスを語った記事があった。(読売はそういう分析記事を載せていない。むしろスポーツでは読売が頑張ればよいのにな。今はそれどころじゃないか)

秋山がホークスに移ったとき、選手たちに負け根性が染み付いていて驚いた。だから、練習をする背中で見せていくしかないと努力した旨書かれていた。

それから王監督になり、勝負にこだわる心を皆に植え付ける。秋山はキャプテンだ。

その頃、小久保が入団するんだな。

そして、いま小久保がキャプテンとして、チームの精神的支柱になっていると。

こういうことなんだが、

俺は、努力家秋山の姿を知って、安心したし、うれしかった。

少年Gは、やはりちょっと、君らと同じように、できるやつは何もしないでできると思ってる節があった。

でも、秋山はやっぱり努力していた。

野村克也の著作から知ることができるが、王貞治も、恐ろしいほどの努力家だった。

どんなにみなで飲んでいても、8時くらいになると席を立つ。

なぜなら、9時から日課の素振りをするためだ。


感動しないか?


偉大な人物たちが努力しているという事実に、感動しないか?

そして、安心しないか?


俺は、秋山幸二の監督としての努力を思って、昨日テレビを見ながら勝手に泣いた。

秋山が感極まって泣いている姿を見て、勝手にいろいろなことを想像して、泣いた。


俺は、落合博満も尊敬している。


でも、昨日は、ホークスが勝って、いろんなことを思い出した。

そういえば、俺は秋山が好きだった。


野球に興味を無くして20年くらいか。でも思い出した。


それくらいに秋山の表情はかっこ良かった。


努力が実った瞬間。

それまで、ずっと我慢してきたものがあった。


感動した。


ストイックに努力し続ける。

もしかしたら、その成果はあらわれないかもしれない。

でも、努力し続ける。


そんな勉強をしたくないか?



秋山は、勝利監督インタビューでも秋山だった。

TBSは、視聴率の低迷するドラマのために、途中で放送を止めたが、そこで秋山が語ったことは、本当に素晴らしいことだった。

インタビュアー「次はアジア大会ですね」
秋山幸二「いや、その前に」

といって、3.11以降に始まったプロ野球シリーズが、12球団一丸となってプロ野球選手としてできることをしてきた過程だったという旨述べた。

秋山には、矜持があった。
プロフェッショナリズムがあった。

それはもしかすると王貞治に学んだことかもしれない。


王は、胴上げされようとはしなかった。

そこに出向くような人物ではなかった。


努力は報われるところまでやれば報われる

と以前書いたが、

本当は、俺は、

報われなくたって努力し続けてほしい

と思っている。


そう言う意味で、昨日で中日を去った落合博満をもまた、深く尊敬している。
現代文の評論についてだ、な。
これも、読解の誤ったクセをなくすうえで役立つだろうと思うので、語ろう。

現代におけるテクスト読解において、客観問題に適しているのは、こ「形式論理を問う問題」か「言い換え」だけなのではないかと思う。


形式論理(数理論理・記号論理)とは、「AならばB」といったような数学的関係として表せる論理形式のことだ。

高校の数学過程で「命題」という言葉を習うが、まさにその形式を利用して意味を確定していく方法だ。

東大の野矢茂樹の活躍等で一般的になったから知っている者もいるだろう。


一つだけ例を挙げよう。

テクストに「私が行くなら彼女は満足する」(命題として捉えよう)と書いてあったとき、正しく推論できることは以下のどれだろうか?

1.彼女が満足していないなら、私は行っていないことになる。
2.私が行かないなら、彼女は満足しないことになる。
3.彼女が満足しているなら、私は行っていることになる。
4.私は彼女のところへ行くべきか迷っている。

どれも、可能性はある話だ。4でさえ、確実に違うとは言えないな。

だが、「確実に正しい」と言える選択肢は、一つだけなのだ。自分の頭で考えるとどの可能性も見えてしまう。どの選択肢も「強く」間違っているとは主張出来ないのだから(もっと命題を複雑にすればかなり難問になる)。

ところで、次のような選択肢はほとんど存在しないが、

5.私が行っても、彼女が満足するかはわからない。(テクストが言っていることが正しいとは限らない。)

という選択肢も考え得る(そしてこれは確実に正しいのだ)が、こうした「命題」自体を否定する選択肢は「テクストのの読解」ではなくなってしまうから、アウトだ。


■■■正答■■■


答えは、「1」だ。

これは、「対偶」というものだな。数理論理を理解していれば、自動的なのだが、「自分の頭を使」って考えると大変になる。

ちょっとやってみよう。

彼女は、私ではなくて彼が来ても満足するという想定は可能だな。であれば、選択肢の2と3は、正しくはない。私が行かなくても、彼が行っていれば、彼女は満足するわけだから(2と3は「裏」「逆」というものだな)。

だが、1であれば、彼女が満足していないということは、彼女を満足させる可能性のあることが一つも起こっていないということだから、もちろん、私も(彼も)行っていないことは確実であるわけだ。


■■■


さて、七面倒くさいことを述べてしまったな。

だがな、別にこんなことを知らなくてもいいんだ。


前回、今回で語っていることは、みんなが、みんなの上達を阻害するような悪問に惑わされないための情報だ。


悪問に戸惑って要らない苦手意識を持つ受験生が多いので、悪いのはみんなではなく「悪問」の方だと言いたいだけだ。


というわけで、どのような悪問があるのか述べよう。

本文から「AだからB」ということだけが読み取れたとしよう。

このときに、なぜ「B」かと訊くのはOKだ(もちろん「A」だからと答える)。

言い換え(「AだからB」とはどういうことか)を訊くのもOKだな(「Aの言い換え」だから「Bの言い換え」ということ、と答える)。


でも、なぜ「AだからB」なのか、という問いはダメだ。


例えば、「信号は守らなければならない」とだけ読み取れる文に対して「なぜか?」と訊くのはダメだ。

「危ないからだろう」とか、「ルールを守らないと混乱する」とか、理由はいろいろ考えられる。でも、それは「自分の頭で考え」たことであって、本文の読解にはならないからだ。


そして結局のところ、評論問題における根本的問題は、ここにある。

テクストが「AだからB」と言った。でも、それが理解出来ない。それで難しいと思ってしまう。デキル人たちは、そこを理解できていると思ってしまう。

でも違うのだ。

テクストに書いてある「AだからB」を理解する(府に落とす)必要はないのだ。テクストは「AだからB」と言っている。これだけなのだ。それを「納得」する必要などないのだ。


「本文を理解しなさい」というときの「理解」という言葉に、多くの受験生が惑わされているが、心配ない。今述べたことがわかっていれば、十分「理解」なのだ。

筆者が書く意味において正確に読み取るなどということは、そもそも不可能なのだから。


以上、第十八回~第二十回の現代文講義を終える。