さて第九日本初演の地板東にもいってまいりました。今回の関西行き全体にいえることですが、暑かったです。
板東は第一次世界大戦中にドイツ人捕虜を収容した俘虜収容所のあったところです。ここでは人道的な収
容所当局の収容所管理によって、多くの俘虜が日本に共感を持ち、板東のひとびととドイツ人捕虜たちがさまざまなかたちで交流したことで知られています。最
近映画にもなりました。
音楽や美術だけでなく食文化など、多くの点で板東捕虜収容所のドイツ人俘虜たちと日本の民衆の間には交流があったようです。とりわけベートーヴェンの第
九交響曲を日本初演したことは後世まで大きな印象を残す出来事でありました。ひとびとの友情を歌った第九交響曲が、戦争の時代に極東の地で演奏されたとい
うことは、現代のわたしたちにも友情と平和を訴えるメッセージたりえているのかもしれません。ドイツ館には巨大なベートーヴェン像もありました。
わたしは従来1924年の東京音楽学校における日本人オーケストラによる第九交響曲「初演」を重視する立場をとっていました。日本楽壇の進展と連続性を重視する立場からは、そのような主張も維持できるとも思います。ただ、板東における音楽活動は、わたしが想像した以上に充実していてひらかれていたものであったようで、板東でのドイツ人による初演を、今後はより以上に注目していきたいと思いました。
第九初演だけでなく板東では音楽活動が盛んだったということでした。ラジオもない時代に、自分たちで演奏する音楽は、俘虜たちにとって魅力ある娯楽だったようです。複製ではない音楽が自分たちの手によって演奏されたというのは、すばらしいことかと思います 。