北村薫のミステリー『街の灯』(文春文庫)の第2編『銀座八丁』には、グリーグのピアノ曲『トロールハウゲンの婚礼の日』が出てきます(トロールドハウゲンと表記されているようです)。
第三作『鷺と雪』で直木賞を受賞した連作シリーズは、1930年の上流社会を舞台背景としているのですが、学校のピアノ練習室からきこえてきたのが、このグリーグの作品です。
ところで、この時代、上流階級のピアニストというと、井上園子ではないかと思います。今回発売された『SP音源による伝説の名演奏家たち』には井上園子によるグリーグ作品の演奏も収められています。『トロールハウゲンの婚礼の日』ではありませんが、やはり叙情小品集から、『春に寄す』の演奏です。
井上園子は現代ピアニズムの主流とはまったく違った方向性で、しかし、見事な演奏を聴かせています。
北村薫作品の登場人物であるベッキーさんや花村英子、桐原麗子が、もし実在したとするならば、井上園子は、この人々と当然に行きかい、それどころか面識もあった可能性も高いことになります。
その時代に、実際にピアニストの指が創りだして響いていた音楽を、レコードは今に伝えてくれています。
付記(10月12日) この曲の名前はトロールハウゲン、トロールドハウゲン、トロルドハウゲンと様々に表記されるようです。グリーグが住んだ湖畔の街です。