こんにちは。
1月から新しいドラマがスタートしてます。
いくつか、録画で見ているんですが、さんのドラマが面白いですね。 内容が、、、
そう考えると「脚本家」さんって知識もないと書けない訳ですからホント凄いですよね。。。
広く浅くではなく、広く深くなんでしょうかね。
もちろん、聞いたり調べたりするんでしょうけど。。。と言うことは、試験勉強と同じですね。
今日の過去問は、平成23年度問41の問題をやりたいと思います。
それでは、早速。
問題
ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の[ ア ]を確保することが重要な意味をもっている。
特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現の[ ア ]が必要となってくる。
表現の[ ア ]が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといってもよい。
[ イ ]が自由に出入りできる[ ア ]は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に表現の[ ア ]として役立つことが少なくない。
道路、公園、広場などは、その例である。
これを[ ウ ]と呼ぶことができよう。
この[ ウ ]が表現の[ ア ]として用いられるときには、[ エ ]に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。
もとより、道路のような公共用物と、[ イ ]が自由に出入りすることのできる[ ア ]とはいえ、私的な[ エ ]に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。
しかし、後者にあっても、[ ウ ]たる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と[ エ ]とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。
(最三小判昭和59年12月18日刑集38巻12号3026頁以下に付された伊藤正己裁判官の補足意見をもとに作成した)
いつものごとくサラッと目を通しましょう。
今日の問題は、判例の補足意見です。
行政書士試験でも、ときどき取り上げられていますね。。。
「駅構内におけるビラ配布」と「表現の自由」が問題となった事案における最高裁判所判決です。
それでは、順に確認していきましょう。
[ ア ]は?
場
[ ア ]から順に確認して行きます。
[ ア ]は、7ヶ所もあります、過去最多ですね。(笑)
解りやすそうなところを抜き出してみます。
特に表現の自由の行使が行動を伴うとき=表現の[ ア ]が必要
表現の[ ア ]が提供されないとき=多くの意見は受け手に伝達することができない
[ イ ]が自由に出入りできる[ ア ]=それぞれその本来の利用目的を備えている
7か所を読んだ感じでは「手段」とか「場所」とか、そんな感じなんですが、次の3つから[ ア ]は判断できますね。
[ ア ]は、行動を伴うときに必要
[ ア ]が提供されないと意見は受け手に伝達することができない
そして、[ イ ]が自由に出入りできる[ ア ]、そして、本来の利用目的を持っているもの
と言うことです。
本来の利用目的=道路、公園、広場などは、その例である。
つまり、「場所」ですね。
選択肢を確認してみると「19 場」が類似するもので用意されています。
と言うことで、[ ア ]は、「場」です。
[ イ ]は?
一般公衆
次に、[ イ ]ですが、、、[ イ ]は、2ヶ所あるんですが、内容が殆んど同じなので実質1か所です。
[ イ ]が自由に出入りできる[ア:場]は、です。
ただ、ここは簡単ですね。
[ア:場]の本来の利用目的は、「道路、公園、広場など」こう言ったものが例だと書いてありましたよね。
道路や公園、広場は誰でも自由に出入りすることが出来て、制限されることはありません。
と言うことは、「人」とか「人々」とか、それに類する言葉になります。
選択肢には、人に関するものは、2 とらわれの聴衆、5 一般公衆、8 敵対的聴衆、10 デモ参加者、13 警察官 とあります。
とらわれている訳でもなく、敵対している訳でもなく、デモに参加している訳でもなく、警察官に限定している訳でもなく、「自由に出入りすることが出来る」と言えば、[ イ ]は、「一般公衆」になるでしょうね。
公衆=社会一般の人々。
さすがに裁判官、難しい言葉を選ぶものです。
これは、「場所」も「場」って表現してますし、その辺の思考が私なんかとは全然違うんですね。
[ ウ ]は?
パブリック・フォーラム
次に、[ ウ ]を確認してみます。
[ ウ ]は、3ヶ所です。
解りやすいところは、
「道路、公園、広場などは、その例である=これを[ ウ ]と呼ぶことができよう。」ですね。
これらの例は、「公共の場」と言われるものです。
公共の場=誰でもが行けて、誰でも使用できて、誰でもいることができる場所
こんな感じでしょうね。
公共=社会一般。おおやけ。
これに類する選択肢があれば良い訳です。
ここは、「11 パブリック・フォーラム」の一択です。
パブリック=公衆。大衆。また、公であるさま。公的。
フォーラム=古代ローマの都市中央にあった広場。集会用や討論会が開かれた。転じて、集会所のこと。
「パブリック・フォーラム」を直訳したものが、「公共の広場」です。
ですので、ここの[ ウ ]は、「パブリック・フォーラム」しかありません。
[ エ ]は?
管理権
最後に、[ エ ]を確認してみます。
[ エ ]は、3ヶ所です。
[ エ ]は、「制約を受けるもの」、「服するもの」です。
服する=言われたとおりにする。従う。服従する。また、従わせる。
解りやすいところは、
この[ウ:パブリック・フォーラム]が表現の[ア:場]として用いられるときには、[ エ ]に基づく制約を受けざるをえない
ここですね。
[ウ:パブリック・フォーラム]は、「公共の場」です。
その公共の場を「表現の場」に用いる訳です。
先ほどの例で「道路、公園、広場」を書いてましたよね。
これらのものを「表現の場」に用いると言っても好き勝手に利用できる訳ではありません。
これらの場所を管理している人や組織が有りますよね。
利用する側は、そこにあるルールの範囲内でそこの「場」を利用できる訳です。
そこにあるルールの範囲内、つまり、その場を管理する人達の定めたルールに従う訳です。
これは、そこを管理している人達に「管理権」があることを意味します。
つまり、[ エ ]は、「管理権」と言うことです。
参照
ある主張や意見を社会に伝達する自由を保障する場合に、その表現の[ア:場]を確保することが重要な意味をもっている。特に表現の自由の行使が行動を伴うときには表現の[ア:場]が必要となってくる。表現の[ア:場]が提供されないときには、多くの意見は受け手に伝達することができないといってもよい。[イ:一般公衆]が自由に出入りできる[ア:場]は、それぞれその本来の利用目的を備えているが、それは同時に表現の[ア:場]として役立つことが少なくない。道路、公園、広場などは、その例である。これを[ウ:パブリック・フォーラム]と呼ぶことができよう。この[ウ:パブリック・フォーラム]が表現の[ア:場]として用いられるときには、[エ:管理権]に基づく制約を受けざるをえないとしても、その機能にかんがみ、表現の自由の保障を可能な限り配慮する必要があると考えられる。
もとより、道路のような公共用物と、[イ:一般公衆]が自由に出入りすることのできる[ア:場]とはいえ、私的な[エ:管理権]に服するところとは、性質に差異があり、同一に論ずることはできない。しかし、後者にあっても、[ウ:パブリック・フォーラム]たる性質を帯有するときには、表現の自由の保障を無視することができないのであり、その場合には、それぞれの具体的状況に応じて、表現の自由と[エ:管理権]とをどのように調整するかを判断すべきこととなり、前述の較量の結果、表現行為を規制することが表現の自由の保障に照らして是認できないとされる場合がありうるのである。
(最三小判昭和59年12月18日刑集38巻12号3026頁以下に付された伊藤正己裁判官の補足意見をもとに作成した)
1 手段 2 とらわれの聴衆 3 ガバメント・スピーチ 4 時間 5 一般公衆 6 プライバシー 7 公共の福祉 8 敵対的聴衆 9 フェア・コメント 10 デモ参加者 11 パブリック・フォーラム 12 内容 13 警察官 14 思想の自由市場 15 方法論 16 管理権 17 権力関係 18 社会的権力 19 場 20 現実的悪意の法理
伊藤正己裁判官の補足意見
パブリック・フォーラム論=パブリック・フォーラムにおいては、所有権やその本来の利用目的のための「管理権」に基づく制限を受けざるを得ないとしても、憲法21条の保障する集会の自由に可能な限り配慮する必要があるとする理論。
いつも思うんですが、多肢選択式の選択肢、聞いたことのないようなものも多く含まれます。
それが解答に含まれたことはないような、、、
今日も最後まで有難うございました。
今日のところはここまでです。
んでまずまた。
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