ふたたび井口基成 | 緑の錨

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歴史家の山本尚志のブログです。日本で活躍したピアニストのレオ・シロタ、レオニード・クロイツァー、日本の歴史的ピアニスト、太平洋戦争時代の日本のユダヤ人政策を扱っています。

 井口基成批判は最近の流行になったようですが、このピアニストについて考えるとき、注意しなければいけないことがあります。井口基成は戦前においては主流とはいえない位置にいて、その立場で、なんとか自己主張しようとしたいた日本人ピアニストでした。このあたり、多くの研究者が誤解していることであるように思います。

 そして、日本の社会と文化、それに音楽をめぐる言説の流れのなかで、井口基成は地位を高めて、戦中から戦後の初期にかけて日本ピアノ演奏において最も大きな影響力を持つピアニストになりました。このころ音楽をめぐる言説において主張されたよい演奏のありかたは、戦前のピアノ演奏とはもとより現在日本においてよい演奏とされる演奏とも大きく異なっていました。

 井口基成を冷笑する人に望みたいのは、かれが演奏・楽譜校訂などで持っていた前提が今日とは違っていたことを理解することです。もちろん、この前提に不備があるのかもしれませんが、井口の個人プレイだけでなく、当時の音楽文化のありかたそのものが井口の芸術を生み出したのでした。

 さて、結局は戦後のピアノ教育の規格化や音楽界の官僚主義的傾向の強化、経歴重視の流れとは相容れないもののあった井口基成は、それが禍して、日本の音楽界からやがて排除されることになります。

 誤解されたピアニストである井口基成について、その不備や不足を論じるのはやむをえないことではありますが、その音楽が持っていた意味や、かれの音楽に日本人が託した希望もまたちゃんとみてほしいと思います。独特の魅力を持つ人物であった井口基成を、あまり過小評価することはやはり問題のあることです。