2泊3日のGW旅行最初の目的地は広島県呉市。軍艦の製造で発展した街です。
大阪から7時間ほど山陽自動車道をひた走り、呉にて本日の宿の位置が確認できた頃、もう午後2時をまわっていました。渋滞で、もしかすると初日の観光は無理かと思っていたので、まずまずの滑り出しかな。
息子が熱心に行きたがっていたのが『大和ミュージアム』。
ミュージアムの手前のショッピングセンター内では、映画『男たちのYAMATO』に使われた大和のセットの展示も見ることができました。ここでは一部とはいえ、主砲の46センチ砲や高射砲の実物大が間近に見られ、巨大なスケール感がよくわかった。映画では高射砲の左右と仰角を手動で(?)操作するなんとも原始的な場面がしばしば登場しましたが、こんな何も身を隠すもののないところで弾幕行きかう中に座っているなんて・・・目の前で見るとやはり愕然とします。
大和ミュージアムの目玉は10分の1スケールの戦艦大和の模型です。甲板のチーク材の張り方まで丁寧に再現された凝ったつくりで、上から下から斜めからといろいろな角度から見て迫力を楽しめます。スクリューだけ見て「意外と小さいなあ・・・」なんて思ったのですが人の模型と比較してみて驚きました。
大きい! 船体が大きすぎて勘が狂っていたのでした。「このスクリューって、ふつうのヨットと同じくらいの大きさあるやん。10分の1やのに」と息子が言う。そう言われてみればそうですな。こりゃすごいです。
大和の紹介ビデオが流れていましたが、いかに大和の技術が優れていたかなどを滔々と語ります。光学レンズやら零戦やらの技術がいかに後世に役立っていったかなど。 しかし、ちょっとほめすぎじゃないのか・・・戦争中に技術開発で大きく遅れをとっていったことも語るべきではないだろうか。息子いわく 、「ほめてばっかりやん」 。
君も、そう思うか。それはよかった。
大和ミュージアムというくらいだから館内の半分以上は大和メモリアルです。乗組員の遺品や遺書としての手紙なども多数あり、映画「硫黄島からの手紙」を思い出しました。あのころの人は家族にも丁寧な言葉で手紙を書いたのですね。感情を抑え整然とした文章は、かえって胸に迫るものがあります。
残りの半分は人間魚雷「回天」や本物の零戦の展示。 「回天」は人間魚雷となることを切望した青年将校たちによって作られたのだということ、出撃のときの勇ましい手紙などが紹介されていました。 なんだかこのあたりで胸が悪くなってしまった。切望するような人間に誰がしたのだ。 他の戦友の中には迷惑に思った人もいたのではないのか。などと思いました。
ちなみにこの「回天」は京都嵯峨野の一角にもひっそりと展示されています。
情緒ある街並みの一隅で、観光客にも一目見てもらいたいと誰かが置いたのでしょう。
大阪から7時間ほど山陽自動車道をひた走り、呉にて本日の宿の位置が確認できた頃、もう午後2時をまわっていました。渋滞で、もしかすると初日の観光は無理かと思っていたので、まずまずの滑り出しかな。
息子が熱心に行きたがっていたのが『大和ミュージアム』。
ミュージアムの手前のショッピングセンター内では、映画『男たちのYAMATO』に使われた大和のセットの展示も見ることができました。ここでは一部とはいえ、主砲の46センチ砲や高射砲の実物大が間近に見られ、巨大なスケール感がよくわかった。映画では高射砲の左右と仰角を手動で(?)操作するなんとも原始的な場面がしばしば登場しましたが、こんな何も身を隠すもののないところで弾幕行きかう中に座っているなんて・・・目の前で見るとやはり愕然とします。
大和ミュージアムの目玉は10分の1スケールの戦艦大和の模型です。甲板のチーク材の張り方まで丁寧に再現された凝ったつくりで、上から下から斜めからといろいろな角度から見て迫力を楽しめます。スクリューだけ見て「意外と小さいなあ・・・」なんて思ったのですが人の模型と比較してみて驚きました。
大きい! 船体が大きすぎて勘が狂っていたのでした。「このスクリューって、ふつうのヨットと同じくらいの大きさあるやん。10分の1やのに」と息子が言う。そう言われてみればそうですな。こりゃすごいです。
大和の紹介ビデオが流れていましたが、いかに大和の技術が優れていたかなどを滔々と語ります。光学レンズやら零戦やらの技術がいかに後世に役立っていったかなど。 しかし、ちょっとほめすぎじゃないのか・・・戦争中に技術開発で大きく遅れをとっていったことも語るべきではないだろうか。息子いわく 、「ほめてばっかりやん」 。
君も、そう思うか。それはよかった。
大和ミュージアムというくらいだから館内の半分以上は大和メモリアルです。乗組員の遺品や遺書としての手紙なども多数あり、映画「硫黄島からの手紙」を思い出しました。あのころの人は家族にも丁寧な言葉で手紙を書いたのですね。感情を抑え整然とした文章は、かえって胸に迫るものがあります。
残りの半分は人間魚雷「回天」や本物の零戦の展示。 「回天」は人間魚雷となることを切望した青年将校たちによって作られたのだということ、出撃のときの勇ましい手紙などが紹介されていました。 なんだかこのあたりで胸が悪くなってしまった。切望するような人間に誰がしたのだ。 他の戦友の中には迷惑に思った人もいたのではないのか。などと思いました。
ちなみにこの「回天」は京都嵯峨野の一角にもひっそりと展示されています。
情緒ある街並みの一隅で、観光客にも一目見てもらいたいと誰かが置いたのでしょう。
