映画『ワルキューレ』 ちょっと複雑すぎる題材 | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

この映画では、字幕で最初に出てくるときに登場人物の名前が紹介されています。

多くの登場人物がいるだけでなく、それぞれが複雑な背景を持っているので、予備知識がないと理解するのがとても大変かもしれません。要領よく描いてあるのでしょうが、たとえば、シュタウフェンベルクという大佐(元帥でも大将でもない)が、なぜにあれほど権威と説得力を持っているかはわからないかもしれません。

パンフレットをみても、フェルギーベルやオルブリヒトは「将軍」ということになっていますが、「大将」ということであり、それをふまえてみると、シュタウフェンベルクの行動の異常さがよくわかります。

もともと、シュタウフェンベルクというのはとても不思議な軍人で、伝記を読んでいると人間とは思えないようなところがあるのですが、この映画では、そのあたりは強調されていないです。むしろ、できるかぎり、シュタウフェンベルクをふつうの人と表現しようとしているのかなあと思いましたが、そうすると、なぜ、ただの大佐が大将や元帥に、しばしば強気なことをいうのかが理解しにくいかもしれません。

オルブリヒトとフェルギーベルがとりわけ弱気な人物にされているのは、そのせいかな。ゲルデラーにしても、早い時期からヒトラーに反対して、信念を貫き、決断力のない軍人にしばしば失望してきた人物であることを無視すると、ただの空気の読めない愚鈍な政治家に見えてしまいます。

ルートヴィッヒ・ベック上級大将の高い権威が描かれているのはもっともですが、これも、ベックという人物がどれほど重要な軍人であったかを知らないとわかりにくくなります。当時のドイツで戦略、戦術の大家として自他共に認める存在であり、だからこそ、ヒトラーと対立したのがベックでした。

問題を簡略化するために、この映画では、シュタウフェンベルク周辺のキー・パーソンである社会民主党の政治家でユリウス・レーバー、予備軍司令官に反乱者側から任命された、エーリヒ・ヘープナー上級大将のような主要人物を、省略、ないしは別のキャラクターに統合しています。

レーバーがいないことで、シュタウフェンベルクとゲルデラーの反目が、進歩的軍人対保守的政治家ではなく、軍人対政治家の構図になってしまっています。

こうしてみると、1944年7月20日事件は、映画化するには複雑すぎる題材なのかもしれませんね。映画としての評価とは別の問題ですけれど。