今日はお休みの筈ですが、キャロルのコルンゴルト伝をところどころ読んでいます。これだったら最初から順を追って読んでいけばよかったかも。
戦後について、キャロルの記述を読むと積極的な部分が強調されて、コルンゴルトの音楽が人を動かす力を持ちつづけていたことがわかります。
1950年1月のフルトヴェングラーとウィーン・フィルによる交響的セレナーデ演奏や、1955年ミュンヘンの『死の都』上演も、従来読んだ記述より肯定的にとらえられているようです。
実際、マリエッタの歌が上手に上演されて、熱狂を呼び起こさないなど想像できないことです。
すると、コルンゴルトが忘れられていく過程は余計不可思議になっていきます。このあたりをどう解釈すれば良いのか、現在考えています。